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みなさん、豚汁に思い出ってありますか?いや、思い出の味ってありますか?


私は好きな食べ物を聞かれたら、「豚汁」一択である。自他ともに認める豚汁好きだ。

私が帰省をすると夏でも豚汁が出てくるし、私が豚汁豚汁言っていたので正月に友人の家に行った時のおもてなしも、豚汁だった。


東北地方では、「芋煮会」という季節行事がある。Wikipediaでは「芋煮会」を以下のように説明している。

日本の山形県や宮城県など東北地方各地で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグループで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。


そんなわけで、遠足があれば芋煮をしたし、スポーツ大会では保護者が大鍋で芋煮を作って配布していた。私のところの芋煮は豚汁のことを指すことが多かった。


豚汁は日本の方であれば、比較的なじみ深くて、嫌いな方は少ないと思う。


季節柄、豚汁のことをしみじみ考えていたらnoteにそのことを書いてみたくなった。そして、せっかくなら豚汁にまつわる小話も。



2011年の3月、私は大学が春休みに入ったので宮城に帰省していた。翌日に東京へ戻る、という日に、美容院で髪を染めている途中で、凄まじい揺れを体験した。

(※震災のこともおいおい書いていきたいと思います)

私は4月の頭くらいまで実家で過ごすことになった。上京してからこんなに長く実家に滞在したのは初めてだった。ホームシックなどなかったが、正直もう少し家族といたいと思っていた。不安だったのだ。家族を置いて1人で帰っていくことが。


ライフラインは全てストップ。電気はつかず、水も出なかったと思う。ガスコンロの火はかろうじてついた。母の判断で、IHにしたのは1階のコンロだけだったので、2階はガスコンロのままにしてあった。ナイス母。

それにしても、文明の利器を失った人間は無力だ。原始時代である。何もすることがなくて、20時には寝ていた。灯がないので夜はキャンドルに火をつけていた。


しかし、こんな時こそ生きねばならぬ。

腹が減る。私は、我が家の存続をかけて、大量の豚汁を作ることにした。


農家なので野菜は十分すぎるくらいあった。地域の方々にもおすそ分けできるくらいあった。


私が料理番をしていると、父が見知らぬ方々を連れて帰還した。自営業をしていた父は、震災で家を失くした従業員を我が家に避難させていた。父のそういうところは尊敬に値する。


私が東京に帰ってからの後日談だが、父はその後、見知らぬ犬も連れて帰ってきた。

ラブラドールレトリバーをダンプカーにつんで。父は犬が嫌いだった。その前に飼っていた犬の世話をしているところは一度も見たことがない。嫌いなのに、大きな犬を連れてきた。そんで、

「これうちで飼ってもいい?」と聞いたそうだ。

祖父母も、母も、総ツッコミである。

いい返事をもらえなかったので、父は寂しげな表情をして首をかしげ、犬も同じように首をかしげていた。らしい。

避難所生活になり犬を飼うことが難しくなった知人から預かった犬だった。父が説得したわけでもないが、我が家の家族として迎え入れるのにそんなに時間はかからなった。

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話が脱線したが、父はとにかく困っている人、困っている犬のことを、放ってはおけない人なのだ。


従業員さん、知り合い、遠い親戚、たくさんの人が父の誘いで我が家に集合して、豚汁を食べていった。

普通の豚汁だけど。その時の光景を表すなら、「団欒」かなぁ。いや、「幸せ」かなぁ。はたまた、「豚汁」か。


そうか、味だけじゃないんだ。

その時の情景をひっくるめて、私は豚汁が大好きなんだ。


内容がない話ですが、みなさんにもそういう思い出の味ってありますかね。



あとがき

今年の夏、私はとある料理研究家さんのレシピで、最高に美味しい豚汁を作り、家族に振舞った。芋は入ってないレシピけど、もう本当に美味しくて、おしゃれで、お酒好きな人は絶対好きだと思う味だ。私が感想を迫ると、


弟「美味しいね。でも、じゃがいもが入ってないよ」

母「そうだそうだ、なんか足りないと思ったんだ」

弟「芋のくずれたのが美味しいんだよね」


私「あっ、芋ね、わ、わ、わっすれってたぁ〜〜⭐︎(汗)」



大人になってからついた一番しょうもない嘘である。

しかし、さすが芋煮の文化人。

私は東京に出て、豚汁ソウル、芋煮ソウルの初心を忘れていたようだ。成り上がったものである。

(※その料理家さんは、芋を入れても美味しいと、ちゃんと言ってくれているので私のチョイスの問題です)


この秋また初心にかえり、豚汁と向き合いたいと思う。



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