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LEICAとレンズ沼な町寿司の夜

弾丸でニセコだった。帰りに久しぶりにサウナ界のボン・ジョビことととのえ親方な大ちゃんファミリーと大好きな町寿司で食事することになった。彼の紹介は以前にコラムに書いたので、まだ読んでいない方はこちらでぜひ。寿司屋のカウンターに鎮座するのは彼のM11だ。ふと見るとアポズミクロンの35mmが装着されているではないか?映画のズームのようにレールに乗った滑車が迫っていくかの如く、僕が顔を近づけていくと彼はこう言った。

「浜ちゃん、沼だよ。レンズ沼。」

そう言って、このインスタグラムの投稿のような話をし始める。

ライカをヨーロッパ旅行でスられてから、彼は限定エディションだったダニエル・クレイグのQ2から、M11に乗り換えたのはその後だった。そこから毎回会うたびにレンズが増えていることに気づいている。僕もそうだが、カメラが好きな人にはカメラやレンズを買うときのオリジナルの呪文のような言い訳が存在する。僕の場合は、今度ペトラ行くから、とか子供の一歳の誕生日を・・・などそんな類だ。彼の場合は「いやーサウナ撮るときにさー、このレンズがいいかなー」である。そのためにだいたい広角なレンズになるのだが、今回は35mmである。Mで寄れる特別なレンズとはいえ、僕が気づかぬうちに沼っていた。

レンズというのは不思議なものだ。ボディがデジタルになったとしても、レンズだけはほぼその構造が変わっていない。もちろんスマフォのように後処理をデジタルで行ってからデータとして出力するものもあるが、それでも光を魔法のように変えてしまうレンズの魔力には勝てない。ライカの場合、クラシックなレンズも今のボディでほとんど使えるということもあって、片足を沼に突っ込んだら、頭の毛先の天辺までズブズブとレンズ沼に入ることが出来る、実によく出来たカメラなのだ。

まだ大ちゃんは膝先だろうか?それでもここまで入ったら、腰上まで沼に落ちるのは早い。僕は50mmというレンズが好きで、そこから僕のレンズの旅が始まったような気がする。小馬鹿にしていたLEICAを、今の奥さんになった女性が使っていたことから人生が変わる。LEICAというカメラは一度触ったら、もう終わりだ。LEICA以外に戻ることは出来なくなるからだ。

そんなにボディを持っても、そんなにレンズを持ったとしてもどうせ旅に持ちあるくのなんて一本だけだ。それでも時折大切にウィスキーをニートで飲みながら、いい音を聞きながらレンズを眺めているのはなかなかいい時間だったりする。LEICAの場合は、使っている人たちがとても面白い人達が多い。この間もストリートでLEICAのM型を使っている旅行者に声をかけたら、話は30分ぐらい止まらない。ニューヨークから来ていたということで、ライツニューヨークのウォーレンサックの話をしたら、話が止まらなくなったのだ。

この数年、僕が愛用しているレンズがある、フォクトレンダーのノクトンだ。フードを友人が作ってくれて、そのフードの収まりがとてもいい。このレンズとMとの相性がとてもいい。そんな話を、次回大ちゃんに会ったときにしたいなぁっと思っているのだった。

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