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洋式トイレとの出会い

どうやって使うのか、それが問題だ


それは私が小学生だった時の話。
六年生だった。(50年以上前だ、愕然)

ある日教室で、グループは違うが仲良くしていた女の子(Mちゃん)が、私に頼みがあると言ってきた。彼女のグループのメンバーの1人に家に来るよう頼まれたが、行きたく無いと言う。

同じグループなんだし、行けば良いやん、と私は応じた。

小学生の頃の女の子のグループ作りと言うのは、仲良し同士というより、通学路が同じというのも大事な要素であったと思う。

「どうするん?」と、私。
「めいちゃんが一緒だったら行っても良いって、私言ったんよ。何度も言われて断りきれなくなったん。頼む。」と、手を合わせる。

「やだあ、私だって行きたく無いよ」 
私達二人が彼女(Kちゃん)の家に行きたく無いのには理由があった。

K ちゃんの家はいわゆるお金持ちで、家に行ってまでも自慢話を聞きたくはなかった。悪い子では無いけれど、私達にはちょっと めんどくさい子 だったのだ。

2人で話していると、ちょうど良かったとばかりにK ちゃんが側に来た。

「めいちゃん、Mちゃんと一緒に遊びにきても良いよ」Kちゃんは親切心で言っているのだ、彼女なりに。

私の横に立っていたM ちゃんが、手を後ろにまわし私のスカートの裾を引っ張る。ポーカーフェイスで。

「うん、わかった」私はそう返事をするしか無かった。 

Kちゃんは内緒話をする為に顔を私達に近付けると、小さな声でこう言った。
「皆んなには内緒よ、三人の秘密だからね」

秘密にする程の話では無いと思うが、Kちゃんには彼女なりの思いがあったのだろう。


授業が5時間目で終わる日に、帰宅せず直に私とMちゃんはKちゃんに連行され、、もとい、案内され、お宅に伺った。 

Kちゃんご自慢のお家は、私が遊びに行った事のあるどの家よりも立派だった。
外も中も。

出迎えてくれたKちゃんのお母さんは、私達を応接間に通してオヤツを出してくださった。

「立派な客間だね」そう言ったら、Kちゃんは、「応接間」とダメを出した。

しばらくお喋りをしていたが、Kちゃんが一番言いたかったであろうセリフを放った。

「トイレに行かなくていいん?」と。

「行く」と私とMちゃんは声を揃える。

「うちね、洋式トイレになったんよ、知らないよね?使える?教えてあげよか?」 

それか、と思った。
Kちゃんの得意げな顔が、今も浮かぶ。

その頃、洋式トイレどころか、和式の水洗トイレがやっと各家庭に普及し始めた頃だ。

当時、アメリカのホームドラマ等でトイレの場面が度々テレビに映し出された。逃げ込んだり、考えをまとめる為にも都合の良い小部屋だったようだ。
残念ながら使用中の場面はあるはずも無い。

私がMちゃんより先にトイレのドアを開けた。

肝心の本来の使い方、なんとなくは分かるが、本物の洋式トイレを見るのは初めてだ。何よりも、汚したら困る。まさか、上に乗る?上をまたぐ?いや、まさか。

素直にKちゃんに聞けば良かったが、それも悔しい。

しばらくの間、私はトイレの中で立ちつくした。私の思っている方法でいいのか?

「ちゃんと流してよね」Kちゃんのご注意が飛んできた。様子伺いか。

私は意を決して、私の思う方法で済ませた。最後の確認をして、水を流した。
私は自分が汗をかいている事に初めて気がついた。大きく息を吐き、なんでもない風な顔を作ったのだった。

そして、Mちゃんとバトンタッチ。近くにKちゃんがいるので、Mちゃんに何も言えない。

そしてMちゃんも、すまし顔でトイレから出てきた。

Kちゃんは私達のそんな反応がお気に召さないようだったが、そんな彼女に早々に別れを告げ、私達は立派なお宅を後にした。

帰り道、Mちゃんは
「あのトイレ、嫌だわ。便器に直接座るみたいで」って言った。「私も」と、私。
やれやれな体験だった。

しかし、めいとMちゃんは、知らないのだ。
便座カバーなるものが、将来存在する事。 
各家庭に広く使われるようになる事。
洋式トイレに、いくつもの付加価値が増えていく事。
私達が50年、60年先に、どれだけ感謝する事になるかを。

🧻

私が次に洋式トイレに出会ったのは、従姉妹の結婚式で訪れたホテルだった。私は二十歳だったかな。各家庭に洋式トイレが広がったのは、それから何年か過ぎてからだったと思う。

考えてみるとKちゃんのお宅の洋式トイレは、かなり早くに設置されたんだなあ。 
お父さんは、どんなお仕事をされていたのか、今更ながら気になります。

🧻🧻🧻🧻🧻🧻