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エッセイ 「週刊誌の読み方」

 今、僕が本を読む時間で一番多い時間は朝になる。仕事の前に1時間ほど早く起きて読書をする。夏場はアイスコーヒーを飲み、冬場はホットコーヒーを飲む。冬場のコーヒーの方が上手いのと、夜が長いので暗く静かというのもあって読書が進む。今はたまった漫画本の『SPY×FAMILY』を読んでいる。面白いからと勧められて買うのだけど、読まずにたまってしまうものを冬の暗い朝方に仕事が始まる前に読んでいる。

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 週刊誌といわれるものも読む。昔は休みの日に喫茶店に行く。すると他の人が読んだ週刊誌が置いてある。(それが普通だった)そこで、週刊誌や漫画を読んで一日を過ごしていた。飲み物と昼食を頼んで朝から夕方ぐらいまでの時間をのんびりと過ごした。つまり無料で情報を得ていた。

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 総合週刊誌ってスキャンダルとかで今は有名になっているけど、エッセイが定期的に書いてあったり(これがメイン)昔は政治とか経済とかのお堅い部分と、競馬やパチンコや風俗的な柔らかい部分とが入り混じった「ごった煮」のような感じで読み応えがあったし、テレビとかだけでは補えない深い部分を広く浅く知るのに読んでいた。

 それが漫画喫茶になって、今はタブレットになっている。毎週は行かなくなったし、読む量もすこし減ったけど、基本的は情報は雑誌でてにいれている。ネットも便利にはなっているけど、大量の駄目記事をどうするか?というのはあると思う。

 今は雑誌が売れなくなっているらしく、休刊や廃刊が相次ぐなんて書いてあるけど、僕が読んでいたものは特になくなっていない。ラジオとかもそうだけどなくなってない。そこらへんはよくわからないけど、僕が死ぬぐらいまで生き残ってくれるのなら特に問題なく読んでいようと思う。コンビニには雑誌コーナーはなくなったけど、今は定額制の「dマガジン」のようなサービスができたので複数の雑誌が読める。(雑誌が危機的状況なのに安く読めるのは不思議なんだけどw)

 ニュースアプリの記事は正直に読むものではないしw(読むと正直、不快になる)しっかりと書かれた文章を読む方が(エッセイなども含めて)読む方が僕にはいい感じがする。

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 昔、月刊のエンタメ雑誌があって(名前を忘れてしまった)そこに、あまり知らない芸人の名前が書いてあった。その名前が『松本人志』で今じゃ知らない人がいない。そこにエッセイのように書かれた「お笑い論」が書かれていた。すごくしっかりと漫才の「間」のことが書かれていて、びっくりしたのを覚えている。

 その頃、ビートたけしとか片岡鶴太郎とか週刊誌に連載をもっている芸人が多くいたから、大阪で売れていたのもあってお呼びがかかったんだろうとは推測できるけど正直びっくりした。

 その後に週刊朝日で連載が始まった『遺書』は大ベストセラーになった。それを僕は週刊誌でリアルタイムで読むことができた。不定期に村上春樹も『村上朝日堂』書いていたのもあったけど、僕は正直にこの週刊朝日を買ったことはなかった。喫茶店に置かれた誰かが買ったであろう週刊朝日のエッセイだけを読んでいた。読めないときはコンビニで立ち読みした。(すいません)

 今、週刊プレイボーイでオール阪神巨人の巨人師匠が『劇場漫才師の流儀』とエッセイを書いている。基本は自分の近状の報告なんで、書籍化はされないかもだけど、今週号で「お笑い論」みたいなことが書かれていた。昔は言われた用語として「息と間」とよく言われたと書かれていた。

「漫才は”息と間や”」って。あくまでも僕の考えですが”間”は文字どおり、何か言われて、1秒、2秒と間を置いて「・・・今、なんて言うたん?」と返す。この間の取り方で笑いを取る。”息”というのはもっと短い間のことですね。音符でいうと”間”が全音符で、”息”が8分音符かな。僕の勝手な解釈ですけど(笑)。息を合わす=リズムを合わすことだと考えています。

 「息の合ったコンビ」という言葉が今は普通に使われているもんなとおもいながら、自分で入れたコーヒーを飲んでいた。時代が変わってるんだけど、僕の読むものってあんまり変わっていない。

 

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