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ひたひたに言葉を浴びる。等身大の「谷川俊太郎」と出会うひととき。

東京オペラシティアートギャラリーで催された「谷川俊太郎展」。

「二十億光年の孤独」でデビューしてから今日まで、詩人の先頭を歩み続けている谷川俊太郎さん。彼の暮らしに焦点があてられ、本人のコレクションや生活のお供とともに、いくつかの作品も展示されている。また、音・映像と詩がコラボレーションした展示もあり、言葉の可能性をたのしむ場所でもあった。


音のする言葉

足を踏み入れてすぐに出会うのは、音楽家・小山田圭吾さん(コーネリアス)とインターフェイスデザイナー・中村勇吾さん(tha ltd.)による特別コラボレーション出品。

タッタッタ、タッタッタとテンポよく身体に流れ込む言葉たち。どこか懐かしいその言葉は、小学校の時に教科書で読んだことのある「いるか」だった。

真っ暗な空間の中で、言葉のひとつひとつが声となり映像となり次々に切り替わってゆく。空間いっぱいに広がるそれらは、読むものでも聴くものでもなく、詩を体感する新しい表現だった。

足早に歩く人のような、次々にホームに入ってくる朝の山手線のようなせわしなさを感じるけれど、とめどなく流れてゆくそれに身を任せ楽しむことができる体験に感動が止まらなかった。


詩人の暮らし

その次に出会うのは、20行からなる詩「自己紹介」に沿って、20のテーマとそれににまつわる谷川さんの品々の紹介。

詩を1行ずつ大きく記した柱が立ち、それぞれに谷川さんが影響を受けた音楽や家族写真、書簡などが展示されている。詩が記された柱の反対には、本人が書いた人柄あふれる手書きのひとことも。

どのように暮らしているのか、どんなふうに過ごしてきたのか等身大の谷川さんが垣間見られる。

言葉を使うことが好きなのかと思いきや、無言が一番好きってなんともチャーミングな一面も。


では、また。

お別れの出会いは、詩「ではまた」。レースのカーテンで仕切られた空間に連なる言葉。そこに5人ほど座れそうなベンチが一つあるだけ。最後の時間を過ごすには丁度いい落ち着いた空間だった。

「さようなら。」は、もう会えないみたいでなんだか悲しい。

「では、また。」それくらいが丁度いい。そんなことを思う。


おしまいに

谷川さんの紡ぐ言葉は、暑苦しくもなく軽くもない。例えるなら、人肌くらいの温度だと私は思う。入り口のカーテンをめくり一歩二歩と進んでから、後ろ髪引かれるように出口を抜けるまで、止むことのない言葉の雨を浴び続け、満たされた。 それにも関わらず、また行きたいなぁと思うのはきっと「人肌」のせいなのだろう。











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