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「歌われなかった海賊へ」

「歌われなかった海賊へ」逢坂冬馬


1944年、ナチ体制下のドイツ。父を処刑されて居場所をなくした少年ヴェルナーは、体制に抵抗しヒトラー・ユーゲントに戦いを挑むエーデルヴァイス海賊団の少年少女に出会う。やがて市内に敷設された線路の先で「究極の悪」を目撃した、彼らのとった行動とは?──本屋大賞受賞第一作。

心揺さぶられて、ひりひりするような小説だった。描写にリアリティがあって、戦時中のドイツの世界に引き込まれた。
私はこの本を読むまでエーデルヴァイス海賊団という存在を知らなかった。自分よりも年下の少年少女がナチに対抗していたなんて…。歴史に残らない、学校でも習わない、でも実際にこの物語のような事実はきっと、たくさんあるのだろうなと思う。


「なんでみんな、そうやって他人を分かろうとするんだろう。(略)そうやって、自分が見た他人の断片をかき集めて、あれこれ理由をつけて、矛盾のない人物像ができあがると錯覚して、思い上がって、分かろうとして、理解したつもりになる。そうすればあとは簡単だ。人を集めて、種類に分けて整理して、一つの区画、一つの牢屋に追い込んで、服に貼った標識を見て安心するんだ。私はそんなに傲慢じゃない」

p107~108

めちゃくちゃ共感した。
私も決めつけられたり縛られたりするのが嫌いだ。「なつちゃんって〜だよね」と言われるとむっとしてしまう。私の何を知っているんだという気になってしまう。(ごくたまに、私のことよく見てるなと思えることを言ってくれる人がいて、その人からの言葉は嬉しいけれど。)
そういうことを思うようになってから、あんまり他人に対して「あなたってこうだよね」と言わなくなった気がする。人の内面って一言で言えるほど単純じゃないし、ましてや分類できるものではないと思う。
ただ区別したり、同じ思想を持つもの同士でいることのほうが都合がいいことって世の中にはたくさんあるんだろうな。誰もが自分のことを正しいと思いたいから。



筋を違えたまま与えられる理解のまなざしほど、ぬるぬるして気持ち悪いものはない。私はあなたを分かっているよ、と頭上から注がれる声は、優しさに満ちているけれど、だからこそ反吐が出る。
だけれども、とヴェルナーは思う。では本当の自分たちとは、何なのだろう。

p148

その人の一部を見て全部を知った気にならないことが大事なのかな、と思った。でも私たちは見えている部分だけで判断するしかなくて。
見せようと思っても違う捉えられ方をされることもあって。私は特にそれが多い。誤解されている、までいかないけど上手く伝わらないなあと感じる。その度に自分ってなんなんだろうって思ってしまう。

的外れな理解をされるくらいなら理解なんてされなくていい。本当の私なんて私だけが知ってればいい。
ちょっと孤独すぎる考え方だろうか。


だからこそ、強制収容所での残虐行為を知らないはずがない彼は、誰よりも熱心に、その事実から目をそらさずにはいられなかったのだろう。自分は地域防衛のために戦い、そして死ぬのだと信じる以外に自分の人生を正当化させる論拠はなにもなく、そのために必要とされた、戦死に至上の価値を見出す発想こそが、全ての力を費やして若者を戦死させようとする、ルドルフ・シェーラーという存在を形作った。(略)彼は狂信者故に戦死に価値を見いだしていたのではない。戦死に価値を見いだすより他にないから、狂信者となったのだ。

p300

(ルドルフ・シェーラーはドイツ国防軍の少尉である)

国家間の戦争だけでなく、この世には理解できない争いがたくさんある。
なんで戦争なんかするんだろうってずっと思ってたけど、戦争をすることで何らかの利益を得る人がいるということにとても驚いた。その考えにとらわれて、洗脳されて、争って勝たなければ生きていけない人もいるのだ。
この部分を読んでしばらく呆然としてしまった。そして今なお続いている戦争を思い、世界から戦争がなくならない理由を確信した。


人間は、自分が無知という名の安全圏に留まるために、どれほどの労力を費やすことができるのだろうか。

p314

本当は知っているのに目を背けていること。
よくある話だと思う。
誰かがいじめられていても助けず知らんぷりをしたり。自分のミスを誤魔化したり。
それは知らないことにした方が傷つかずに済むから。
いじめられた子を庇うことで今度は自分が標的になるかもしれない。
知らないことにした方が楽だから。
誰しも自分を否定するのは辛い。


ここまで書いてきて強く感じたのは、人間は自分を正当化したい生き物なんだということ。そのためだったら何でもできてしまうということ。その欲求はとんでもなく大きな力を持っている。
これが戦争や犯罪に繋がるのだと考えるとすごく恐ろしい。
私だって例外じゃない。恥ずかしいけど人に苛立つこともあるし、自分の思い通りにならないとストレスになるし、ネガティブな感情はたくさん持ってる。どこかで自分が正しいと思いたいんだろうな…。

そんな世界で、自分の正しさと相手の正しさが違ったとき、どうすればいいんだろう?
違いを認め合えたらいい、とは思うけどそんな簡単じゃない。
私は相手を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。

どうやって生きていったらいいんだろうね。

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