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人生の転機

あの時が人生の転機だったな。
そう思うようなエピソードは皆さんにはありますか?その日を境に行動が変化していくような人生の転換点。


そんなことあったかな・・・?

自分には無いよと思った方も、是非思い返してみてください。
きっとあります。
そして、そのエピソードの中には自分らしさ、他人とは大きく違う性質が隠れていることに気がつきます。
探し方は簡単。
環境が変化したタイミングに転機はやってきます。
その時のことを思い返して文字にするだけであっという間に転機が見つかります。
転機は誰にでもあり、そこにはあなただけのアイデンティティが詰まっている。


平々凡々に見えるあなたの人生は、他人からみたら最高にインタレスティングでクレイジーな物語かもしれません。

今回は試しに私の物語を書いてみます。
少しの間、覗いてみませんか??


好きなことを探して服屋に飛び込む

好きなことしてお金稼ぎたいなー。
なんとなく、ただなんとなく将来のことを考えていた10代の私。
ハメを外しすぎ、気づけば高校を中退することになってしまった私。
19歳で通信制の高校をなんとか卒業。
半年はふらふらしてました。

テキトーにバイトして、瓦屋の仕事をして、同級生と遊んでボーッとして。
ある時屋根から落ちて、こんな仕事続けたくないなーと思って金沢で仕事を探しにいきます。

昔っから古着屋さんを回ったりして服見るの好きだったなーと思い、まちなかをウロウロして服屋探し。
一際ハデで元気の良い服屋を発見、それがSPINNSでした。

翌日には面接。
履歴書のPR案にはこう書きました。
「365日、24時間働きます」
モヒカンヘアーにアフロパーマをあてた私は、宝箱型のカバンからこのふざけた履歴書を取り出しました。



結果、それまでに20人以上不採用だったのにも関わらず、採用が決まりました。

採用理由は「パンチが効いていたから」だそうです。
イカれた採用基準だな、、
ノリとテンションで採用しても大丈夫?
でもありがとう。

その後モヒカンアフロの窪田青年はこの会社で6年間働くこととなります。


魔法のメモ術

これまで働いてきて、女性の先輩にこっぴどく叱られることなんてありませんでした。
ガソリンスタンド、ラーメン屋、クレジットカードの勧誘、瓦屋、、、
どこも圧倒的に男性が多い職場。
女性に叱られる耐性がついていなかった私は、たった3日で辞める決意をしていました。すぐにブチギレる喧嘩っ早い自分。
19歳の窪田青年の我慢メーターはあっという間に満タンの状態です。
もう無理!となったその時、初日から仲良くなった先輩と休憩がかぶります。

私「辞めます」
先輩「ちょっと待ってねー、良いこと教えてあげるから」
私「あの人ムカつくんで辞めますよ」
先輩「一週間だけでいいから、ムカついたことメモしてみて」
私「メモですかー?一週間だけでいいんですか?」
先輩「いいよー。そのメモを一週間後見返してみてね。そしたらね、なんでこんなことでムカついてたんだろう?って思うから」

まさかまさかでしたが、この方法で私はイライラする瞬間が減っていきます。
日に日に「なんでこんなことでイライラしてた?自分」と思うようになっていったのです。
この日を境にストレス耐性が日増しに上がっていきました。
少なくとも一瞬でブチギレしていた自分とはオサラバです。

すぐにキレて疲れてしまう毎日が変わった。


いかがでしょうか?
たったこれだけのことですが、私にとっては大きな転機でした。
とにかく自分の感情に素直な私。
それでいて相手の言葉も素直に受け入れる私。

この事から私は自分にも相手にも素直な人間だということに気づきました。



一人暮らしの喜劇

勢いで金沢に来てしまった。金がない。
引っ越し費用、家具、生活用品、全て0の状態で金沢に来てしまった。
勿論貯金なんてほとんど無い。
全財産10万円ほどで新生活を始めてしまったもんだからいきなり極貧生活スタートです。
初任給までとにかく耐えなければならない。

「生きろ。」
もののけ姫の名キャッチコピーが頭をよぎる。
まずは食費を削るところからだ。
なんとか耐え抜いてみせると覚悟して私はスーパーへ向かった。

そしてたどり着く。究極に安くて簡単な料理。
それがお茶漬けパスタでした。
ひと束数十円の激安パスタに永谷園のお茶漬けと醤油で塩分を追加して食べる究極にヘルシーなパスタ。
初めての一人暮らし、大した料理の腕も無い男が、手軽に簡単にすぐに食べられる料理として生み出したのがこのメニュー。

めきめき体重も落ち、頬がコケ出しましたが、なんとか耐えました。
バカな男子の無茶。
バカ丸出しのメニューだ。
おとなしくたまごかけご飯を食べろ!


