桂田祐介

一日一画を始めて20年目。メイン画材はオイルパステル。詩情あるリアリズムを標榜。たまに…

桂田祐介

一日一画を始めて20年目。メイン画材はオイルパステル。詩情あるリアリズムを標榜。たまに個展やアートフェア。生計をたてているのは宝石の鑑別。今年より日本旗章学協会会長。関西出身。猫4匹の下僕。音楽、言語、文字、地図、哲学、多岐にわたっていろいろ関心あり。最近本の雑誌に登場したよ。

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  • 21日の音楽

    2022年9月より、毎月21日に好きな音楽の動画(または音声)について、ひとりよがりに紹介しています。

  • 色石のいろいろ

    色石といいつつ、宝石全般が対象です。宝石について、ちょっとでも触れておいた、わたしのnoteをまとめておきます。

  • 展覧会の絵

    出かけた美術展について書いたnoteを集めました。

  • 楽しい楽しい旗章学

    わたしの投稿から旗と紋章にまつわるものをまとめました。

  • 猫たちのいる日々

    我が家の猫たちについて書いたnoteをまとめます。

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連作から見えてくるものは・・・

このところ、ぼんやりと考えていることがある。 表現あるいは創作において、おなじことや似たことのくりかえしに意味はあるのか、あるとすればなにが表現でき、なにが得られるのか。 先日のnoteで、「印象派・光の系譜」展のモネ《睡蓮の池》について触れた。 モネの睡蓮シリーズは、連作だ。連作という語を調べると、だいたい以下のような説明が見つかる(下記引用はデジタル大辞泉より)。 モネの”連作”は、睡蓮だけではない。大聖堂とか、積みわらとか、ポプラ並木とか、やたらとある。考えれば

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      忘れちやいやョ by 渡邊はま子

      先日、大吉原展を観に行った。これはまた別に書いておかなくてはと思っているのだけど、かつて存在した遊廓のさまざまな側面が、多面的に考察され、再現され、展示されている様は、たいへん見ごたえがあり刺激的だった。 昭和初期に公娼が廃止され、消滅した吉原。 その消滅の過程を、永井荷風が『里の今昔』でノスタルジックに書いていた。その荷風を主人公にした映画《濹東綺譚》(荷風の同名小説とは別)を思い出す。吉原消滅後の私娼が題材のこの映画は、吉原の名残を視覚的に伝えてくれている。 この「忘れちやいやョ」は劇中にも流れ、津川雅彦演じる荷風も口ずさんでいた当時の流行歌だ。じつは内務省から“娼婦の嬌態を眼前で見るが如き歌唱”だとして放送禁止にされた歌でもある。 月が鏡で あったなら 恋しあなたの 面影を 夜ごと映して 見ようもの こんな気持ちで いるわたし ねえ 忘れちゃいやよ 忘れないでね 歌詞の内容にはそれほど際どさは感じない。五七調が遊郭を連想させるのか。この官能的な「ねえ」が向けられる相手を恋人ではなく遊客とするなら、公娼時代を知る者にはそう聞こえてもおかしくはなさそうだ。 公娼制度は人権侵害だ。だから二度と現れない制度のはず。大吉原展を観てこれは痛切に感じた。もしも内務省が言うように娼婦の歌であるなら、「忘れないで」と言っているのはその負の側面も含むと考えられないだろうか。 当時を直接知る人がいなくなった現在、これは単なるラブソングかもしれない。同じことが、戦争にも言える。戦争に突き進んだ軍国主義は、二度と現れてはいけない体制だ。終戦からおよそ80年。戦後生まれの為政者による行政が、忘れてしまった大事なことはないか。 歌に吉原を思い、その負の側面から戦争を連想する。良いことも悪いことも、どちらも忘れちゃいやよ、渡邊はま子の甘い歌声は、そう聴こえる気がする。

      • 乱読本棚が先週特にスキを集めてくれたらしい。

        ウワサには聞いていた「先週特にスキを集めた」通知が、とうとうわたしのところにもやって来た。 激しい雨が上がって青空が戻ってきた月曜午後の東京。休憩がてらスマホを手にとったその時、この通知が届いた。文字どおり青天の霹靂だななんて、またつまらないことを考えながら、記念のスクリーンショットを保存した。 フォロワー数の少ない拙アカウントでは、こうした通知はまったく縁のないことだと思っていた。昨年12月に「今週の注目記事」に選ばれた時ですら該当しなかったというのに、これはどうしたこ

        • 本棚からその持ち主の頭の中がわかるって?

