🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 五十九
五十九、
故に功山寺挙兵こそがドラマとしての所謂“薩長同盟”への事実上の繋がりとなる。もう功山寺の件の時点で徳川派に厭戦の雰囲気が濃厚であった事も留意。長州を叩く事自体、もう面倒であったと。少し掘り下げれば、長州征討の為に軍(もっと正確に言えば連合軍)を編成する際の人事や国家内各所で同時期に起きていた紛争のあれやこれやでもう機能していなかった様子だ。西郷は粛々と表向きの“仕事”はしていた様だが、連合軍内の内紛に次ぐ内紛で嫌になっていただろう。
功山寺の件は長州内の対立ニ派