私が某宗教にはまらなかった理由

一時期、某宗教に関わっていたことありました。ちなみに今話題の元統○教会ではありません。

(自己判断)鬱時回復しかけ、の時です。マガジン【鬱治療あるいは快復に向かって】にも少し書いてありますが、もう少し詳しく語っていこうかな、と思います。

きっかけは、その時パートで働いていた某焼肉屋の同僚パートに誘われたのです。
その前段階として、私があわよくばストーカーと化していたかもしれない、本名も顔も知らないある人。
当時はチャット全盛期。携帯内でチャットルームがたくさんできた、SNSのはしりのようなところで、気に入った人とはメルアド、個人メールアドレスですね、それを交換して個人的にもやり取りできました。
その中で知り合った、HNコウさん。コウさんの出した簡単な心理テストに答えたらそれが見事に大当たり、で、今でいうところのメンヘラ状態だった私は一発で「この人しかいない!」と思い込んでしまったのです。
迷惑にもこの人に真夜中でもなんでも長文の長い長いメールを送ったり、ちょっとでも返事が遅いと何回もメールを送信したりと、明らかにカウンセラー代わりにしていました。
また親切にも丁寧な返事をしてくれるものだから、ますます頼るという悪循環。
どうなったか、というとある日実際に会うという約束を取り付けたのですが、来なかったです。いま思えばコウさんの戦略だったのかも。
メールも届かなくなりましたが、それでも出会ったチャットルームにその人にわかるような文をカキコして、連絡がいつかくるんじゃないかって、ほんとにストーカー化。そのチャットルームが閉鎖され、連絡取れるだろう手段が完全になくなってやっと諦めがつきました。

そのコウさんにある日いわれたのです。就寝する前に10分くらい、両親に感謝しなさいって。
鬱回復しかけの頃で、ともかく自分がこれ、と思ったことは疑問を持たずにとにかくやってみよう、思っていた時期なので、やってみることにしたのですが、この10分間の感謝ってのができない、具体的にどうすればいいのかわからない。
ありがとうございますって寝床で10分唱えるってできないもんです。早く10分経たないかなっていう、おざなりな考えになってしまうし。

そんなときにこの某宗教に誘われたのです。コウさんとはもう音信不通だったかな?

マガジンにも書いてありますが本当にこの時の記憶というか、時系列が思い出せなくてごっちゃになってます。ただこの宗教に誘われただとか、そんなメールのやりとりをコウさんとした記憶はないので、もう交信は絶たれていたと思うのです。

こんな時に誘われたのは何かのご縁かもしれない、と誘われるままに集会やら何やらに顔出してみました。入信は結構早い段階で行われました。

勿論壺などは売りつけられず、入信は、信仰厚いと認められた人にだけ赦され与えられる御本尊(ぼかしますが、掛け軸もどきです)の前で入信〇〇なるものを受けて、数珠(唯一払ったお金500円)と、唱えるためのお経を書いた小冊子を頂きました。
朝と夕方にこのお経を唱えないといけないのですが、これがその時の私には渡りに舟。このお経を唱えることを就寝前10分両親に感謝に置き換えたのです。

実際、そのお経の文々には両親や兄弟姉妹、周囲の人、果ては自分を取り巻く全ての人への感謝と幸運を願う言葉があるので、当たらずとも遠からずです。
そのお経の意味などは毎回の集会で少しずつ教わっていくのです。
初期の頃は本当に真面目に信仰心の厚い集団だなって思っていてそれなりにやっていたのです。
その御本尊様を賜るにしてもべつにお金を払って賜るのではなくて、上の人がこの人は本当に信仰心が厚いと認めた人にだけ授けるようで、だから私を誘った人では入信〇〇できなかったのです。

集会も勉強会みたいで唱えるお経のここはこういう意味だとかあって、仏教が大元にあるなと言うのは次第にわかってきました。

とにかくこの鬱の闇から抜け出したい、二度と戻らない、ぶり返さない、そのためには根本原因を突き止めてやると決心していたので、色々とありました。(詳細はマガジンで一部有料記事)

そして快復していくにあたってこの宗教の疑問点が色々と浮かび上がってきました。
まずは日曜日は基本働いてはいけないこと。確かキリスト教も日曜日は安息日として働いてはいけない日ですが、今どきそれって無理な話ではないですか?

