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玄さんとの読書感想文 実践編

みなさん、こんにちは。昨日は玄くんと取り組んだ読書感想文について、発想や構想などの、思考・判断・表現にまつわる概念的なところを書きました。今回は実践編ということで、具体的にはどのような作業をして、感想文を原稿用紙に清書させるところまでこぎつけたかの話をしてみようと思います。

ちなみに、僕は玄さんの宿題を見るときにはかなり主体的に下方からコミットする方です。

玄さんは楽天的というかおっとりしていて、悪くいうと優柔不断で、主体的に問題発見して問題解決していく! みたいな前進型のタイプではありません。僕はモチベーションをあげたり、楽しく課題に取り組む雰囲気づくりをしたり、ある程度分からなければ、ほとんど答えと言ってもいいヒントを与えたりします。

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子どもに主体性を求めることはもちろん大切です。山を越えたり壁を破らないと辿り着けないところがあることは知っています。ただ、それもタイミングかなと思います。

子どもにプレッシャーをかけてスタックさせてしまうよりは回転を止めずに、より楽しく、より長く机に向かっていたり、鉛筆が動いている、という状況の方が大切かな、と。なかなか心に余裕がなくて、そこまでできないことも多いのか悲しいのですが。

学ぶことが楽しい! 作ることは嬉しい! となってほしい、といつも思っています。甘やかしに見えても。

さて、それでは前置きはこのくらいにして、読書感想文、実践編のスタートです。より具体的に書いていこうと思います。

まず、本選びに御用心、という話は一つ前のエントリーで書きました。良い本を選ぶことが大事です。その際の選択基準としては、以下のようなことが挙げられます。

●感想文を書く人が前に読んだことがあって、良い印象を持っている
●感想文を書く人が抱えている問題意識やジレンマをメタフィジカルに物語化している
●感想文を指導する人も読んだことがある

上記の状況が作れるのが望ましいわけですが、これは、なかなかハードルが高いかも。親にも子にも基礎的な読書量がある程度求められる条件ですよね。でも、そうでないとよい本を選ぶというところまではいかないかも。

僕とミナコさんは読書好きなので、玄が小さい頃から、本を読むことにはかなり力を入れてきました。基本的に読んでほしい本にはなるべく触れられる環境作りもしてきました。読書感想文には親にも子にも数年かけた基礎的な読書体力がものをいう、ということはあるんでしょうね。やっぱり、読書は大切です。

だから小さい頃からの読書は読書感想文にはかなり有効です。ってこれは当たり前か。読書感想文のために本を読むわけではないのですが、本を読む習慣をつけることは、将来にわたって子どもにとってかなり有益なものとなるはずですので、小さいお子さんをお持ちの親御さんは騙されたと思って、ぜひトライしてみてください。そして、あなたもより多くの本を読んでください。

ここまで書いたように、本選びにはこれまでの読書経験が非常に助けになるわけですが、では選べる本が豊富にあるとして、その中からどのように本を選ぶのか。そこは対話を用いて選別していくといいと思います。

子どもが今、何を考えているか、そして何か問題を抱えていないか、問題を抱えていないのならば、何を求めているのか、どうありたいと考えているのか、好きなものや、好きな考え方は何か、もしくはどういうことに感動するのか、それを把握することが大切です。

そのためには対話です。対話をするためには当たり前ですが、同じ時間を共有する必要があります。僕は幸い玄とは趣味が近いので、映画を見たりテレビを見たりでかなりの時間を過ごすことができます。そして、一緒に歩いたりして、とにかく一緒にいて、子どもが何を考えて、何を感じているのかを対話から導き出し、知ることです。

子どものことが分からないという人もいるかもしれません(そういう人は少ないといいと思いますが……)。それであれば、今がチャンスなので、これを機会に子どものことを分かるようになるといいと思います。いろいろな親子関係があるので一概には言えないのですが、子どものことが分からなかったり壁があるように感じているのであれば、まずは、こちらから自分のことを分かってもらうにはどうすればよいかを考えてみたらいいのではないでしょうか。

子どもの抱えている気持ちが分かったら、それに寄り添う物語を探していけばいいのだと思います。玄と僕の場合は、仕事や塾に時間を取られて、生活が楽しくなくなっている、という問題意識があったので『モモ』という選択になりました。『モモ』は世界的な児童文学なので、基礎知識、教養として触れてはいたわけですが、今のような状況になってくると、そのテーマが我々の生活に強くフィットしてきたといえます。