活き活きできる仕事

一人暮らしのスキルは一向に上達しませんが、段々と仕事には慣れていきます。
Tシャツ畳み、声出し、呼び込み、掃除。
2週間もした頃にはすっかり慣れたもので、順調そのものでした。
そんなある日に初めての仕事をいただきます。

Tシャツの売場作り
初めて売場をつくらせていただくことになりました。
お店にあるディスプレイを片っ端から見て回って、倉庫に眠っている段ボールもビリビリ破ってお気に入りのディスプレイを探す。
アメリカから買い付けしたフィギュアや人形、ブリキ缶、ペンキ缶。
カラフルでパッと見ただけでワクワクするような売場を夢中になって作りました。
売場の土台ができ、お気に入りのTシャツを一番目立つ場所に1枚1枚配置していく。
テーブルの上だけではもの足りず、天井から何枚もTシャツを吊り下げ、ヴィンテージドナルドマクドナルドをシンボルとして吊りました。
こんなに自由で好きにできる仕事は初めて。
楽しい!

この時、初めて自分で仕事をしている感覚を得ることができました。
自分で考え、あーでもない、こーでもないと言って仕事をする。
私にとって人生初の自分の仕事(自分事としての仕事)を経験しました。

一つの仕事を本気でやる。
Tシャツ売場作りで私はその後、仕事が舞い込んでくる度に全力で応えるように変化していきます。
なんとなくこなしてきた自分とはオサラバ。
ハロー、全力少年。




ちなみに、初めての残業は、
ガラステーブルにペプシのフィギュアをひたすら並べる、でした。スターウォーズファンの店長さんが真顔で並べていたのを思い出します。。。
やっぱり少しオカシイ。ナイス。


0距離で怒鳴られてやっと気づく。私は未熟

さてさて、そうこうしている間にあっという間に2年が経過してしまいます。
モヒカンアフロも成長し、気づけば店長候補に。
諸先輩方を飛び越して入社から2年半で店長になることになりました。
しかし、この後からが地獄の始まりです。。。


メンズ服しか触ってこなかった私は、レディース服のことも雑貨のことも古着のことも無知のまま店長になってしまいました。
すると、どうなると思います?


実力も無く、歳も若い、22歳の店長。
人間力も無く、業務に追われてボロボロ。
店長という肩書きがついただけなのに、肩肘張ってうまくやろうとするが空回り。
あっという間にできない人間のレッテルを貼られてしまいます。
次第に人間関係も壊れていき、ある日主要メンバーに切り出されます。

「私たち、辞めます」
・・・私たち

お店の中心メンバーが辞める。
そうなったら最後。実力も無い、精神も肉体もボロボロの22歳の男子だけが残ることになってしまう。
もはやギリギリの状態です。
いっそのこと自分が投げ出したい程に追い込まれていました。


ここで転機が訪れます。
当時の私の上司、エリアマネージャーとのミーティングです。
荷物が届く勝手口で2人きり。
緊張感が走る中で、少しずつ私は話し始めます。
私の今の状況、精神状態、みんなに辞めると言われていること、、、
そして何よりも、私自身が投げ出しそうになっていることを伝えました。

うんうん、と頷いて聴いてくださる私の上司。
優しい言葉が返ってくると思っていた、、その時。


デコとデコが触れ合うぐらいの至近距離でこう言い放たれました。

「このシャバ増がっ!!何をうじうじやっとんのじゃ!自分が変われや!
顔面蒼白。
爆音で怒鳴られて硬直した私。
呼吸の仕方を忘れる程の恐怖。もはや立っているのがやっとの状態。
リングサイドからタオルを投げられるのを待つ意識の無いボクサーぐらい、一瞬で私の頭は真っ白になりました。

気絶寸前の私を残して上司はその場を去ります。

・・・たまらずその場に座りこむ私。
頭の中でぐるぐると思考が廻ります。
なんで?なんで怒られた?ここは助けてくれるところでしょ!
そもそも先輩が支えてくれるのが筋ってモンじゃない?
自分より3つも4つも上の先輩が何で何もしてくれねーんだよ!
頭オカシイ奴らばっかじゃねーか!!