          わたしの読書習慣は乱読である。大半はいわゆる速読で、速読したあとに気になった本を読みなおすことが多い。それも飛ばし飛ばしだったり、途中でほかの本に移ってみたりと、一般に読書とされる行為の範疇に入れてもよいものか甚だあやしい。小説や詩では一語一語をていねいに読むことが多いのだけれど、わたしの読む本のなかでは小説は少数派だ。 我が家のリビングには、いつの間にか本棚化した棚があって、そんな乱読している書籍がざっくりとした分類のもと、著者や分野がなんとなくかためて置かれている。それ

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          【告知】京都のお宿がギャラリーに

          タサキの70周年イベントについて書いた先日のnote。スニーカーやメガネと真珠のコラボレーションに見られる意外な取り合わせはエルザ・スキャパレッリを想起させた。 その取り合わせの意外性は、このところわたしが執心しているシュルレアリスムに通じる。もっと言えば、デペイズマン。デペイズマンはシュルレアリスム絵画のアプローチで、実際にはありえないものを画面内に共存させるというもの。ルネ・マグリットの作品などが典型的だ。 ありえない物の共存。ありえなさ故の違和感。その違和感から導か

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          奇想のパール製品たち

          昨日公開したエントリで、表参道で開催中の展示会についてもさり気なく触れていた。 先日、原宿方面に赴いた際に立ち寄ったので、簡単に書いておきたい。 かつて田崎真珠として知られたこのブランドは、今はTASAKI(タサキ)として、養殖真珠だけでなく自社研磨のダイヤモンド、そしてさまざまなカラーストーンを使ったハイジュエリーも手掛けている。 ターコイズなどブルーの石とパールをあしらったラディアントと題されたラインナップが記憶に新しい。 そのTASAKIの70周年を記念するイベ

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          圧巻のティファニーワンダー展

          誕生石シリーズを中断させて以来、noteではこのところ宝石ネタから遠ざかりぎみになっていた。わたしの仕事は宝石を調べることなので、とうぜん話題がないということではない。むしろありすぎると言っても良いかもしれない。ないのは心と時間の余裕。 先月なかば、山梨ジュエリーフェアに仕事で赴いた際、海外から石の買い付けに来ていたディーラーの女性にばったり遭った。ばったりとは言うものの、来日することは聞いていたから、アポこそとってはいなかったものの、予定調和的に会場に居合わせたと言ってよ

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          世界はさまざまなストーリーでできている。ポール・オースターさんありがとう。

          訃報はいつも突然やってくる。米国の作家、ポール・オースター氏が亡くなった。77歳。肺ガンを患っていたらしい。まだ新作が読めると信じていたから、この訃報はとてもショックだ。 ちょっと前にブッカー賞のノミネートだかにも名前があがっていたと思ったけど、それももう7年前だったようだ。時の流れの速さを実感する。そうか、7年ともなれば病気にもなるか。オースター氏に年齢の近いわたしの父もいろいろと病気を患っていることにもふと思いをめぐらせた。 ◆ わたしがポール・オースターを知ったの

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          Moon River by Audrey Hepburn

          昨日、東京の虎ノ門ヒルズで行われているTiffany Wonder展に足を運んだ。これはあのジュエリーブランドのティファニー社の大規模な展示会で、じつに500点ものアイテムをじっくりと観ることができる。 これは単なるジュエリーの展示会ではない。特別に制作された巨大タペストリーでの歴史紹介にくわえて、石留めや研磨、手彫りの職人さんの実演などもある。こうしたジュエリーの展示以外のひとつに、ティファニーの名を冠した映画「ティファニーで朝食を」のコーナーもあった。 ヒロインのホリーを演じたオードリー・ヘプバーンの衣装や小物とともに大型スクリーンで流れる映画の一場面。そこにはアパートの非常階段前の窓際でオードリーがテーマ曲Moon Riverを歌う映像もあった。 歌手ではないオードリーが口ずさむ飾らない歌声。彼女の狭い音域にあわせて作曲されたなんて話があるけど、だからこその自然さ、気取らなさが、ひとりの女性の本来の姿を浮かび上がらせている。そこにあるのは、歌手の歌声ではない、俳優の歌声の魅力とでも言うべきなにか。 ある人を想って歌う歌、思い出を振り返って歌う歌、そうしたテーマはありきたりだけど、それらをさり気なくにじませたこの曲の歌詞はこの場面のオードリーにぴったりだ。 映画の中ではティファニー社は、高級娼婦的なホリーの側面を象徴するラグジュアリーブランドとしての役割だった。しかし、この歌とオードリーのイメージがあったからこそ、ラグジュアリーなのにどこか清楚なブランドイメージが定着したのではないか。 たまたま昨日虎ノ門ヒルズで聴いたこのMoon River。歌のプロではない、市井の人びとの口ずさむ歌って、こうだよな。心を揺さぶる歌唱力や超絶技巧の演奏力はもちろん良いのだけど、これもまた素晴らしい音楽だという気づきがあった。

