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産婆さんを呼びに

<古い記憶より> こんな事ありました

もう、60年近く昔の話です。
私は小学3年生で、妹は1年生。母は臨月を迎え、今日か明日かと言うタイムリミット。父は出張中で不在。

11月14日朝方3時頃、私は母に起こされた。
「赤ちゃんが産まれそう、産婆さんを呼びに行って来て」と。
電話もない時代、用があれば出向くしか無い。

当時は入院出産と同じくらい、自宅での出産もまだ多かった。

この日が来るのは私もわかっていたが、まさかこんな時間になるとは思わなかった。

母が産気づいたら産婆さんを呼びに行く事は、ひと月前からの母との約束事だった。

近所の方々も、いざとなったら声をかけるように母に言って下さっている事を、私は知っていた。

だからこの場合、普段仲良くしてくださる近所の大人の方に産婆さんを呼んでもらっても良いのではと思ったが、母には言えなかった。

母は面倒見の良い人だったにも拘らず、人に助けを求める事を良しとしない人だったからだ。
それがプライドなのか、遠慮なのか、何なのか、今もってわからない。


私は母に訴えた。
一人で行くのは怖いと。
すると母は、眠っている妹を起こしたのだ。
「赤ちゃんが産まれそうだから、お姉ちゃんと二人でお産婆さんを呼びに行って。道はお姉ちゃんが知ってるから。あなたはお姉ちゃんと手を繋ぐ役目よ」

妹は寝ぼけの延長状態だったのだろう。母にされるがままに服を着替えさせられ、その後もしばらくボーっと立ったままだった。

私は、いよいよ役目を果たさなければならないと悟った。

玄関で妹の手をしっかり握りしめる。母は私達に
「頼むね、気をつけるんよ」そう言って私と妹の繋いだ手を両手で包んでくれた。   
そして、
「頼むね、気をつけるんよ」母は同じ言葉を繰り返した。


私と妹は歩き始める。振り返る事はしなかった。
してはいけない気がしたのだ。

私と母はこの日の為に、道順を間違えないようシミュレートしていたが、それをしたのは昼間に限られていた。

当時、夜間は街灯も少なく、通い慣れた道でも見知らぬ道に等しい。

風は冷たく、心細さで胸の鼓動は耳の中で膨らんでいく気がする。
暗闇の中で何かが待ち構えている気もする。

いつもならグズグズ言い始める妹が、一度も口を聞かない。
「寒い?大丈夫?」そう尋ねても頭を振るだけだ。妹は私の手を繋ぐ事が役目なのだ。それを果たそうと一生懸命だったに違いない。

母は、どうしても行けなくなった場合の事も指示してくれていた。
目指す場所の途中に交番がある。お巡りさんにお話しすれば、お産婆さんの家まで一緒に行ってくださる。と言うものだった。

前もって、お巡りさんにお願いした事ではない。彼らは庶民の味方だと言う母の思いだけだ。

お巡りさんが私達二人の姿に気づかれたら、駆け寄ってくださるかもしれない。

私がお願いすれば、お巡りさんは一緒に産婆さんの家まで同行してくださるだろう。
そうなって欲しい気持ちになる。

交番に差し掛かった。交番の中を覗くとお巡りさん二人が何やら書き物をされておられるようで、下を向かれたままだ。

一瞬、迷った。こちらから声をかけようか。

ちらっと、妹を見る。
彼女は唇を一文字に結び、表情が固い。
いつもは見せない顔を見た。

私は頑張ろうと思った。頑張らなければいけない。妹も頑張っている。産まれて来る妹か弟のお姉ちゃんなんだ、私と妹は。
少しだけ、強い気持になる。
また歩き始める。

そして、道のり半分の所にある幹線道路を渡った。ここからは、普段でもあまり行かない界隈だ。でもあと15分位で着くはず。何事もなければ。

同じような家が続く。わかりにくいし、暗い。少しウロウロする。人通りは家を出てからまるで無い。いや、人と出会う方が怖かったかもしれない。

母に目印と教えられた場所にたどり着く。後は一本道。

あそこだ。お産婆さんの家だと思う、多分。
そう思った家の玄関の電気がついている。早足でたどり着く。本当にここなのか?
玄関の明かりで表札が読める。間違いない、ここだ。

「着いたよ」妹に言うと、妹はいきなり激しく泣き出した。緊張の糸が切れたのは私も同じ。玄関の前、磨りガラスの引き戸を叩きながら二人で泣いた。

「こんばんは、お願いします」
母に教えられた通りに、声を掛ける。泣き泣きでも大きな声を出せた。

玄関の鍵が開けられているのが、ボンヤリ透けて見えた。ガラガラと玄関引き戸が開く。
涙の中に産婆さんのおばさんがボヤけて見えた。私たちを見て驚かれたが、優しく頭を撫でながら言ってくださった。
「良く頑張ったね」と。

この言葉で、私の肩の力が抜けた。
おばさんが支度をされる間、私達はホットミルクをご馳走になった。

玄関の中の明るい上り框あがりかまちで、私と妹は役目を果たした事に安堵し、自然に笑顔になっていた。
暖かいミルクは冷えた身体を温めてくれ、緊張しっぱなしだった心も解きほぐしてくれたのだ。

お産婆さんの家の玄関に電気がついていた事は本当に助かった。お産は時間を選ばず始まる。夜中の訪問者への配慮と知ったのは後の事。

お産婆さんと三人で家に向かって歩いた事は記憶に無い。
ただ、交番の前でお巡りさんが、気をつけて、と声をかけてくださった事は覚えている。

帰宅し、朝、学校に行ったのも覚えていない。
学校から帰ると、広島の祖母が来ていて、女の子が産まれたと教えてくれた。

一緒に産婆さんの家に行った当時小1の妹も、この道行をよく覚えていると言う。この妹が居なければ、私は産婆さんを呼びになど行けなかった。

いつも、お姉さん風を吹かし威張っていた私だったが、あの時ばかりは妹は心強い同士だった、いや、それ以上だった。

後に母はのたもうた。

「なんで、あんたら小さい子を夜中に行かせたんか覚えてない。なんで、お隣に頼まんかったんかねぇ」と。

おいおい、今更何でやねん、である。

私もお産を経験したが、病院出産であり、病院に入れば全てお任せ。それでも不安な気持ちは拭えなかった。
母の心細さは私の想像以上だったであろう。
そんな時、幼い私と妹が頼みの綱であった事を思うと、産婆さんを呼びに行った小さな私達を褒めてやりたい。


この時産まれた妹は、僧侶の資格を持っている。
私が身罷るみまかる時は彼女に導きをお願いするつもり。
今度は私を、両親の元に送り出してもらいましょう。ちょっと楽しみです。


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2022年の幕明けです。おめでとうございます。
良い年になると良いですね。
私は初詣で、世界平和とコロナの終息をお願いしてきましたが、これって去年と全く同じ‥💦
今年もどうぞよろしく。 めい

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