怒りと悲しみで頭がパンパンになり、あっという間にパンクした私は、その場で冷静になってもう一度整理し始めます。
なんて言われた?
「このシャバ増がっ!!何をうじうじやっとんのじゃ!自分が変われや!
自分が変われ。
自分が変われと言われた。
そこでハッとします。

この一言は当時の会社で最も大切にしている意味がこもっていました。
「変容する」
相手を変えるのは難しい。しかし自分を変えるのはすぐにできる。
たった今から自分の意識、言動、行動は変えられる。
行動が変われば習慣が変わり、性格が変わり、運命も変わる。
相手に変わって欲しいと思うぐらいなら、自分が変われ!

怒鳴られた時と同じぐらいの衝撃が頭を駆け巡ります。

私の上司は普段からものすごく優しく、熱意のある方でした。
何よりも人の成長する姿を見るのが好きな上司。
そんな上司が初めて見る鬼の形相で私を怒鳴った。
あのシャバ僧発言は手を差し伸べて甘やかすのを辞めた瞬間だったのか。
私の成長を願い、嫌われるかもしれないという考えは置き去りにしてあの一言を放ってくれた。

ここで変わらなければ本当のシャバ僧だ。
負けてたまるか。


後日、一人一人、全員に謝りました。

空回りして迷惑をかけてしまった。
みんなが嫌う理由もよくわかった。
できないことを無理にやって失敗してしまった。
できないくせに店長ぶってすみません。
できないことだらけだから助けてほしい。
そして、ここまで一緒にやってくれてありがとう。
許してくれるならこれからも一緒に働いてほしいです。
お願いします。


一人、また一人と謝っていくうちにどんどん心が軽くなっていきました。
あの一言。
シャバ僧発言が私を変えました。
その後、何度も何度もスタッフとぶつかりますが、最高に良いチームができます。

誰かに変わってもらおうなんて甘い考えはオサラバ
自ら変容し、どんどん成長していこうというマインドに切り替わります。
ありがとう、シャバ僧発言。



めきめきと経験を積んだ私は2年後、
260坪というバカでかい新店のオープニング店長を務めることになります。
この時の大変さがマリオのステージ1だと思えるぐらい、次のお店は修羅の国と化します。

ざっとあげるだけでも寒気がする出来事が山積みです。
・経費を盗むスタッフ
・260坪の店にスタッフがたった6人
・商品をメルカリで転売するスタッフ
・鳴り止まない電話
・疲労骨折した足首
・ポケットにはいつもスニッカーズ
・人生最大の病み期、みんな消えてほしい

いろんなことがありましたが、本当に本当に多くの方に助けていただき、最後には笑って涙する充実した思い出がたくさん残りました。


修羅の国を切り抜け、私はいよいよこの会社を去ることになります。
それを決めたのも、修羅の国で育った最高のスタッフの一言です。
泣いちゃうのでここは割愛します。


さて。いよいよ現在に近づいてきました。
餅屋編へ突入です!


カルチャーを売る

ここまで長いことアパレル時代の転機を書いてきましたが、ここからは現在の話。
現在、私は家業の餅屋を継ぎ、独立してニュースタイル餅屋を営んでおります。
アパレルから転身し、なぜ家業の餅屋を継いだのか?
その答えもまた、アパレル時代に感じていたことがキッカケとなります。


皆さんは服を買う時に感動した経験はありますか?

よほどの事がない限り、感動はしていないですよね。
量販店が増え、画一的な服が出回っている現在はどこで買っても同じだと思っている方も多いと思います。
私自身もUNIQLOやGU、ZARAを頻繁に活用しています。
毎シーズン、トレンドが移り変わり変化するファッション業界において、ファストファッションのコスパは最強です。
安くてそこそこのクオリティで手軽に手に入る。
今やファストファッションを活用いていない人の方が珍しいですよね。
効率的な販売スタイル、安定供給、徹底したマニュアル。
アパレルは完全に工業化した。

では、販売員さんは一体どのような価値を提供しているのでしょうか?


