見出し画像

19歳、思想を綴る。

言葉というものに、書くことに、伝えることに真剣に向き合うようになったのは未明という名前でTwitterをやるようになってからだった。
元々文章を書くのは好きだった。小学3年生の時に担任に作文を褒められ、初めて自分の得意分野を見つけた。本好きが高じて中学生になった頃から拙いながらもいくつか小説も書くようになった。高校生になって未明という名前でTwitterやnoteをやるようになり、そこから言葉だったり伝えることの意味だったりをちゃんと考えるようになった。短歌を詠んだり、誰かの文章を読んで言葉の紡ぎ方に感動したり、好きな言葉を集めて宝物みたいなノートを作ったり。今となってはこういうことに惜しみなくエネルギーを使えた頃が羨ましく感じる。


10代最後の今日は、自分がこれまで書いてきた文章やそれに閉じ込めた想いや思想に向き合う日にしたい。その中でも特に小説について書きたい。わたしが未明として書いた小説。いまのわたしが書いた時の心境を覚えていても、いつか忘れてしまうかもしれないから記録も兼ねて書いておきたい。

お気に入りは『春はあけぼの、入水自殺。』ふぉろわーからも結構好評なのでうれしい。
燃え尽き症候群の成れの果ての姿を書いた。自分で言うのも変だけど、青春の明度がやたら高い描写に憧れと絶望が透けて見えるのが好きだ。
必死に託した希望が終わりを迎えて、生きてく理由をなくして、たどり着いたのが高校の制服を着て母校のプールで死ぬ事だった。けど今でもわたしはあれをバッドエンドだとは思っていない。
わたしもこの主人公と同じだった。ここを乗り越えたら大丈夫。中学のことを全部忘れちゃうくらい楽しい高校生活にする、絶対に。逃げ場のない中わたしが考えていたのはそれだけで、さらにその先の未来に思いを馳せることはできなかった。たった3年間しかない高校生活に重いものを乗せすぎてしまったせいで、卒業した途端燃え尽きてしまい、なにもできなくなった。
それでもどうにか生きていかなければならないのが人生で、わたしはただそれを受け入れるしかなかった。簡単には死ねないし簡単には逃げ出せない。眠れば当たり前のように明日が来る、時間は絶対に戻らない。ならばせめて彼女だけは安らかに死なせてほしかった。奇跡的に息を吹き返して生きていることの素晴らしさに感動する、なんて教科書通りの結末はいらなかった。これはわたしのための物語だったから。
読み返して思うのは、やっぱり10代で一番綺麗だったのはこの時だったんだなということ。高校3年生の3月。うまく言えないけどあの時のわたしは全部を持っていた。綺麗なものも綺麗じゃないものも全部。あの時以前のわたしも、今のわたしも絶対に手に入れることができない圧倒的な光と、それについてまわる影。死に一番近い季節だった。

『暴力的な』は突然込み上げてたドス黒い衝動をうまく処理できず、咄嗟に殴り書きした文章が結果的に小説になったものだった。万引きや盗癖の部分はもちろんフィクションだけど、この主人公もわたしそのものだ。無価値感、生きてることへの罪悪感、自分への失望。何度打ちひしがれてもどんなに死にたくても何も出来なくて、何も変われなくて、それがまた負の感情を招く。物語の着地点がわからないまま筆を走らせていたけれど、結局どこにもたどり着けないまま終止符を打った。

現実と対峙したくない、自分事として認めたくない。ならば知らない誰かのことにしてしまおうと逃げるような気持ちでわたしはこの二作を書いた。
少し話が変わるけど、わたしは自分が感じたことや心の動きを文章に起こすことも翻訳の一種だと思っている。ただ残念ながら言葉はそこまで万能ではない。全ての感情に名前があるわけではない。どれだけ語彙がある人でも言語化には限界がある。あの時のわたしの悲しみは底がなくて暗くて深くて、もっと切実だったのに。あの時のわたしの感動はこんなありふれた言葉で言い表せるものじゃないのに。こんなふうに悔しくなったことが何度もある。
だからストレートに言葉にするのをやめて、知らない誰かの物語を作ってそこに自分を投影することにした。あの時のわたしにとって小説を書くのは目的じゃなく楽になるためのひとつの手段だった。

だから最後に書いた小説が『絵海』でよかったと心から思う。ちなみにタイトルは「えみ」と呼んでいます。主人公の名前のつもりでこれにしたけどこれは正解じゃなくてあくまで解釈のひとつだと思ってね。色々な解釈が生まれる楽しみをなくしたくない。
現実には絶対にありえないような綺麗な世界を書きたかった。透明な夢を描きたかった。彗星、暗号、紫陽花、イチゴ味の棒付キャンディー、ビー玉、海、ガラケー、スケルトン、リボン。好きなものをチグハグに組み合わせていくと思った以上にファンタジーな展開になり、こんなにロマンチストだったっけ?と自分で驚いた。
夜が明けて夢の痕跡が消えていく様子を書くのは辛かった。本当はわたしの代わりにずっとこの夢を見ていてほしかった。大切に大切に閉じ込めて永遠にしたかった。なのにそれをしなかったのは、このままじゃ変わることはできないと気づいていたからかもしれない。存在しないものにわたしの幸せを預けることはできなかった。結果でしかないと言われたらそれまでだけど、正しかったと思う。
また次書く時はわたしとは真逆の人を主人公にしたいな。物語を書くことを純粋に楽しみたい。

ここ数年でnoteに対する向き合い方がかなり変わり、自分の考えや思想を記録することが目的になってきた。
数年後のわたしには書けない「いま」が、今のわたしじゃわからない19歳としての感性がここにある。この先いつかこれまで書いてきたものを見て気づくことがあるかもしれない。昔はきっとこういうこと思わなかっただろうなぁというような漠然としたものではなく、もっと輪郭を持った明確な何かを残しておきたい。いつでも思考の軌跡を辿れるようにしておきたい。わたしはきっと、未来へと自分を繋ごうとしているのだと思う。ある意味、タイムカプセルみたいなものなのかな。

もっとわたしは今や未来に向き合って生きるべきだと思う。過去を取り戻すために大人になるんじゃない。もっともっと、色んなものを切り拓いていける気がする。
もう今は去年のように「幸せになるのが怖い」と思うことはない。死が救済と言われるこの世の中で自分の人生を諦めずに生きたいと思えるようになった。諦めることばかり学んできたけれど、本当はまだなんでもできるんだ。なんだってできるんだ。それだけの余白がきっとまだある。

余白

いつか10代を振り返る時に、あの時はホントに子どもだったねとか若かったねとかそういう言葉を使いたくない。多感な年頃とか思春期とか「そういう時期だもんね笑」ってありふれた言葉で括って自嘲して笑うようなことはしたくない。簡単に言語化できちゃうようなものじゃないよ。真剣に悩んでぶつかって過ごした時間やその時感じたり考えたりしたことを、未来のわたしとはいえ他人が笑っていいわけがないのに。

冬がはじまるよ

ここ数ヶ月のnoteでも特に好きで、忘れたくない文章。目印にして、迷ったらまた読み返したい。この先いつかこの文章が綺麗事に感じてしまう日が来るかもしれないけれど、今のわたしにとってはお守りだったこと、忘れないで。
じゃあね、19歳のわたし。ありがとう。愛を返せる大人になろうね。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?