実践編とか言っておきながら、観念的な話ばかりをしてしまっていますね。そろそろ実践的になっていきますので、ご容赦ください。

納得いく本をしっかり選べたら、まずは複数回読むことが大切だと伝えます。1回目はあらずじを理解するためにとにかく楽しみながら読む。2回目は自分の問題意識と比較しながら構造的、分析的に読む、ということを勧めます。2回目は付箋を脇に付箋を置いて、何か好きなセリフや気になるシーンに付箋を貼りながら読むとよいようです。後から引用するときに役立ちます。

本当はその後にもう一回楽しみながら読む、というのが入るといいのですが、なかなかそこまではいけませんよね。でも、同じ本を何回も読んで理解を深める体験をなるべく早い段階でやっておくのは、その子ののちの人生に与える影響が大きいと思います。

そして、1回読み通したら、2回目を読み始めたところで、対話を始めましょう。これも1日のうちのどこかのタイミングで時間を決めてするといいと思います。僕らは夏休みの初めから毎朝1時間くらいのウォーキングをしていたので、ちょうどよくその話をする時間が作れました。

ここでは、本の内容を身体に入れる、という感じを持つことが大事な気がしています。本が手元にない状態で、どういう話だったか、とか、特定のキャラクターの考えていることや行動、セリフなどを思い浮かべて、現実の世界の中で話し合うことは、本の物語が何を表しているかを分かりやすくしてくれます。イデアに迫る行為、といえます。

『モモ』でいえば、時間どろぼうが盗んでいたのは、本当は何なのか、とか、ベッポが語っていることは、現実世界ではどういうことを表しているのか、とかそういう対話です。

ここから、自分らが抱えている問題点を具体的に物語に沿って考えるというステップを踏みました。物語の中ではキャラクターの心の葛藤が描かれているので、それを当てはめることで、お互いが口に出せないジレンマを共感できるようになってきました。これは、かなり感動的なプロセスです。ある種の自己開示が作品を通じて実感として顕現した感じがします。

さて、ここまできたら、かなりお話については理解が深まっているので、書き始める準備は整ったといえます。しかし、1200字、原稿用紙3枚というのは子供にとって圧倒的な文章量です。そのプレッシャーをどうにか減らしてあげる必要があります。

書くべき内容が頭の中にはちゃんと入っているのに、それが、原稿用紙3枚という、量に押し負けてしまいかねないのです。

ここからはかなりテクニカルな話になります。まず、とにかく3という数字が大事だと伝えます。いわく「導入」「展開」「まとめ」です。全体をこの3つに分けて、構造的に書くことを伝えます。

『モモ』自体も3幕構成になっていますので、それと同じこと、と伝えるのも有効でした。また、玄の好きなバックトゥザフューチャー(BTTF)を例にとって3幕構成について説明したのも有効でした。

ちなみにBTTFでは、ドクが打たれてマーティが過去に戻るところまでが第一幕、ジョージとロレインがキスをして、マーティが生まれるように未来の軌道修正がなされたところまでが第二幕、それ以降は第三幕という構成です。

玄とはBTTFのカット割の勉強会をしたのがいきました。あとはグレムリンでも同じような例示ができました。

さて、3部に分けることを書き手が理解したら、次は構想メモを作らせます。紙を3枚用意して、上に大きく①、②、③と書き、①の導入では本を選んだ理由とあらすじを書く、②の展開では本題として、これまで話し合ってきた問題意識について、物語の内容を引用するなどしながら説明していく、というところまでを説明します。

③にはまとめの内容をメモする予定ですが、ここは②を書きながら考えよう、ということにして、まだ書かなくてもよい、ということにします。

これはちょっと手前でストップして、全体の中での分量を少なく感じさせるテクニックでもあります。後は、あまり先までガチガチに考えすぎてしまうと方向修正がしにくくなることもあるし、それよりも書きながら考えることも大切なんだよ、と伝えることにします。

で、ここで大事なのは1200字という文章量に対するアプローチです。実際に『モモ』で、二人で話し合ったようなことを説明していこうとすると、1200字とかはあっという間に埋まってしまうのですが、その感覚って子どもはもてないものなんですよね。

