七人の侍

映画「7人の侍」

1954年に公開。
3時間と26分。
いったい何が描かれていたのか。
かんがえてみる。


映画のタイトルは「7人の侍」。
タイトルから想像すると、7人の侍が活躍し、
ヒーローになる映画、と思っていた。


観た直後の感想は、どうだったか。
侍を描いた映画だったのか?
侍に焦点があたっていたのか?
そして、
なぜ、そう感じたのか。


全てのシーンをノートに起こしていく。
3時間と26分の中で、
7人の侍が出て来るシーンは、いったいどれだけあったのか。
手に汗握る、7人の侍の戦闘シーンは、いったいどれだけあったのか。
そして、それ以外のシーンは、いったいどんなものが多かったのか。


物語の起承転結に沿って、
縦軸を7人の侍、
横軸を、その7人が立ち会う出来事、戦闘シーンとかんがえてみる。

順に仲間になっていく侍たち。
出会い方、仲間になる流れ、
各々の性格、1人1人がとても魅力的に描かれている。
それは映画の前半部分。
後半部分の侍の戦闘シーンはどうか。
侍たちは、1人1人が活躍していたか。
1人1人、敵と対峙するシーンはあったのか。
そしてそのシーンは、どれだけあったのか。
汗の臭いや人間の臭いまでもが画面から伝わってくるような重厚な戦闘シーン。
一瞬でも見逃せば、何が起こったか分からなくなるほど、
人間が駆け抜け、馬が駆け抜け、どこに誰がいてるのか、
目を凝らしながらも、観ているこちらも緊張が走る。


圧巻。

侍はどうだっただろう。
その中で、重点的に、分かりやすく活躍していたか。


もし侍が、もっと分かりやすく活躍していたならば、
侍を描いた映画だったのか?
なんて疑問を感じるのことはないのではないか。


もういちど、かんがえ直す。


縦軸は、7人の侍でいいのか。
縦軸は、その7人が立ち会う数々の出来事、血湧き肉躍る戦闘シーンでいいのか。


もういちど、かんがえ直す。


いったい何が、縦軸になったいたのか。
いったい何が、横軸になっていたのか。






腑に落ちたのは、
エンディング間際の、老侍のセリフにあった。





縦軸が間違っていた。
縦軸は、7人の侍ではなく、その侍とともに、
映画の最後まで画面に一緒にうつっていたもの。





それは、百姓たち。
縦軸は、百姓たち。





侍たちと相対する野武士達が、果たしてどんな人間たちだったか。
それはほんの少ししか描かれない。
それよりも、優先されて描かれていたものがある。



それは、百姓たち。
百姓たちの本質。
百姓たちの、したたかに生きている姿。




縦軸は、百姓たち。
そうすると、横軸は。
横軸は、侍ではなく、
その百姓たちが立ち会う出来事、戦闘シーン。
7人の侍たちの動向をも、百姓にとっての横軸とかんがえる。



際立ってくる。

7人の侍は百姓たちに、どんな風に話していたか。
百姓たちは7人の侍に、どんな風に話していたか。

7人の侍の行動に、嘘はあったのか。
百姓たちの行動に、嘘はなかったのか。

7人の侍は百姓たちに、心を開いていたのか。
百姓たちは7人の侍に、本当に心を開いていたのか。

7人の侍を突き動かしたものは、何だったのか。
百姓たちを突き動かしたものは、何だったのか。

7人の侍と百姓たちは、どういう関係だったのか。
上下がある、もしくは上下がない関係だったのか。

侍同士、百姓同士、
それぞれどういう関係だったのか。

雇う側と雇われる側とは、どういう関係なのか。
守る側と守られる側とは、いったい何なのか。

守る側と、守られる側、
お互いに守りたいものは一致していたのか。












3時間と26分。
いったい何が描かれていたのか。


この映画をひとことであらわしてみる。








「勝ったものが、守れたのか。
 守れたものが、勝ったのか。」


7人の侍 予告
https://www.youtube.com/watch?v=70ThbC8-drY

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