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私の場面緘黙症について

 場面緘黙症啓発月間ということで、私の幼少期から今までの経験を書きます。現在の情報を最初に書いてから、始めます。


・2006年2月生まれ
・3歳から場面緘黙症があり、16歳頃からうまく付き合えるようになった
・将来は緘黙の方のお手伝いがしたいと思っている


幼稚園時代まで

 親と一緒に通う、プレ幼稚園では話せていたらしいです。その頃だけ幼稚園が一緒で、私が入園する前に転園した子とはまだ友達で、ずっと話せているのが大きな証拠だと思います。3歳で場面緘黙症を発症したので、年中から幼稚園に通いました。3歳前後の記憶はほぼなく、きっかけなどは覚えていません。
 年中のはじめは緘動も強く、食べる、トイレに行く、連絡帳を出すなど最低限必要なことも、遊ぶこともできませんでした。毎日のようにトイレは失敗していたし、お弁当もほぼ食べずに帰っていました。
 年長になって、運動会で1人ずつ跳び箱を跳んだり、劇でセリフは言わない(友達と一緒に言うことにしてある)ものの動いたり、卒園式で名前を呼ばれて手を挙げたり、声を出すこと以外はいろいろなことができるようになっていました。

小学生時代

 入学してすぐは、毎日泣いて通いました。しかし昼休み辺りになると、不安だったことも忘れて、同じ幼稚園だった子や、友達になってくれた子と遊んでいました。水泳が苦手で、はじめは潜ることもできなかったけど、夏休みの補習で、1年生の目標である5メートルか10メートルを泳ぎ切りました。
 2〜4年生のときは、友達にたくさんの力を借りていろいろな活動ができていました。4年生のとき、担任の先生がみんなの前で国語の要約文を褒めてくれて、文章をよく書くようになりました。
 5年生のときのクラスは、"全員が友達"のような雰囲気で、みんなが話しかけてくれて、「みんなが自分のことをどう思っているのか分からない」と先生に相談しました。良くも悪くも、周りを気にするようになり、みんなの席に配り物を届けたり、朝の時間に提出物を出席番号順に並べたりしていました。
 6年生では、教室でグループができたり、先生の好き嫌いがはっきりしてくる子もいましたが、私はまだ幼かったので、あまり理解ができずにいました。1年生たちのお手伝いをしたり、5年生のときと同じように、友達と一緒に黒板を消したり、たくさんの"やらなくてもいいこと"をしていました。中学生になる不安などもあり、3学期から教室に入れない日も出てきました。それでも友達や先生の力を借りて、卒業式では、返事を友達が代わりに声を出してくれるように頼んで、無事卒業しました。

中学生時代

 中1で卓球部に入りました(このことは別で詳しく書くと思います)。思い通りにいかないことに嫌悪感を抱いたりして、教室に入れないときもあったけど、特に困ることもなく1年を終えます。
 夏休みの部活に行けなくなって、2学期が始まって教室に部活の子がたくさんいるのが苦痛で、中2の学校にいる時間の半分ほどは別室にいたときがありました。別室には、先生に言ってから行く決まりがあったのですが、話しかけることもできないため、何も言わずに行っていました。筆談をしていると一生それに頼って話せないと思っていて、それを否定してくれる人もいなかったので、筆談はほぼしませんでした。別室以外で笑うことがありませんでした。
 中3の1年間で、筆談ができるようになりました。別室には一度も行きませんでした。部活の最後の大会は、三密回避で団体戦がなくなって、個人戦だけになったのが悲しかったです。進路に悩んで、高専に合格しました。卒業式の1週間前に、一度だけ「さようなら」と言えて卒業しました。卒業式の返事は、先生に「誰かに頼むとかやめてくださいね」と伝えて、自分でしようとしたけどできませんでした。
 部活ではほとんど動けていましたが、体育の時間は3年間でほぼ参加できませんでした。

高校時代

 高1のときは高専に通いました。入学式のあと自己紹介ができなくて、「ここでも声は出ないままか」と期待が崩れてしまいました。新しい環境で慣れるのに時間がかかり、教室にも入れず、緘動の症状も強く出ていました。授業に出席できなかったため、進級できなくなり、年度が変わったら通信制高校に転校することと、転校する前にクラスのみんなに自分から思いを伝えることを決めます。作文を書いて、読む練習をしていると少しずつ話せるようになりました。最後に教室で作文を声に出して読むこともできて、通信制高校に転校しました。
 高2では、また新しい環境に苦戦しましたが、生徒会に入って活動したり、英検の面接に行って1回で2級に合格したり、文化祭の実行委員をしたりして、自分のペースで生活していました。
 高3になった途端に、いろんなことが重なって登校どころか何もできなくなり、勉強もできなくなったため、次の年から大学に行くことは諦めました。年度の後半は文化祭の実行委員にまた入って、委員長を支える立場になり、話し合いをまとめたり、準備の日に大勢に指示を出したりしました。卒業式で返事もできて、2024年3月に卒業しました。

現在

 今はほとんどの場面で話すことができますが、話し始めに時間がかかったり、はじめの音を何度か繰り返さないと言葉が出てこなかったりします。アクセルになる話したい気持ちと、ブレーキになる体が動いてくれない感じを同時に踏んでいる感覚で話しています。目が合うのが苦手で、うつむいて話します。家で話すように話せないときもありますが、話すのが好きで、ずっと「話したい」と思っていたこともあり、どんな方法でも誰かと話すのが楽しいです。
 場面緘黙症を克服したというよりは、「うまく付き合えるようになった」だけだと思っています。
 私が話せるようになったのは、紛れもなく周りの支えがあってこそだと強く思うので、場面緘黙症の人が支えてもらえる社会になるように願っています。

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