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📜衣装歴史学

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✍題名はカーライルの『衣装哲学』から。現在、テーマは坂本龍馬。ビターな坂本龍馬をテーマに進行中。
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📜衣装歴史学:序 伝えられている歴史上の人物の物語はほぼ全て他人によって作られた物だ。ここではその人物達なり事象なりの華美な衣装の様な装飾を剥ぎ取る事が趣旨で、本来どの様な衣装を纏うべき人物であるのかに、読者が思いを馳せる小さな機会になれば著者の目的が叶う。

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十五

六十五、 桂は第二次の戦に入る前に、どうやら四国各地潜伏していた、とも。ただ、この時のこ…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十四

六十四、 かなり活動家としても有力な若き土佐脱藩者の中でも中岡が“ここ”を実質担当する。…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十二

六十二、 現代で言う“人事異動”なのか?あまり定かではない中岡の異動。まあこれもきっちり…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十一

六十一、 ここで中岡慎太郎について踏み込む、というか歴史学者装って資料追究する訳ではない…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 六十

六十、 愈々の本題、というか。歴史のページ進行的に功山寺の件の成功が終われば、第二期の長…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十九

五十九、 故に功山寺挙兵こそがドラマとしての所謂“薩長同盟”への事実上の繋がりとなる。もう功山寺の件の時点で徳川派に厭戦の雰囲気が濃厚であった事も留意。長州を叩く事自体、もう面倒であったと。少し掘り下げれば、長州征討の為に軍(もっと正確に言えば連合軍)を編成する際の人事や国家内各所で同時期に起きていた紛争のあれやこれやでもう機能していなかった様子だ。西郷は粛々と表向きの“仕事”はしていた様だが、連合軍内の内紛に次ぐ内紛で嫌になっていただろう。 功山寺の件は長州内の対立ニ派

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十八

五十八、 また一つ、遠回り。長州藩で起きた功山寺挙兵について。坂本を語る際、なるべく長州…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十七

五十七、 大分時間を取って薩長同盟のプレ段階を探って来たのだが、それでこの事案が“商売あ…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十六

五十六、 所謂第一次長州征討期の徳川側のゴタゴタで恐らく西郷はうんざりしたか、若しくは藩…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十五

五十五、 北海道と坂本龍馬。意外と接点がちらほら。今回はこの南国の男を北の視点から。 北…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十四

五十四、 所謂第一次長州征討期、これは殆ど幕府軍と長州藩は戦っていない。幕府側は人事等の…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十三

五十三、 近藤長次郎小伝、これも意外と引っ張ってしまった。大局的な見地に戻ろうと。近藤の…

🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十二

五十二、 改めて、近藤長次郎の最後を考察。やはり虐めが原因の自死だったのか?広く親しまれている坂本龍馬物語ではそう結ばれる。だが資料読みの方面から見ると、これは確実な、決定的な原因は不明だそうだ。ただ坂本龍馬物語の流れ、これは近藤被虐め説を取る事が自然に成立させているのも特段おかしくもない。というのも社中の同志からの厳しい追及と難詰はあった事はあった様だ。そしてその後の自決であるので、虐め説を取って何ら不思議でもない訳だ。 ただ本当の理由は解っていない、の一節が喉に刺さっ