当時の私はファストファッションに勝つ方法を考えていました。
残念ながら売上では到底敵いません。
クオリティはどうだろうか?そこでもやっぱりコスパでは勝てませんでした。
だったらサービスではどうか??
サービスであればファストファッションに勝てる。
しかし、一度体験したサービスはあっという間に当たり前化してしまいます。

では、私たちが提供できる価値って何なのだろうか・・?
堂々巡りで悩みに悩んだ末に辿り着いた答えはカルチャーを売るという事でした。

カルチャーを売る・・・
この服にはどんな背景があるのか?どんな文化圏で生まれた服なのか?どんな人たちに愛されているのか?これを着るまでにどんな物語があるのか?
そういう一つ一つにアンテナを立て、お客さんに提供すること。
それが私たちにできる価値の提供なのではないか??
ここに行き着いたワケです。


と、言いながらもこれは当時、会社全体に共有されていた考えです。
ですが、この意味を腹落ちさせるまで私は5年も時間がかかりました。
やっと腹落ちした私は必死に伝えようと努力しました。
商品、売場、マーケティング、サービス、全てがカルチャーを売ることにつながっています。

具体的にどんなことをしていたかというと。

スケーターファッションを流行らせたいと思えば、アメリカ西海岸と東海岸のファッションの違いを表現しますし、なぜその違いがあるかと質問が来ても答えられるように気候の違いや文化の違いも調べていきます。
その当時のアーティストやトレンドもおさえ、服だけではなく、映画や音楽、雑貨に至るまで、徹底的に揃えていきます。
それを商品、売場、マーケティング、サービス全てに落とし込んで徹底的に売り込見ます。
カルチャーを丸ごと詰め込んで売り込むこと。
これがカルチャーを売るという事です。
これを体験した人は間違いなく感動します。
実行するのはかなり難しいんですけどね。

店舗だけでやっても成立しない、商品だけでも不十分、マーケティングがうまくいかなければ波及していきません。
まさに会社全体でカルチャーを売ることに注力していました。

売るだけではなく、新しいものを生み出すこともしていました。
ディズニーランドやUSJに着ていく双子コーデ、グループコーデを流行らせたい。
そういうアイデアが出た時は、商品を作るバイヤーさんがみんなでディズニーへ行って現場の空気を堪能していました。もちろん全力で楽しんで。
そうして出来上がった商品を店舗のスタッフ全員がお揃いのコーデで出勤して売り込むこともしました。
全員で一つのムーブメントを作ってきたのです。
これがうまく行っている時は業績も絶好調。
みんな活き活き働いていました。

この経験が私にとってはかけがえのない財産です。
私はカルチャーを売ることへ没頭していきます、が。


ある日、ふと思います。
「私の一番身近にあるカルチャーを売りたい」
私が一番詳しくて、私が一番売りたいカルチャーって何だろうか?


答えは既に出ている通り。
私の生まれ育った環境、餅屋
私は餅屋のカルチャーを体感してきた。
物心ついた時から餅屋にいた。
初めてのバイトも餅屋だ。
よくよく思い返したら私は一番餅屋の文化について詳しい。
それでいて当たり前のように餅好きだ。
だったら売ろう。
私にはカルチャーを売ることしかできない。
私はカルチャーを作って売る事が一番好きだ。
餅屋のニューカルチャーを作って売るんだ!
そう意気込み、私は現在餅屋をやっています。


アパレルから餅屋に転職した私は、あたらしい餅のカルチャーを創ることを仕事にしました。
振り返ってみると多くの転機があり、今の私が形成されています。

みなさんにとっての人生の転機は何ですか?



おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました。
気ままにnoteを書き始めましたが、気づけば今回の記事が過去最高の文字数となりました。6948文字。

最後まで読んでくださった方は相当少ないかもしれませんが、読んでくださり大変嬉しく思います。
ありがとうございます!

コロナ禍、蔓延防止法にやられて売上は大失速の大赤字。
自分を勇気づけようと思い書き始めた今回の記事。書き始めた頃は心が病みかけていましたが、書きおわりには何だか晴れやかな気持ちに変わっています。

この記事がまた新たな転機なのかもしれません。

皆さんも一度振り返ってみませんか?

あなたの物語があなたの知らないあなたを教えてくれます。
重大な転機と共に。


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