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倒産確定の餅屋が、たった1年で復活した話

今思えば、どう考えても倒産確定の会社でした。
まさか、たった1年でここまで状況が好転するとは。
思い返してみると、あの日の強引な決断が全てを変えたということに気づきました。

この記事では、
倒産確実の餅屋が新業態へのチャレンジで奇跡の復活を果たしたことについて書いていきます。
波乱万丈、、というよりはもっと生々しい内容です。

しかし最後は現在に戻り、明るくハッピーに終えるのでご安心ください。

現在(2021年)の私は30歳の男性。
もちもなか源七という小さな餅屋の経営者です。
本記事にたどり着いたそこのあなた!是非最後までお付き合いくださいませ。

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資金ショート、銀行借り入れ不可、しかし新規出店

私は富山県でお餅屋を営んでいる30歳の経営者です。
実家が36年続く餅屋。
両親と私の3人で経営するちいさな餅屋です。
元々は従業員さんもいて、過去には年商1億円なんていう良い時もあったそうです。

しかし、2020年、春。ついに資金ショート。
資金が不足し、会社の存続が難しい状況のことです。
いわゆる、人間でいうところの血液が循環しない状態。

2期連続赤字という結果を出してしまったが故に、銀行からの借り入れもできない。
もうどうにもこうにも立ち行かないような状況となってしまっていました。
35年間製造小売業として一生懸命やってきたのに、これで終わってしまうのか。

資金ショートと借り入れ不可の状況。
絶対倒産確定。
残す体力は約2ヶ月分の微々たる運転資金。

しかし、その裏で私は強引に出店計画を進めていました。
富山県の中心市街地にある商業施設SOGAWABASE
この場所で新しい餅のスタイルをつくる。
そうしたらきっとうまくいく。
謎の期待と自信で強引に出店計画を進めていました。
もちろん資金なんてありません。
今だから言えますがこの時の私は貯金0円。
それどころか出店3ヶ月前まで資金調達の見通しも立っていませんでした。。

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皆が言う現実問題は、「しつこさ」でどうにかなる

2020年、両親からの承諾が無いまま出店計画を強引に進めていた私。
経費を削減し、在庫ロスを減らし、利益率の高い商品のみを売っていく。
当たり前を徹底して少しでも好転するよう努力していこうと両親は決めた。
そして、全従業員さんを解雇するしかない。ということも決定しました。

両親は出店計画など夢のまた夢だと。出店を諦めています。
現実問題として、資金が無いのに新規出店なんてできるはずがない。
出店の話をする度に喧嘩になりました。
険悪な空気、売り上げ不振からの焦り。

当時、両親は本当は背中を押したい気持ちでいたことを後々聞きました。
しかし、現実問題として資金が無い。
この現実が何度もブレーキをかけ、結果として喧嘩になっていきます。


どれだけ険悪になろうと、私は諦めませんでした。
せっかくのチャンス。二度と無いだろうと思った、最後のチャンス。
富山の中心市街地で注目を浴び、餅屋のニュースタイルを魅せる。
全身全霊を込めて、ドン底の今こそやってやる。
誰もが無理だと言っているのなら、尚更のこと。

絶対にやってやる、という気持ちだけで無理矢理出店計画を進め、
資金調達もできていないのに契約書にサインまでしてきました。


そして、開店3ヶ月前。
奇跡的に銀行からの融資が降りることになります。



そんな私も1度、心が折れたことがありました。

両親との険悪な空気の中、銀行3社からNOを出された時。
お金が借りられないのに契約書を交わしてしまったという恐怖で徐々に身体もおかしくなっていきます。
慢性前立腺炎という病気になり、夜中に何度も痛みで目を覚まし、四六時中トイレに行っては痛みに耐えていました。
自分を騙すことに無理がきていたのだと思います。
心が折れる音が聞こえました。


