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“分別”という言葉がある。

二つの異なる内容が用意されており
一つは種類によって区別・区分すること、
違うものを別々に分けることを意味し
ゴミの分別(ぶんべつ)回収などと用いたりする。

一つは世事に関し常識的で慎重な考慮・判断をすること、またその能力を意味し
分別(ふんべつ)をわきまえるとか表現されたりしている。

成長過程と分別(ふんべつ)が引き合いにだされることは多々あろう。

時を経て行動を重ねるにしたがい
分別(ふんべつ)が期待されるのだろうが
個々の感じ方もありその振る舞いは多様となる。

分別(ふんべつ)のいうところの
常識的で慎重な考慮・判断が時に厄介だ。

とらわれることで“ありのまま”の志しに
制限を注ぎ意図しない環境や結果に
身をおくこともあろう。

慎重な行為から保守化に迷い込み
ひかえめさに遭遇する。

都合もよく耳障りもいい常識とはいつ?誰が?どうして?どの様に?決めてどこにあるのか?

勇気に欠けた目に見えない力に迷うことなく
慎重という心地よい言葉に依存せず与えられるのでもなく自分の“良識”、時には理屈ではない内に秘めた“ひらめき”に躊躇なく大胆とか
細心というのとも違う自らの想いを信じ行動するのが力強い。

振り返ると失敗という輝かしい勇気の抜け殻が多数転がっておりそれらが”今“を造っているのも誇らしい。

おもしろおかしく生きるため
明るく強気に自分を信じ自ら行動し続けるのが本来だと思っている。

やる気はやり始めないとでてこないのと
同じように自信があるから行動するのでもなく行動するから自信が湧いてくるのを知ることになる。

目指す場所も違う誰かと比べることなく
これからの一歩一歩が連鎖を生み
ゆっくり転がりはじめそれは希望とともに
加速してゆく。

やっちゃえ!



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