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自分を自分で傷つける

霜月です。
タイトルでお察しと思いますが、いつにも増して闇しかありません。話の流れ上、少しだけ時事的な点も含みます。
無理と思われたらバックして、もっと素敵で幸せで楽しい記事を読んでくださいね。

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月曜にカウンセリングと診察を受けた。カウンセリングは話しやすい印象の同世代と思われる女性。
初回だからか基本的な情報収集みたいな感じの話で、わたしがしっちゃかめっちゃかに喋ってしまったこともあって40分があっという間に過ぎた。いろんな面から一緒に考えていきましょうね、と言われて少しホッとした。

その後は担当医の診察。頓服の量を一応という体で増やしてもらった。
カウンセリングと診察はワンセットで、2週間に1回ペースの予定。そこまで目処が立ったので、翌日職場で上司に相談することにした。

事前に10分ほど時間が欲しいと伝え、週1のミーティング後にそのまま話した。
カウンセリングを受けることになった、頻度は変わるかもしれないが定期的に通う必要がある、そのために月曜は今のところ隔週で早退させてほしい。
こんなワガママを上司は二つ返事で了承してくれた。何のカウンセリング?と聞かれたので、メンタルの、特に聴覚の問題で、と素直に答えた。通勤もしんどいやろな、時差出勤とかでもあかんかな、と言ってくれた。
ちなみに時差出勤(9:30-18:00)は金曜に試した。通学の女子高生とダダかぶりして結局きつかったので、明日からは元の時間に戻そうと思う。

上司と話をつけた後、相方の事務さんにも話した。同じ内容の仕事をしているのが彼女とわたしだけなので、隔週の早退で確実に迷惑をかけると判断したからだ。
仕事は大丈夫なので本当に気にしないでください、霜月さん自身のことを何より優先してくださいと言ってくれた。うっかり泣くところだった。理解のある職場で幸せだと思った。

それなのに、他部署の人たちの話し声が、通勤での周囲の言動が、買い物に出た先の子どもの泣き声が、うるさくてうるさくて気が狂いそうになる。たまにトイレの個室から聞こえてくるトイレットペーパーを執拗にガラガラ回す人も正直意味がわからない。それにキレそうになるわたしもきっと他人から見れば意味がわからないんだろう。
歩道を爆走する自転車に当たられそうになったことも一度や二度じゃない。怒りより恐怖が勝って、歩道の端を歩くようになった。それでもわざわざ端を歩くわたしと壁や店との狭い隙間をすり抜けていく。どこを歩けばいいんだ?壁と一体化でもすればいいのか?

家に帰っても、主に父が苦手だ。嫌いではない。ただテレビを見ていて急に大声で文句を言ったり、パソコンを弄っていてキレだしたり、スポーツ観戦していてお前は監督か?みたいな偉そうな言葉を吐いていたり。

先日は首相の御子息が公用車で観光した疑惑のニュースに、わたしがそれはあかんやろと言ったらなんであかんのと返され、わたしなりの理由を話してもその認識は違うやろと否定された。報道の内容を聞いた妹がそれはまずいなと言うと、それはそうかと納得していた。その違い、何なん?

もうニュースを見て自分の意見を言うことも嫌になった。というか家で喋りたくなくなった。
だから同性婚差別問題に対して、オフレコ取材で言ったことやのにこの人も気の毒やなと父が言った時、わたしは何も言わなかった。何も言わなかったけど、内心許せなかった。今も許せない。
わたしは同性愛者ではないが性的マイノリティではある。だからこそ、いくらオフレコとはいえ、公人がそんな発言をしたのに何が気の毒なのか理解できなかった。今回のことは、差別発言をした当人だけの問題でもないと考えているけれど。

死にたいわけじゃない。消えたいわけじゃない。生きたいのに、その生きることがあまりにも苦しい。
キレそうになる、暴れそうになる、叫びそうになる。そんな自分を抑えつけたくて、正気を保ちたくて、左手首に爪を立てる癖がついた。血は出ていないし翌日には薄くなっているけれど、最初は意識してやっていたことが今は無意識に右手が動くようになっている。

木曜、職場で誰も見ていない時、気づいたらカッターを手首に当てていた。何かの作業で手にした共用カッターの刃が自然と自分の左手首にあった時、心底ゾッとした。慌ててカッターを定位置に戻し、自席のカッターはデスクの引き出しに仕舞った。
金曜の朝、母にきつい言い方をした自分を許せなくて、自室でシャーペンで左手首を刺した。どっちも血は出なかったけどもうダメだ、そう思って自室のカッターも引き出しに仕舞った。とにかく刃物を遠ざけないといけないと思った。
最終的に自爪があるのでどうにもならないのだけど、少なくともそれより鋭利なものを遠ざけることはできるし、しないといけなかった。

誰にも言うつもりはなかったけれど、今日母に刃物を使うのが怖いと話した。さすがにカッターやシャーペンのことは言えなかった。
母は強く強くわたしの両手を握りしめて、あんたが自分を傷つけないで済むならお母さんがいくらでも握っててあげると泣いた。わたしも泣いた。ぼろぼろに泣いた。

昨日も今日も休みだったけど、出先でやっぱりダメになってしまって頓服のお世話になった。
自分を傷つけてしまうことが聴覚過敏と同じぐらいつらくてどうにかしたいことになっているから、次のカウンセリングで相談してみる。

同じように苦しむ誰かの助けになりたくて、ジムに行く時はこの自販機でお茶を買う

今日も1日生きた。ひとまずはそれでいいと考えることにする。

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