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          天下を取った成瀬あかり

          今年の本屋大賞は『成瀬は天下を取りにいく』。いやはやこんな形で天下を取るとは!いかにも成瀬らしい展開ではないか。 いつもはあまり発信しない高校時代の旧友が何名もソーシャルメディアで触れていたのを見た。 ローカル色の強い小説だからか、なおのこと母校や実家まわりで盛りあがっているに違いない、と思ったり。これを機に西武百貨店が大津に再進出を検討してくれまいか、なんて妄想してしまった。 せっかくだから、わたしが昨夏に書いていた読書感想文を引っ張ってこよう。もしよければ読んでね!

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          大西洋をわたった印象派

          ちょっと日常に追われていたら、いつの間にか春分を過ぎて春になり、3月がほんとうに去ってしまった。4月になって早くも1週間が経とうとしている。 季節といっしょに記憶が過ぎ去る前に書いておかないとと思うことが多い。そのひとつは2月に足を運んだ東京都美術館の「印象派 モネからアメリカヘ」。米国マサチューセッツ州のウスター美術館所蔵作品を中心にした展覧会だった。 このところ印象派の展覧会が多いように思う。とりわけクロード・モネにフォーカスしたものでは、上野の森から大阪に巡回した「

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          Martha (Tommy) by Bette Midler

          まさかの2回目のMarthaはベット・ミドラーによるカヴァー。トム・ウェイツはトム・フロスト(男)からマーサ(女)への呼びかけだったけど、このカヴァーではベッツィー・フロスト(女)からトミー(男)へと変わっている。そして40余年の設定が半分の20余年に。 20年。結婚23年目のわたしには別の含みをもって聴こえてしまう・・・が、ここは素直に若き日の想い人への呼びかけということで。 ベットはトムとのデュエット曲 I Never Talked to Strangers を収録したアルバム Broken Blossom にこのカヴァーを入れたかったとか聞いたことがある。なにかの事情がそれを許さず、ライブで歌われただけだったようだ。 情感たっぷりに、かつての薔薇と詩と散文の日々(the days of roses, poetry and prose)をふりかえる。あの頃は若くて愚かだった(we were all so young and foolish)とふりかえる。 ベットはトムに恋をしていたのではないかとすら思えるその歌いぶりはさすがだ。 先日、石山寺を訪問したことを書いた記事で、わたしは大河ドラマ『光る君へ』について触れた。ドラマで現在進行中のまひろと道長の恋路は史実から成就しないことが明らかだ。けれど、互いにずっと想い慕いつづけて老境に達した頃には、あのふたりは和歌と漢詩を交わした日々を若者らしく愚かだったと省みるんじゃないだろうか・・・と、そんな想像をしてしまう。 あぁこの感覚、トムの歌うMarthaみたいだなと思ったら、ふと、このベット・ミドラーの歌うカヴァーをも思い出した。 歌の中のトム・フロストもきっと忸怩たる思いでマーサと別の人生を歩むことにしたのだ。そしてそれを読みとったベットは、同じくすれ違う恋物語を歌うためにカヴァーした。マーサとしてではなく、自らを投影したベッツィーの名で。では、ベッツィーの恋の相手トミーは誰? ベット・ミドラーはちょうどトム・ウェイツとのデュエットで見知らぬ男と恋に落ちる歌を歌った直後。このカヴァーは20年後を想定したのかも。 ベッツィーはフロストの姓を名乗っている。トム・フロストの配偶者?とするとさらに別のトミー(トム)がいる?それとも愛するトム・フロストと結ばれた想定でそう名乗っている? そんな妄想をしたら、紫式部が道長をモデルに光源氏の物語を書いた説がとても有り得そうだと思えてきた。