そこは①の導入を書きながら実感させるように工夫します。まず、導入には本を選んだきっかけや理由とあらすじを書くわけですが、その内容について、どんなことを書くか箇条書きにメモをしたら、まずは真っ白なマス目のない紙に、思うがままに書き出させてみます。

ここからは実際に手を動かす作業になるので、子どもの集中力が続くように手が止まらないように、声がけをしながら進めることが大切だと思います。

で、白い紙にある程度書かせたら、それをチェックして、句読点やてにをは、漢字のとじ開き(書けるはずの漢字が平仮名になっていたら、なるべく自力で調べて書き直させる)を調整します。その後、それを一度、原稿用紙に書き出させます。これをやると、どのくらいの文章を書くと原稿用紙の半分だな、とかそういう感覚が身体に入ります。

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で、ここで①導入について、構想メモ→白い紙に書き出し→父の校正→原稿用紙に下書き、というプロセスが踏まれました。

ここからは分業になります。玄には②の展開について、構想メモを作って、白い紙の書き出しをするところまでに手をつけさせます。

その間に父は①の原稿用紙下書きに校正を入れて、それをさらに楷書で白い紙に書き出します。ここで父が一度書き出すというのが、結構大事で、子どもだけが書き写す大変さを味わっているのでなく、一緒に作業に取り組んでいる、ということを示すことが大切と思っています。それだけでなく、子どもはプロの校正を見てもどう修正してよいかは分からないので、分かりやすくしてあげる、ということもあります。

何より、書き直すことでキレイな原稿になっていく気持ちよさを感じてほしいということもあります。この清書については僕は星新一が常に清書した原稿で入稿していた、という故事に倣ってのことでもあります。

父が校正→書写しをしている間に、玄さんは②展開の構想メモと白い紙に書き出ししているので、ここからはまた、①と同じプロセスで、父の書写しまでを進めます。

そしてその間に玄は①の導入を本番の原稿用紙に清書するのです。①の清書が終わったら、まず褒めます。そして、漢字や句読点などの微調整をして、これで1/3が終わったね、と全体のゴールを想起させます。


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ここまで来ると③のまとめにどのくらいの文章が書けるかが分かってくるので、②の文章量を調整するなどしながら、全体を調整していきます。

父の書写しで、不要な部分などを削ったり言い換えを行ったりしていきます。

玄の原稿ではあっさり目に書かれているベッポの部分ですが、実は初稿では、ここにはベッポの台詞からの引用があり、そこでは、道路整備をする時には、全体を考えてしまうと、果てしなく感じられてつらいので、そうは考えないで、常に次の一歩、次の一呼吸のことだけを考えながら進めるんだ、そうするといつのまにか全部終わってることがあるんだ、みたいなことが書かれていました。

そこは引用しちゃうと文章量がオーバーしてしまう、となったので、そこで玄にとって初めて1200字は短いのかも、という気持ちが生まれたのでした。それ以外にも、ミナコさんが中学生の時に同じ本で読書感想文を書いたエピソードとか、まとめのところでもう2行くらい、余韻のテキストがあったのですが、その辺りも削除しています。

お陰で結構、キレのいいざっくりしたまとめになっていると思います。

③のまとめのところは、本当に数行くらいしか残っていなかったのですが、一応、白い紙に書かせて、父の校正をして、そのまま本番の原稿用紙に書かせました。

最後に清書したものを一度音読して、最終の父の校正を入れて修正したら完成です。

なかなか時間をかけました。僕としても振り返りのテキストを2回にわたって書きました。今回も5000字を超えましたので、全体では10000字を超える振り返りとなりました。

ちょっと一般的ではないかもしれないですが、丁寧に向き合うとこんな感じになるのかなと思います。

今、世の中は本当にひどいことになっています。メンタリストみたいな有名人がホームレスは死んでもかまわない、みたいなことをしたり顔で言っちゃうくらいひどい。謝罪はしたみたいですが、それでも、そういうことを平気で言いかねない人が勝ち組みたくなってしまうのは憂うべきことと思います。

そこに何ができるかとなれば、よく考えること、丁寧に物事に取り組んで、自分で正しさに向き合うことと思います。そこに役立つのはやはり読書だと思います。良い本を読んで、誰かと共感して、問題に向き合うこと、そういうプロセスを時間の無駄とか、言っちゃう奴らこそ『モモ』でいう灰色の男たちなんだと思います。

ここで踏ん張らないといけないな、と強く感じています。

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