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国会議員の秘書⑤

 年明けからの国会議員の活動は、先に書いたように一般的には、1月4日の各種団体の新年賀詞交換会から始まる。中央では総理はじめ閣僚が伊勢神宮を参拝して総理年頭記者会見をし、8日前後が自民党本部の仕事はじめで総裁、幹事長が新年の挨拶をして一年の政治が始動する。そして1月20日あたりから通常国会が始まり、2月はじめぐらいから衆議院で予算委員会開会される。2月末には、衆議院で予算が通過をし参議院に送られ、参議院でも予算委員会が開会されるという流れになるが、衆議院で予算が通過し、少なくとも自然成立する目処がたってくると新年度に向けての各省庁が持つ補助金事業の採択に向けていろいろな動きが出てくる。
 正直に言うと私は当時、このような国会や中央官庁、自治体などの動きなど勉強不足で全く知らずに、事務所の雑用と京都の選挙区をまわる業務をしていた。野中先生からは、「俺は月に2足靴を潰すくらい若いときは、選挙に勝つために歩いていたから、君らもどんどん歩け。事務所にじっとしているな。外に出ろ。」とよく言われていた。しかし、私が地元でいくら頑張って歩いたとしても月に2足靴を潰すなんて到底無理な話でどうしてそんなに先生は、歩いて靴を月に2足潰していたのかを考えると、野中先生の若い頃といえば、まだ、道路も舗装されていないところも多く、2足とまでは言わずとも1足ぐらいは潰れることがあるという結論に私は至った。
 学生時代に、府議会議員の事務所でアルバイトしていた時は、毎日、住宅地図を持って外まわりをしてあらかじめ指示されている道路の両側に建っている家に一軒一軒飛び込みで入り「前の壁にポスターを貼らせていただけますか?」と言いながら1年間飛び込み訪問をやり続けてポスター貼りのアルバイトをしていたので戸別訪問などは、訪ねるためのリーフレット等のグッズさえあれば何とも思わないでやることは出来たが、それを当時の広い中選挙区でするのは、世帯数からいってもまわるのは到底無理だし、効率もよくない。集中してまわる地域を決めてその地域の後援会の幹部の方にお願いして連れてまわってもらうのと、先輩秘書が毎日地域の新聞に掲載されているお悔やみ欄をチェックして関係のありそうなお宅や後援会の方から連絡がきて知らせもらうお通夜や葬儀に議員の代理として参列することが、日々の仕事であった。多い時には1日に3ヶ所ぐらい葬儀の梯子をすることもあった。また、後援会の方やその知り合いの方の自宅に訪ねて行っては、先生の活動などの話をしている延長で夕飯をご馳走になったり、その地域の店に連れて行ってもらって食事をさせてもらったりした。そこまでの関係になると事務所で不手際があって後援会の方から怒って連絡があっても、謝りに行くと「おまえが来たんだったら仕方ないな。」と言ってもらえるような関係を築いていた。本題からはそれたが、これらが地元の秘書の日常であった。
 私は、衆議院で予算が通り、参議院で予算が可決される目処がたつようになった時に、また、東京が忙しくなるから手伝いに行くように言われた。内心「また、東京に行ける」と喜んでいた。
最近は、デジタル社会でネットで検索すると情報は何でもすぐに出てくるし、各省庁もホームページで瞬時に行政情報を公表するようになったが、当時は、いかに各国会議員の事務所というか秘書たちが情報を取って誰よりも早く内々に首長や系列議員、後援会幹部に、知らせることが出来るかが秘書の腕の見せ所だった。もちろんその仕えている議員あっての話である。先輩秘書は情報を取るためにどのように役所と関係を築くかが日常の業務だった。また、野中先生は、町長や副知事を経験されていたので、役所側の立場や情報の取り方もどうすればいち早く情報が取れるかよくわかってられたし、先生自身いろいろな関係を構築されて自ら情報を誰よりも早く入手されていた。私たち秘書がそれらの情報が取れず誤魔化していてもすぐにどこが悪かったのかを見破られたので、誤魔化しが効かなかった。一にも二にも、早く情報を取ってその情報を必要とする方々に伝達するのが、私たち秘書の最重要課題だった。
参議院で予算審議が終わり、国家予算が成立すると4月1日に新年度の建設省や農林省などの公共事業の補助金の箇所付が発表される。それを3月30日や31日に少しでも早く、地元の何々町に通っている道路の延長にいくら補助金がついたとか、どこどこの農業用水にいくら補助金がついたなど各市町村別に内示して判明している補助金を分類して前述した地元の要所要所にFAXと郵便で送るのである。
東京では、入手した補助金の箇所と金額を各市町村別に整理して見やすいように作成した用紙に記入して出来上がったものから京都の事務所にFAXで送信する。この市町村の箇所別、事業別に振り分けて記入する作業だけでも11市33町村あったので大変な作業量であり、さらに、当時は、パソコンなどはなく手書きだったために時間がかかった。私は、京都事務所勤務だったので、補助金一覧に出てくる選挙区の難しい地名や地理的なものがある程度わかっていたので箇所付の場所がどこの自治体かわかり重宝された。当時野中先生は、建設委員会の理事をされてたので、建設省で繋がりの深い局とかには、配慮してもらって他の事務所よりも補助金の一覧を内々に早く届けてもらったりした。私は、議員会館の事務所に行き、この作業を手伝った。議員会館の自民党議員の各事務所は、深夜でも秘書が揃ってこの作業をしていた。みんなほぼ徹夜状態だった。議員会館の奥の部屋では、野中先生も残ってこの作業を見守りながら補助金一覧を見て関係の深い自治体の幹部に電話で「どこどこに満額つきました。よろしくお伝えください。」などと連絡されていた。
一方、京都事務所では、暮れの大蔵原案内示の時と箇所付の時期は、全員で徹夜で作業をしており東京から流れてくるFAXを印刷して首長、系列議員、後援会幹部に発送する作業と自治体にFAXする作業を手分けしてやっていた。この作業も重要で、同じ選挙区の議員よりも1分でも早くFAXの送信時間の跡形が残るようにしないと後援会の幹部や議員から「どこどこの方が、お前たちより何分早かったと役場が言ってたぞ!」とお叱りを受ける。それがないように常にいち早く補助金の箇所や金額を正確に情報を入手し、京都で要所要所に伝達するという業務は、1年間の国会議員の事務所の行事としては、日頃からお世話になっている人たちに、議員の中央での力量と秘書の日頃の努力を評価される場面だった。
以上が年明けから新年度を迎える時期の私が秘書になって1年目に経験したことである。

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