一番得していないのでは、という思い

2日、3日と病院に行ってきました。連絡受けた通り、父親が明日逝ってもおかしくないし、この状態が一ヶ月続くかもしれないし。危篤の小康状態って感じですかね。何するわけでもないです。ずっと側にいたってだけ。たまにズレた毛布の直したり。たまにモゾモゾ動くから。

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3日は弟に会えまでんでした。病院についてからメールしたら、30分くらいで着くから行くと返ってきて、その後緊急事態、数時間かかるから実家に来るか待ってるかって言われて待ってる選択。数時間して、ボヤ騒ぎ出して母親(認知症発症)から目が離せないから実家に来るか帰るか任す言われて帰って来ました。家に帰ったの9時くらいかな。

本当は実家に行くを選択した方が弟としては気持ち的には助かったのかなとも思いました。でも実家に帰っても何するわけでもないんですよね。想像するに家は酷い有様だと思うから。

母親は以前から掃除というものをほとんどしません。私の記憶にもほとんど残っていないから。その割に買い物は好きで、しかも使う意図のない家具を買う。実家に帰るたびに小さめの家具が増えていて、でも物は捨てない。捨てると強烈に怒る。

誰も掃除する人のいない実家なんて、泊まれる有様ではない。見なくてもわかる。

掃除道具すらまともに無いのでは?とも思ってしまう。そして私は車の運転が出来ない。

泊まれない、出かけられない、片付けも出来ない、じゃ何する? そんなこんなで実家には帰らず、母親にも会わず。

両親の世話も姉と弟に丸投げで、正直、今こそ私がするべき?とも思いました。姉も弟も仕事休んだり色々としたみたいだから。

でもな、実家に泊まれそうにないし、経済的に余裕があるわけじゃないし、でもどこもそうだろうけれど、結局はやらない理由を挙げ連ねているだけかもしれないけど。

そう考えたら急に涙出てきた。なんの涙でしょうね。

他の家族の者がどう思っているかはわからない。でも私の中では一つの事がある

私が姉、私、弟の中で一番恩恵を受けていない

偏見かもしれないし、うがった見方かもしれない。でもこれがあるから結局は帰ってきてしまった。いいでしょ?って。

亡くなった兄は習字に行った。姉は剣道やった。私と弟は習い事していない。

よく2番目以降の子供は上が何をすると怒られるか学習しているからそこは回避する、というような話がありますが、あれ、当たっていると思います。

母親の口ぐせは”お金がない”だった。でも姉は剣道やっててそれについてもグチグチ言ってた。だからナニナニやりたいって言わなかったと思う。言ってもやらせてくれないだろうっていうはなからの諦めがあったから。

私が産まれた頃ってオイルショック時なんですよね。だから何かあったのかもしれないですね。産まれてすぐ引っ越したとも聞いてるし。弟とは年子だし。家計が苦しかった時期ではあったのかもしれないけれど。

随分後に父親にそんな話したことある。そうしたら”姉は毎週練習を見に行って、勝手に入部希望書を書いてきた”らしい。そこまでやりたがっていたから、と言いたかったらしい。

·····そういえば姉は幼稚園がつまらないと勝手に歩いて帰って来てしまい、幼稚園側を慌てさせたエピソード持っていた。

私は違うエピソード持っている

それはまた別の話

果たして母親がお金がないという口癖がなかったら、私は何かの塾に行っただろうか。それはわからない。

でもお金がないの口ぐせは幼い私の色々を我慢させたのは確かだ。靴は歩くと痛いくらいまで小さくなってからでないと買ってとは言い出せなかったし。

他にも色々とあるけれど。

今は話を先へ進めます。

そして姉はある意味ずる賢い事をしていた。

授業に必要なノートを買うと言ってはお金をもらい、そのお金で雑誌を買ったりしていたのを私は知ってます。

でも私はそれは母親が可愛そうだと思いきちんとおつり返したり。

まあ最もそういう事にも気づかないであろう母親だったけど。

こんな事もあったな。高校進学は公立一本ですべり止めなしだった。私立には行かせるお金が無いから。落ちたら就職言われた。当然、高校から先の大学や短大という選択肢はなかった。専門学校へは入学金くらいはなんとかするけれどあとは全部自分でまかなえだった。最もそうまでしていきたい専門学校はなかったから高卒就職したけれど。

でも弟は男だから大学行きたいって言ったらなんとかしたいって事は口走っていたな。大学行かなかったけれど。

兄が交通事故死して、その理由で家が建てられた。

その時父親はこう言った

”娘二人はいずれ嫁にいくからいいよね”と、個室を与えられなかった。

一階の6畳は一応両親の部屋だったけど、程なくして2階8畳が父親と弟の部屋になった。向かいの8畳が私と姉の部屋だった。

それでも父親は帰ってくるのは夜だ。寝るくらいしか部屋にこないから、それまでは弟一人だ。

結局姉が嫁ぐまで私の個室はなかった。実質2年が個室を持った期間だ。

それから2年位して私は家を出たから。

結婚ではないが、それは別の話として書いてある。

その家を出てアパートの敷金、礼金、揃えた家電等全て私が貯めたもので賄った。

家出てから仕送り等一切受けてない。食料品の類さえも送ってもらった事はない。

姉は結婚して子供出来て、出産時もその後もちょくちょく家に来ていた。梅雨時期は乾燥機借りに。
多分用事があった時は子供を預けに来ていた時もあるだろう。

三年後に離婚したから、それこそもっと色々あったかもしれない。何しろ大検受けて卒業して公務員になったくらいだから。

別に子供預けに来る事が悪い事だとは思わない。

が。

弟は結局パラサイトシングルだ。

多少家に入れていると思うが、やはり実家住まいと家出たものとはだいぶ違うとは思うんだが。

今の住居に帰りがてらそんな事考えて、もう間もなく他界するかもしれないのにそんな損得事考えてる自分が不甲斐なくて、私はまだ人間が出来ていない、仏教で言うところのを業をまた来世に持ち込むのかもしれない······。

地元に帰ってもあまりいいことない。

こんな事しか考えないし、唯一無二の親友は亡くなってしまったし。

いい思い出が少ない。

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