身体も心もおかしくなりかけていましたが、
なんとか出店に必要な資金を確保できました。

あきらめていたらそこで終了だったでしょう。


・自分に近しい両親に反対されても自分を信じたこと。
・強引に契約書にサインをしたこと。
・3回断られてもまだ銀行に行き続けたこと。

どれだけ現実問題が厳しくってもしつこく動き回ればなんとかなる
出店にこぎつけた私は、ついにまちなかでの出店を可能にしました。


開店初月で10000個売れた、もちもなか

もちもなか源七
私が代表として作った会社の名前です。

結局母体の餅屋の方での借り入れはできず、個人として借り入れをしました。
個人として借り入れをしようとしても3社断られました。
新規開業として認めてもらえず、母体の赤字があるからと言って、耳を傾けてくれなかった銀行もありました。
あの悔しい思いを僕は生涯忘れません。


なんとか借り入れができたのは開店の3ヶ月前。
心も身体もおかしくなってましたが、商品作りは順調に進めていました。
ホントに。どういう神経してたのだろう。

冷たくてもやわらかい、自社でしか作っていないお餅、芋かいもち
サクサクのモナカで挟んで食べる、もちもなか

自社の最大の強みのお餅を活かした、餅菓子の専門店。
○、△、□の形が可愛い、カラフルで新食感の商品が完成しました。


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2020年7月17日
いざ、開店。
かなりのドラマがこれから起きますが、その話は割愛させていただきます。。。

まさかまさかの初月で販売数10000個を超えました。
もちもなかが売れることにより、「このお餅は何だ?」という口コミが増え、
富山の絶滅した郷土料理、芋かいもちが認知。
おかげさまで実家の餅屋も繁盛。

無事に危機を脱して現在は両親が仲良く餅作りを継続できています。



そして、もちもなかは年間85000個売れのヒット商品となりました。

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「餅のニュースタイルを創る」私たちの挑戦

あと2ヶ月で倒産確定の餅屋。
最後のチャンスだと思い、反対を無理矢理押し切っての新規出店。

絶対にやると決めて挑んだ商品が、おかげさまで年間85000個売れました。

現在はもちもなかに加え、
お餅と餡子で作る「餅屋が本気で作った生餅アイス」も販売中。
コロナ禍で売上がジェットコースターのように浮き沈みしていますが、
それでもなんとか先月で1周年を迎えました。

出店を決めた時の反骨精神が効いているのか、
定番と言われるものをどんどん作り変えて提案しています。
餅のニュースタイルを創る
当店の出す餅菓子は反骨精神をどこかに隠し持ち、
あっと驚くような提案をし続けています。

チョコ×赤ワイン餡×いちご=パリパリ「いちごチョコ大福」
日本酒×トンカ豆×桜×ゼリー=余韻を愉しむ「さくら餅」
カルピスバター×時間経過×ぜんざい=三献茶「ぜんざい」
少しずつですが、ニュースタイル餅菓子を作ってきました。
そして、これからもどんどん創り続けていきます。

時には、
イメージしづらいからわかんない。
食べたこと無いから買わない。
普通のものでいいんだよ。
定番を作ってよ。
変なことやってるなー。
と、理解していただけないこともあります。
知らないから買わないという気持ちはわかります。
知らないは怖い、それが人間ですから。

しかし、ここまで読んでいただいた皆さんならお分かりいただけるかと思います。
私は逆境に立たされた時、反骨精神スイッチが入り、どんな状況だろうと無理矢理でも筋を通します。
しつこく、何度でもチャレンジします。
だからこの先もビビらず、どんどん新しいものを作るでしょう。


これがもちもなか源七の仕事のスタイルです。

私たちは餅のニュースタイルを創る仕事をしています。
時代が変わり、徐々に餅屋が絶滅していったとしても。
少しづつカタチを変えて後世に残る文化にしていくことを私たちはやっていきます。

もしかしたらまた、心が折れるほどの苦難が起こるかもしれません。
また、身体を壊してしまうかも。
その時はまた、奇跡をおこしてくださいね。
たくさんの方のちょっとした気持ちの変化できっと良いことが起きる。
また助けてください。


応援、お願い致します。


読んでいただき、有り難うございました!
ここで書ききれなかった別の話をまた書きますので、気に入っていただいた方はフォローお願いいたします!
スキ!も元気もらえるのでよろしくお願いいたします!笑

ありがとうございました!


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