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石橋を叩いて叩いて叩き割ってしまう君へ

おっ、久しぶりに更新したなと思っていただいたファンの方(実在しない)には申し訳ないのですが、結構短文です(私にしては)。今年1年もいつものように無駄な、お金にならないことばかり頭の中で考えてきましたが、それを年末に少しでも記録しようと、wifiがつながりにくくなった5年目のmac book airのキーボードを叩いています。

今回は「チャレンジ」とか「結果と過程」とか、そこらへんについて書きます。ダラダラした文ですが、年末気分で許してください!

何かにチャレンジする時、それが「チャレンジ」だと思っている場合、一歩踏み出す勇気が必要ですよね。チャレンジの程度は大なり小なりありますが、海外に出てみるだとか、転職をするだとか、好きな人にアタックしてみるだとか、人それぞれ、リスクを負ってでも現在の状況を変えてみようとすることがチャレンジかなと思います。たとえ、チャレンジして失敗したとしても、それはそれで「経験」として積み重なるらしいと巷では言われています。

しかし、チャレンジが大事だとわかっていても、なかなかチャレンジできない人いますよね。チャレンジすらできないと、成功も失敗もなく、積み重ねができないと思っている人いますよね。こんなこと書いている僕もその1人です。「石橋を叩いて渡る」という表現がありますが、石橋を叩いて叩いて叩きすぎて割ってしまい、橋がなくなっていることがほぼデフォルトです。そして自分が石橋を叩き割っているのを傍目に、他人がどんどん橋を渡っているのを見ると、チャレンジできていない自分に嫌気が差す、そんなループに陥っています。

では何をしたらチャレンジできるのか、橋を渡れるようになるか、ここ数年割と考えました。で、今現時点の自分の考えは、「勇気を出す」とか「自信をつける」とかではなく、まずは「叩き割った石橋」に着目してあげることかなと思っています。

渡れた or 渡れなかっただけでなく、その過程も見てあげましょうよ、ということです。橋を渡れなかったことが事実なら、石橋を叩いたことも事実です。その叩き割った石と叩いた自分を見てあげれない限り、「勇気」も「自信」もつかないと思います。たとえ石を叩き割ったとしても、それはそれである種のチャレンジなんです。それをしっかりと自覚して、積み重ねの一つとして積み上げていけば、叩き割った石と、新たに見つけた石を組み合わせて、より強固な石橋ができるかもしれません。

まあ、こんなことしていたら時間がかかります。すぐに行動を起こせちゃう人にとっては、なんのことかさっぱりわからないかもしれません。

それでも、こういう積み重ねをしていかない限り、「渡れる」ようになることは不可能なのではないかと思います。そして、何よりも重要なのは、「できなかった」ことの中でも「できていた」何かに自分で気づいてあげることです。

よく「結果が全て」なんて言葉聞きますが(ケイスケホンダあたりが言ってるイメージ)、違和感を覚えます。「結果は結果」でしかなく、「過程」もあるんですよ。その「過程」をちゃんと自分で見てあげれるか、もしくは他人の「過程」も見てあげれるかが重要だなと感じています。

「積み重ね」って大事ですねー。

除夜の鐘をついて打ち消してしまう前に、他のことも書けたらと思います。映画振り返りとか!今年あんま見てないけど!


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