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台湾へ、自殺寸前だった女の一人旅④1日目台北2/2(新店)

こんにちは。
自殺寸前だった私が、台湾へ一人旅し得たものを書きます。始めての方は序章を参照ください。
今回は、1日目の台北編2/2です。1/2では台北について懐かしい場所をひたすら彷徨う姿が見て取れます。

行った場所:
台北(松山空港到着)→科技大楼駅→台湾大学→公館→師範大学→新店→板橋
食べたもの:
カエルタピオカドリンク、八方雲集、豆花、友人ママの作った牛肉麺
体験:
川べりで台湾の友人にひたすらコーチングを受ける、台湾のクレーンゲームの罠、懐かしい場所を巡りセンチメンタリズム

師範大学周辺の木陰でぼんやりしていると、台湾友人から連絡があり、その日は一緒に夜市に行くつもりだったが前日の旅行で食あたりでダウンしているすまぬ、家まで来てくれたら唯一無事な夫さんが家の周りを案内するとのこと。台湾人も夜市で食あたりするのか、と不謹慎なことを思いつつ(家に行ったら、ママからお兄ちゃんまで一家総出であたってた、何食べたのか)
家のある「新店」へ行くことに。

「新店」は、MRTの終点で、New taipei cityと郊外の住宅地。ドラゴンボートレースが繰り広げられる大きな川があり、休日は家族連れや郊外のピクニックを楽しむ人々でにぎわいます。
川べりにレストランがあり、最低消費いくらかでのんびりすることができ、私も過去に一人で訪れとんでもなくカラフルなタピオカドリンクで1時間は粘りました。新店からは、原住民の温泉地、ウーライへのバスも出ています。風景もよく、淡水、北投にはもう行ったことがある方は、その反対側になる新店散歩はおすすめです。

新店の指定された路地で待つこと、けっこう。
台湾友人のショーンがでてきて、家に入れてくれると思いきや、いきなり散歩に行くこととなりました。
ショーンは、大変努力家で勉強家で起業精神あふれるタイワニーズで、陽キャ。熱量の塊のような人です。台湾で大学院を出たのちアメリカに渡り、大手通信系に就職。縁あって私の友人と結婚し、台湾、日本、アメリカを行き来する生活を送っています。
ショーン家の家訓が、「1パーセントの可能性を探せ」で、例えば、深い井戸のような牢屋に閉じ込められたとしても、なにかどこかに可能性があるはずだから諦めるな、とママが言い聞かせて育てたそうです。
嫁である友人は、「いや、私は一瞬で諦めるわー」と言ってますから、バランスの取れた夫婦で私の大好きな友人です。

というわけで、ショーンに荷物を持ってもらって(台湾男子のそこが好きよ)春節でにぎわう川べりを歩き、腰掛け、人生相談をします。
沢山話して、印象的だったのが、私はDV問題を抱えて逃げてきたわけでそれに対して
「彼と君のフィロソフィーが違っただけ」
「まずは、食べる寝る動く、良い社会に身を置く」
アメリカの大手でバリバリ働く彼ならではのコーチングで、力が湧いてくるのを感じます。
日本の冬の寒さに耐え忍び春を待つのもおおいに美しいことだと思いますが、そこから居場所を動かしていい時代なんだと思います。
知らない土地、というのは既成概念を外側から崩してくれるし、内側がどうやっても自力で整わないときは、まず外側からアプローチをかけていくのもありです。
なぜか、台北の郊外の川べりで、春節なので凧が上がっていて、大道芸の音が聞こえて、友人と英語で話し、空気も体感温度も匂いも、聞こえてくる雑踏すら違う。
これまで閉じこもっていた世界と全く違う中に身を置くことで、その世界だけが全てではないことに外側から気づきを得ました。

露店で、豆花(私のソウルフード)を買ってもらい、やっと友人夫妻の家へ。食あたりでダウンしている友人を見舞い、台湾ママに牛肉麺をごちそうになりました。懐かしい出汁の味。パクチーをたくさんのせます。

手作り牛肉麺+追いパクチー


ママが、ひまわりの種を1キロぐらいお土産に持たせてくれそうになったため、これから台湾を旅するためありがたくお断りし、
お家をあとにしました。

中国語圏の付き合いってさっぱりしていて楽なんです。ねちこくない。旅行者だからかもしれないけど、振り向くともういません。
それが、一瞬一瞬の切り取った風景のようで、またその人ごとの人生の道が分かれてゆきます。

新店に長居して、もう時間は現地で22時ぐらい。初日から大冒険でした。

無事、板橋のhostelに着いて、その日はおやすみなさい。
電池切れのように眠りました。

読んでくださってありがとうございます。
次の日は、台北フリータイムです。


チーバくん、こんなところに。


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