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          ハタと気づけば

          何度か書いているように、わたしは日本旗章学協会に所属している。わたしが入会したのは11年前に本格的に帰国してからなので、ハタと気づけばすでに10年以上が過ぎている。 じつはその何年も前から何名かの会員とはネットを通じてやり取りがあった。当時はまだブログ全盛期で、ソーシャルネットワークはまだ黎明期と言ってよく、ハタと気づけば国産SNSのミクシィが流行りはじめた頃。そのミクシィの国旗コミュニティで活発にやりとりをしていたのがきっかけになった。いつも尋常じゃない数の旗画像と関連情

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          紫式部ゆかりの石山寺で花々を観る

          1月は“行く”、2月は“逃げる”、3月は“去る”。 1月は“去ぬ”だったかもしれない。誰が言ったか、年が改まってからのこの時期、時間はたしかに特別に駿足で過ぎてゆく気がする。 先日公開したミネソタ州旗のnoteも、2週間前に日本旗章学協会の会合で話したあと、せっかくだから書いておこうと思いたって書き始めた。ところがまとまった時間がなく、気がつけば公開するまでにそれだけ時間が経ってしまった。この時期はそんな時期なのだ、と言いのがれをしたくなる。 そんな忙しないこの時期、関

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          ミネソタ州旗のデザイン変更にみる新たな旗章学

          昨年末に書いておいてそのままになっていた米国のミネソタ州旗のこと。 途中経過のままで放置するのは気持ちが悪いので続報を書いておく。 前回書いていたように、ミネソタ州議会の州章・州旗の変更に関する専門委員会(State Emblems Redesign Commission)で最終候補が絞り込まれた。その後デザインの微調整がおこなわれて、最終的な新州旗が決定した。あとは州議会での承認を経て5月11日に正式に掲げられるのを待つのみ。 6点の候補が選ばれた時点で透明性に疑義を

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          Valentine Moon by Sam Brown and Jools Holland

          2月といえばバレンタイン。本邦では女性から男性にチョコレートを贈るのが定着して久しいけれど、国によっては男性から女性に花束を贈ったりして、作法はいろいろ違っていてもロマンチックなイベントになっている。そんな時期に流れるバレンタインソングもどこか甘酸っぱくて切ない。 The first time you kissed me at the end of our street The gas lamps shone above us, young lovers we’d meet ノスタルジックな情景描写ではじまるこの曲は、時とともに変わってしまった街の姿をよそに、変わらず輝き続ける月光と恋心を歌ったものだ。 But the old town has gone now and it’s winter too soon Still we waltz beneath our valentine moon ガス燈(gas lamps)と聞くとあのイングリッド・バーグマン主演の映画を思い出すせいか、サスペンス的な不穏さを帯びてくる。ワルツから連想するのはオーストラリア民謡のWaltzing Matilda。放浪するという別の意味がある。 We danced together as old lovers do 冬が来るとか過去形の言いまわしに、もしやふたりの関係も過去のものなのかと思わされるけどどうなのだろう。 Cette fois tu m'embrasses, au bout de notre rue Les lampes de gaz nous allumiere, toi et moi jeunes amants 後半にフランス語で歌われるのは、冒頭のガス燈の下での口づけを受けて、今度はあなたがキスしてと歌う。単純なラブソングととらえるには引っかかりのある含みに、心のどこかがちくちくする。 toi et moi というと、大きさのそろったふたつの宝石が寄り添ったデザインのリングを指す。クロスオーバーといって、斜めの互い違いのレイアウトが典型的なので、これまたどこかにすれ違いを思わせて、駆け引きがあるような単純ではない大人の恋を思わせる。 どこまでが意図されたものかはわからないし、多分にわたしの考えすぎなのだろうけど、そんなところもこの曲に惹かれるところ。 歌っているサム・ブラウンは昨年ジョージ・ハリスンの曲のカヴァーで紹介した英国のシンガー。ジョージ最後の曲が収められたジュールズ・ホランドのアルバムを買ったおかげで知ることができた。素敵な音楽とはどこで出会えるかわからない。

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