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「あの夏が飽和する」

「あの夏が飽和する」カンザキイオリ

いつも8月の終わりに読みたくなる小説。

ある夏の日、中学生の少女・流花は自分をいじめていた同級生を誤って殺してしまう。恋人である千尋とともに二人きりの逃避行の旅に出る。しかし、流花は千尋を残して自殺してしまう。
それから13年。千尋の前に流花そっくりの瑠花が現れる。しかし瑠花は心に闇を抱えていて…

千尋、瑠花、そして瑠花の同級生の武命。それぞれに苦しみがあって、それが小説の中から叫んでいるように伝わってくる。剥き出しの感情というか、人間の弱さがすごくリアルに描かれている。
『悪があって、善がある。その裏、善があって悪がある。片方だけの人間なんていない。』(285pより)どんなに悪いことのように見えても、実は大切な人を守るためだったり、誰かのために見えても、結局は自分の利益にしかならないことだったり。何が善で、何が悪なのかは人によって違う。そんなことを思い知らされた。

児童養護施設で育った千尋、母を亡くし、父にかまってもらえない寂しさから夜遊びを繰り返す瑠花、家庭内暴力を受けている武命…。この三人は、ただただ家族から愛されたかっただけなのだと思う。愛されたくて、認めて欲しくて、非行に走ってしまった。それだけ。自分で自分のことを認められるまでは、ちゃんと誰かから愛される必要があるのかな、なんて思ったりした。

だから私も、誰かの苦しみに寄り添えるような人間になりたい。簡単なことではないけれど。

同タイトルのボカロ曲と合わせて読むとより楽しめると思う(私はボカロが苦手なのでカンザキさん本人が歌っているバージョンが好き)。

晩夏のお供に是非。

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