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メンタルが強い、弱いと表現される。

メンタルが強い状況はどういう状況を指すのだろう?どうなりたいのだろう?どうしてそうなりたいのだろう?

不動心という動揺しないことを指す言葉もそれらの疑問を手伝う。

そもそも動揺しない人なんているのだろうか?と羨む人もいよう。

自己実現のために
心が強くなりたいと思い悩み、模索し、
魔法の杖を探し求めるのだろうが
筋力トレーニングを経て肉体改造し自身に
鎧をまとうかの様な姿を思い浮かべたりしてるのかも知れない。

メンタルを“鍛える”という言葉で
翻弄されるかも知れないが実のところ
それはテクニックじゃないか、技術なんじゃないかと考える。

三つ子の魂百までと言う様に人は生まれながら
にして根幹は変わらないのではとも思う。

自分を知ることが最初で、
例えば自分は何が得意か不得意か
何が好きか嫌いかなどを感じ、
そこには客観性を動員し得意だからプラスとか不得意だからマイナスとか、
好きだからプラスとか
嫌いだからマイナスといった他との比較から
覚えた評価軸を加える必要もなく事実を淡々と感じることで事足りると思っている。

時には信じれる人から教えてもらうこともあるだろう。

それをベースに色々と起こることに対し
自分に語りかけてくるネガティブを導くワードは聞かなくすること、無視すること、見なくすること、受け流すことがテクニックだと思う。
実際、自分が引き起こしてることの修正とでも言えばいいのだろう。

何度もトライしいつでもそれが出来るようにならなくても1回出来れば次も次もと徐々に出来てる自分を褒めながら自分で自分を育てるかの如くトレーニングすれば自ずとメンタルが強い自分に会えると信じている。

モノサシがひとつしかないとそこに押し込めたくもなる自分もいよう。

色々な経験を経て今の自分が造られているのだがそのひきだしが多く有ればモノサシも多く持つことにもなり、そういう場合もあるよねと
導いていける。

いつの日か過去にも未来にもとらわれない
目の前のことをひとつひとつこなしてる自分がいる。

そんな自分に会えるのもすぐそこ。


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