私はその時飲食店で働いていました。誘った人もここ同じところで働いていましたけど、まあこれを理由に辞めていったと後で聞きましたが、ビジネス街の飲食店じゃあるまいし、飲食店の稼ぎ時ってどう考えても土日祝祭日。日曜日に働きたくないって、なんならはなから土日休みのところで働けって感じです。
私の生活費のあてでもあったこの飲食店、日曜日休め、なんて到底受け入れられる話ではない。
何なら医者や警察官やら消防士などの職の人はどうするんだよって話です。
個人的には一週間のうち一日は休めよ、って意味だと思うんです。安息日も必要だよっていう。自分を見つめる日というのか。

やっていくうちにこの宗教は他の宗教は一切認めていないってことがわかってきました。
近くにそこそこ大きい神社があるのですか、そこの前を通った時に「気持ち悪い」って言ったんです、この人。

この宗教、起点となる神社などは持っていなかったのですが、それでも結構歴史ある神社に対して気持ち悪い発言はないだろうって。
個人的にも日本の八百万の神という思想、好きなんですよね。だからここで違和感ですよね。

決定的だったのが、集会のためにある駐車場に車停めたときのこと。(私車持っていないので、集会はいつもこの人の車に便乗)そこには「△△にご用の方の専用駐車場」
でもこの人は「〇〇(勿論宗教団体の名前)の集会に行くために停めるんだからいいのよ」

そう、この宗教のためなら何でも赦される思考。
もう駄目でした。
そんなこと、あるわけないだろう!

共感する思考もあったんですけれどね。
仏教の教えいいなって思ったのもここで少しわかったからだし。

知られてしまったボロ屋に誘いにきたり、数人で来たり、まあしつこく熱心にきましたよ。はい。

ここで少し話逸れますが、以前にも書いたことあるんですが、なるほどねと思ったこと。

とにかく鬱克服のためにスピチュアル系の本も買い漁り読み漁っていた時期。そこには必ず共通する3つのことがありました。


一つは感謝すること。一つは良いことに目を向けること。もう一つは好きな自分も嫌いな自分も丸々受け入れること、自己肯定感をもつことですね。

実はこれ、教義に全てあったんです。きっと悟りを開いた人は気がついたんでしょう。で、それをわかりやすくするためにしたのではないかと思いました。
例えば真っ白い画用紙を渡して好きな絵を描いてください言われても戸惑うものです。だから、山とか河とかテーマを与える、あるいは画用紙のどこかに丸とか三角あるいは線など引いて、これを活かすような絵を描いてくださいなどの指針を与えると先へ進む、私が10分感謝しろいわれてもどうしていいかわからなかったときのようです。

宗教新聞発行していて、これ一部いくらかで買うんですが、それを元に集会であれこれ教義するんですね、で、これにこの宗教に入ってからこんないいことがありました、こんないいことがありました、とか載っているんですけれど(良いことに目を向ける思考)、よくよく考えたら自分たちの発行している新聞、悪いことなんて書かないですよね。
そして悪いことがあってもでもこんなことがあったからこの宗教を信じていたおかげで「これだけで」済みました、となる。

災害にあった人たちが「でも命が助かったから」と考えるのと一緒です。悪いことじゃなくていいことに目を向けようという、考え方自体は決して悪いことではない、むしろ精神衛生上は非常にいいこと。
実際、人は不安要素に目を向けがち、それは本能でしょうがない事なので意識的にいいことに目を向けるのはとても大事なことです。

ポジティブな発言しているとそれだけで周囲の人は気分がいいので、自然周囲にはそういう人たちが集まってきます。そうすると本当に良い循環が生まれるのです。
よく考えてみてください。自分だって不平不満ばかり言っている人よりも明るく楽しい人のそばにいるほうがいいでしょ。そういうものです。

深呼吸は気持ちを落ち着かせ、安定させる効果があります。これ、まさにお経を読むリズムです。必ず読経です。黙読ではありません。どうせ読むならばありがたい言葉入れたほうがいいじゃないですか。

後は業、輪廻転生の考え方ですよね。殺したいほど
人を恨んだことってありあますか?私はあります。10年破局男に。詳細は別に譲るとして、姿見ただけで悔しさで手が震えて仕方なかった時期あります。
私はこの程度で済んでいますが、こんなものじゃ済まない人いますよね。恨みの心を持つななんてとても言えません。
でも、でも殺してはいけない。なぜなら業を背負ってしまうから。来世の自分のためにもやってはいけない。

人が善行をするのは結果的には自分が気持いいからなんです。自分の目の前で人が倒れて助けてしまうのは、後々その人が死んだと知ったときに寝覚めが悪いからです。究極のエゴイズムです。
因縁を断ち切る、なんていいますけど、その人と来世でも関わらないためにも復讐なんて思っても殺人はやってはいけないんです。

もちろん、証拠とか確証とかないですけれど、本当はその人が後々幸せに人生を過すための考え方です。

難しいですけどね。
私も出来るかどうかはわかりませんが。

そんなわけで、教義にはそういう教えが盛り込まれていたわけで、なるほどなとも思ったのですが、まあ少し邪な教えが入ってしまったのでしょうかね。別のものもあります。これ、私が心理学少しかじったからわかたんですけれどね。

毎回新聞を発行して買うって書きましたよね。これでやられていたんです、何って誘ってくれた人が毎回買ってそして私に渡してくれてたんです。車も毎回乗せてくれていました。

一回だけ、自分で電車乗り継いで集会に行ったことあるのです。そしたら後日「誘ってくれたら一緒に行ったのに」言われました。

さてこれの何が?と思うでしょう。長くなったので次回にします。

私が某宗教にはまらなかった理由・2
https://note.com/04tomihajime13/n/nd359fa11a494

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