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日記

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忘れたかな

忘れたかな

ちょっと前にめっちゃ怒ってたことがあった。
珍しく怒って、怒って、それを直接伝えて、結果、
「しかるべき手続きがとられるまでは許さない」
って選択肢をとった。

それを今日、ひょんなことから思い出して、あれ、そもそもなんで怒ってたんだっけ?ってなったので、紐解いてみた。

いろいろ発掘して思い出して、やっぱり私の選択は間違ってなかった。
ほんで、ちゃんと順調に忘れてるところが、自分スゲーっ

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お寿司とさくら

お寿司とさくら

家庭の味が面白い料理の一つにお寿司がある。一人暮らしをするまで、お寿司といえばサラダ巻きやちらし寿司、お稲荷さんのことだった。

家のちらし寿司は、鮭フレーク、塩もみきゅうり、炒り卵、枝豆、ごまが混ぜ込んである、いかにも春らしい色合いのもので、いろんな食感、特にきゅうりがポリポリとアクセントになって、いくらでも食べられた。

サラダ巻きとお稲荷さんは、ばあちゃんの係だった。
サラダ巻きは、

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みかん鯛とチャリンコ

みかん鯛とチャリンコ

母方のじーさんは、7、8年前に死んだ。自転車で近所を爆走してた日に、風呂場でポックリ逝った。何の予兆もない死に、誰もがびっくりさせられた。

里帰りをしていると、母の実家に泊まることも多い。第2の家、という感じだ。

そのとき、仏壇のある畳の間に寝るのだけれど、欄間にじーさんのいい顔した写真が飾られている。じーさんに見守られながら、寝る格好になる。

じーさんはどこにでもチャリンコで行

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弱音(2016/01/07)

ここのところ、赤子がかなり高音で泣くようになった。笛のような、鳥の声のような、ピイピイとキイキイの間くらいの感じで。

これが、実にまいる。
ドラえもんにどこでもPA(ライブの音響の機械を操る人)を召喚して欲しくなる。どこでもDJにして泣き声をサンプリングして陽気な音楽に仕立て上げてくれるのでもいい。

原因もよく分からずに泣かれるのでその度に試行錯誤を繰り返す。でも、いつも、コレが原因だったのか

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さくら餅

2015年を振り返って、思ってた以上に美味しくってハマっちゃった食べものランキングがあるとすれば、
1位はさくら餅だ。

久しぶりに来た地元のスーパーで、母が、軽いドヤ顔で「私いま、さくら餅がヒットなの」と言ってきた。そして、あの透明な音のうるさいプラスチックの、細い凸凹がついてて、ホッチキスで留められてあるとちょっとイラっとする(かといってテープで留められててもちょっとストレスな)容れ物に入った

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かもしれない。

深い深いかなしみは氷の塊のようなものやもしれない。それも海に浮かんでいる流氷のような、不純物とか空気とかバリバリ混ざってる感じの。自分ではそんなに影響ないって思ってても根が深かったり、めっちゃかなしいーーーーって思ってても案外表面だけで薄かったりするのかもしれない。

ちゃんとかなしみと向き合って、かなしみの純度をあげて、すみきったかなしみの塊で美しい彫刻を作れたとき、何か変わるかもしれない。

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2016/01/01

大晦日は赤子を寝かしつけて自分もそのまま爆睡。
泣き声で起きたら5:54、乳をやって、目ーパチクリな赤子を二階の母の部屋に連れて行ってベッドで3人揃って寝る。赤子は母の眠気を吸ったのか、スッと寝て、寝付けない私は1人でまとめサイトを見て笑っていた。ところどころ声が出た。母不審がって一回起きる。
8時半に、母が起き出す。私はそのころからまた眠りについた。9時半に弟に起こされたけれど、眠かった。
おせ

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ミュージックステーションスーパーライブあれこれ

本日あまりに腰が痛くて、何もできず、録画してたミュージックステーションスーパーライブを観た。
涙があふれたのは、AKB48のたかみなの卒業話のとき。
こじはること小嶋陽菜が「残った一期生は私と峯岸だけになってしまいましたー」って言ってて、みーちゃんこと峯岸みなみを、峯岸って呼び捨てにするその裏に、みーちゃんへの信頼と愛がにじみ出てて泣いてしまった。

もともとこじはるが卒業なかなかしないのは、一時

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野望

結婚式でよくある、親友への手紙を代筆したいという野望がある。

もちろん、拙いながら書かれた手紙もそれはそれでいいんだけれど、長すぎたり、2人の世界だけで通じる話だったりして、もったいないと思うことがあるからです。

そういう手紙のときは、お客さんが聞いてないこともあって、あーもったいないなーと、残念になる。

せっかくの結婚式だから、よりよく伝わるように関わりたいってのが一つと、単純に結婚式が好

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おくやみ

母の実家の隣の家のおっちゃんが死んだ。もう顔も覚えていなくて、最初は名前を聞いても、しょーじき誰?って感じだった。

毎年お年玉をくれたおっちゃんで、早くにおばちゃんが、なくなってからも毎年欠かさずお年玉を、ことづけてくれとったんよ。とは母の言。

おぼえてない。

でも、母の実家の近所のひとが、いつもお年玉をくれていた記憶は、それだけは確かにあった。足長おじさんみたいだ。待って。今の若い子って足

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2015/12/17

今年の8月に第一子を出産した。

母が私を産むときに取りあげてくれた先生が、地元で開業した産院で産んだ。

助産師さんと看護師さんが何人か、同業者である母と顔見知りであったこともあり、幼少時代の私のことも覚えていてくれた。だから、分からないことだらけでも、不安はそれほどなかった。

その産院はご飯がおいしいことで地元でも有名で、体重制限がかけられた私は毎日昼ご飯と夜ご飯を作ってもらったものを食べに

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