水色のシュシュ
僕は水色のシュシュを探してしまう。
僕の家は市内の端っこにある。
少し歩けばもう隣の市。
そんな場所に家があるもんだから、最寄りのバス停は市営バスの終点、車庫だ。
最寄りのバス停が車庫ってのは結構便利だ。
始発地点でもあるから絶対に時間通りに出発するし、確実に座れる。
僕の定位置は一番後ろの窓際。
左右どちらでもいいけど、最近はもっぱら左側。
バス停に停まるとき今から乗る人が見えるから。
今日もあのバス停に停まる。
バス停で待つ人の中に水色のシュシュがいないか横目で探す。ああ、いた。
前の方、まだ席が空いてるから座れるよ。
よかったね。
4ヶ月前、高校受験当日は朝から大雪が降った。
第一志望は自分の偏差値より少し高いけれど、関東の大学進学対策に強い高校だったので僕はどうしてもここに行きたかった。
大本命の高校だ。
前日に受験票も参考書も筆箱も全て確認した。
試験の合間に食べる軽食も抜かりない。
雪に備えてバスの時間も1時間早くした。
でも正門前の上り坂がこんなに滑るなんてことまでは予想してなかった。完全にアイスバーン。
スニーカーで踏ん張っても滑る滑る。
坂の中盤で、肩かけバッグの中身まで飛び散るほど僕は派手に転んでしまった。
なんて縁起が悪いんだろう。
いや、本番で滑らないために今滑ったんだ。
そういうことにしよう。
歩道に散らばった筆箱の中身を拾い集める。
缶ケースタイプはこういうときよくないな。
カバンの中で音がするから忘れてないか確認しやすくて好きなんだけど。
重大なミスに気付いたのは試験開始5分前だった。
嘘だろ、消しゴムがない。なんで?
昨日の夜はもちろん、今朝も確かめた。
今日は筆箱自体一度も開けてない。一度も。
あ。さっき転んだ時。散らばって、拾っ…
クッッソ!!!マジかよ!!!
どーすんだよ!!!
一気に血の気が引いていく。
まずいまずいまずい!
同じ中学の知り合いはもうほとんど着席してる。
どうしよう、誰かに借りなきゃ絶対無理だ。
誰か、誰か…
視線の先に、筆箱から鉛筆と消しゴムを取り出している別の中学の制服を着た女子がいた。
くそっ!僕だってちゃんと持ってきたのに悠長に準備しやがって!
完全に八つ当たりだけどつい見てしまう。
いやそんなことより消しゴムだ。どうしよう。
…え、2個持ってる?
八つ当たりしながら見ていた女子は筆箱から明らかに2個目の消しゴムを取り出した。
この人2個持ってる!!
絶対に行きたい高校の試験が今から始まるんだ。
もう恥ずかしいとか気まずいとか言ってる場合じゃなかった。
同じクラスの女子にすら用があっても声をかけたくないのに、人は追い詰められると自分でも信じられない行動に出れるもんだ。
「ねぇ、あ、あの、あ…
ご、ごめん、消しゴム1個貸してくんない?
け、けさ、な、今朝なくしちゃって、
今気づいて、えっと、ごめん」
僕は何を喋ってるんだろう。
こんな日に消しゴムを忘れるマヌケなやつと思われたくなくて、よく分からない説明をしてしまった。
どう思われたっていい相手なのに、なんで女子ってこんなに話しにくいんだ。
案の定、彼女はなんだコイツって顔をしている。
「忘れたの?」
「いや、忘れたんじゃないんだけど、なくて…」
「…ちょっと待って。」
他の生徒はもうほとんど教室に入っている。
彼女は急いでカバンの中からポーチを取り出し、その中からまだ開封してない新品の消しゴムを取り出した。
「あげる。返さなくていいから。」
「えっ。いや、でもそんな…」
僕の返事を聞く前に彼女はさっさと教室に入ってしまった。
一つに結んだ髪に水色の布飾り?がついていた。
気がつけば廊下には僕1人で、貰った消しゴムと鉛筆を握りしめて急いで教室に入った。
よかった、とりあえずなんとかなった。
いい人で良かった。助かった。
マジでありがとう知らない人…!!
試験の間の休み時間にお礼を言おうと水色の布飾りを探した。
すぐに見つかったけど、とても話しかけられる雰囲気じゃない。
1人で参考書を真剣に眺める彼女は少し怖かった。
いいや、全部終わって帰るときにお礼を言おう。
そう思って僕も直前の復習に没頭した。
それなのに、最後の科目が終わって廊下に出たらもう彼女の姿はなかった。
おいおい帰るの早すぎだろ。
あげるって言われたけどコレどうしよう…。
どうしようもないので結局持って帰った。
試験の手応えはあった。
自己採点通りなら合格してるだろう。
消しゴムがなかったら本当に危なかった。
一言お礼言いたかったなぁ…。
リビングでテレビを見ている姉の腕についているくしゃくしゃの布がふと目に入り、つい聞いてみた。
「姉ちゃん、それなんて言うの?
その腕につけてる布。」
「ん?これ?あー、シュシュだよ。」
「しゅしゅ?ふーん…」
「シュシュがどうかしたの?」
「別に。」
「ふーん。笑」
入学式の次の日、バスの中で同じ制服を着た水色のシュシュを見つけた時はびっくりした。
よかった!あの人も合格したんだ!
消しゴムのお礼言わなきゃ
え、てか同じバス?いつから乗ってたの?
何組なの?名前は?
次々湧き上がる疑問を口にする勇気はなく、バスを降りてこっそり後ろをついて歩き、靴箱でクラスと名前を確認した。
1年2組 26番 川本
ストーカーみたいなことをしてなんてダサいんだと自分にツッコむ。
いや僕は消しゴムのお礼を言いたいだけなんだ。
それにしても2組か。
僕(5組)とは教室の階から違う。
話しかけるならバスの中が1番チャンスがあるんだけど…水色のシュシュは最近同じクラスらしい男子の隣によく座る。
結構仲良さそうに話してるし彼氏なのかな。
時間を合わせてバスに乗ってる…とかだったら尚更話しかけづらいな。
そんなことを考えながら今日も僕は1番後ろの左の窓際に座って、いつものバス停で水色のシュシュが乗ってくるのを待つ。
"受験のときはありがとう"って言うだけでいいのにどうしても声をかけられない。
なんだコイツって顔をもうされたくないんだ。
筆箱には彼女の消しゴムがまだ入ってる。
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