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日常と生活(日記、散文、雑感)

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日記、散文、日常的に感じたことをメモしています。
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記事一覧

部屋

小さな、
音楽が溢れる場所
が自分の居場所
でも音が止まった瞬間
それはただの
四角い部屋なことに気がつく
空の弁当箱
タバコのニオイが消えない
モッズコート
夥しい量の液体を流し込んでも
満ちない渇き
入口からもっとも離れた
末端にある部屋のなかで
二方向から入る光をあつめて
生活を
どうやって簡略化できるか
考える
必要なものは
そう多くないことに気づく
そして好みなのは
四角い部屋じゃなくて

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また文章に

また文章に

戻ってきた。言語化という作業は自分にとって息抜きにもにていて、作業に煮詰まると散文からちょっとしたアイデアまで様々なものを書き留める。

音楽のことだけではなく日常的に感じたことや、時に夢や空想からフィクションを生み出したりもする。
ここ最近あまりNOTEで書かなくなった理由はXとの兼ね合いもあるし、SNSが総じて心の荒れる場としての色合いが強まってるせいもある。

現在比較的に自由でストレスなく

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エルサレムの夜

エルサレムの夜

その夜僕らはエルサレムの美大生街のバーにいた。
年季の入ったカルチュラルなバー、休息日の夜の序盤で客はそう多くなかった。

この店のムードは良く知ってる。

87~89年あたり思春期後半を過ごした京都の夜の街のそれだった。
数部屋に仕切られたスペースの真ん中の誰も居ない部屋で何もかも不詳な女性が音楽をセレクトしていた。
時代も音楽性も特定できない音楽やサウンドスケープが空間を支配していた。

タイ

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音の森

音の森

恥ずかしい話をする。

音楽を作ることのコツや要領を持ち合わせていないのだけど、
それにしてもここ最近は毎日とことん落ち込む。
文字通りありとあらゆる手段を使って自分に響く音楽を模索するのだけれど、
言葉にするのもいやになるくらい自己嫌悪になる。

昨日なんかは昼過ぎに作業に入り、休憩含めて20時間近くスタジオにいたにも関わらず、一ミリも満足のいく曲が作れない。
曲どころか数小節のスケッチですら形

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買えるもの買えないもの

買えるもの買えないもの

「なんでもかんでも金で買えるとおもうなよ」

どこかで聞いたセリフだ。

実際には世の中の殆どの「モノ」は金で買えると思っている。
この考えを微調整するならば、
「世の中には金を持ってるだけでは手入らないものがある」
ということになるだろうか

特に趣味性の強いものは売り主に選択権があることも多くて、最終的に買えないこともあるかも知れない。

そしてもう一つのそれは、一部分は金で買えるが、
本当の

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まともに狂うということ

まともに狂うということ

今、世相を見渡して正気を常に保っている人がどれくらいいるだろ。これほど正解が見いだせない時代が来るとは正直思っていなかった。
日々の生活を前に進めるためには、可能な限り思考を停止させることが実は一番安直だが楽な選択だという気すらしてしまう。

どんなに些細な事柄でも考えを進めて行くと結果的に現在の社会問題にどこかでぶち当たる、計算されたあみだくじのように。

道端で大声を張り上げて怒鳴っているひと

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当たり前を疑うチカラ

当たり前を疑うチカラ

音楽のような自由な芸術の世界でさえ、見えないしきたりやルールが溢れている。音楽理論やセオリーにはじまり、歌の歌い方、ギターのチョーキング時の姿勢、サックスをブローするときの体の方向ける角度までありとあらゆるところにお手本があって、みな無意識のうちに「なにかの型」にハマる。

かくいう僕もその犠牲者の一人かもしれないけど、少なくもそこからの脱却を日々試みている自負がある。
芸術という人類が生み出した

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Let it go

Let it go

手放す、やめる、執着を捨てる。
このあたりがキーワードになりつつある。
身近な友人などがSNSをやめる。
コレクションしていたモノを売り払う。
肉食をやめる、もそうかな?
ひとは何か人生を見直すときこういった行動にでるのだろうか?

さて僕の場合なにを手放し、何をやめるのか。
実際にモノの処分は昨年から結構進んでいると思う。
反して新しくモノを買うのは激減と言っていい。

小さなことでももちろんか

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セルフィーセット

セルフィーセット

一度目の非常事態宣言くらいに始めたYOUTUBEでのライブ配信
日曜の夕方に自宅やスタジオ、知り合いのカフェやレストランなど
いろんなところでやってきた。
最近ではGINZA MUSIC BARの早朝営業でテクノやったりもしている。
今回はちょっと特別版で「セルフィーセット」=自分の曲だけでの配信。
アーカイブに残すかは未定だけど、基本的に未発表のヴァージョンがメインなのでぜひとも観に聴きに来て頂

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クルマとドラマとオモロ人間ホイホイ

クルマとドラマとオモロ人間ホイホイ

先週末日曜日、早朝に都内を出て600キロ以上を走破し兵庫県を目指した。友達と各々のクルマを運転し6時間以上を走った。当然会話はない。
現地に着いて目的の場所(広義のクルマ屋)の主と落合い、案内されるままに田舎道を走る。

日本の田舎はある程度見慣れているにも関わらず、
僕らが訪れた集落はどこか異国情緒をかんじさせる。
四方を山に囲まれていて、その間を縫うように家々や畑などが点在する。
遠近感がおか

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逆張りのススメ

逆張りのススメ

いつの頃からか誰かと同じが好きじゃなくなった。
理由は色々で、単純に他人の好みと僕のが違ったり、時にはそこまで違ってなくても誰かがいいと思ってることに対する反発なんてこともあった。

当然すべてにアンチなわけではなく、相対的に数の少ないものの中に好きなものが多いだけ。日曜夕方のライブ配信でやる選曲でも、視聴者から「大沢さんの選曲で気になった曲をspotifyで見つけたら数十回しか聴かれてませんでし

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自己陶酔の難しさ

自己陶酔の難しさ

誤解を生むかもしれないけど、表現者にとって自己陶酔とは永遠のテーマだと思っていて、昨夜はゆうに半年以上ぶりのリアルクラブでのDJだったのだけど、いままで何度も敗れてきたように自己陶酔出来ずに終わった。多い時で年間5~60本くらいDJしていた2005~2010年でさえ、完全に自分の中に入りきって音楽と同化出来たのはもののわずかだと記憶している。DJ時に酒を飲むことは時に有効だ、しかしそれとて補助的な

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味覚について

味覚について

五感の中で味覚と嗅覚は他の三つに比べて平均値を採用することが多いような気がしていて、美味しいもの(とされるもの)いい香り(とされるもの)
が耳、目、肌などから入る情報よりもなんとなく一般具現化されているような印象。例えば音や音楽、目で見るアートなどはもっと個人差を優先する印象。
そして、味覚は習慣による影響が大きくて、小さい頃にから存在してて食べ慣れている物の中で判断してきた結果、ステーキならこん

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最中と儀式

最中と儀式

最中が好物で色んなお店のものを食べる。
最近ハマっているのがこの「さか昭」   で、ほとんどの場合おばあちゃんがひとりで店を切り盛りしてる。注文が入ってから裏に入って手作業であんこを詰めるので、
頼んだ数に応じて待つことになる。そしてその間店頭は無人になる。
今日も僕の後に来たおじいさんが、僕の最中七個分が用意される時間を待ちきれずに帰ってった。おばあちゃんとおじいさんの間に、
おばあちゃん「少し

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