山田大智

政治関連コンサル/元野中広務秘書 /国会議員秘書歴30年余 /選挙実務実績18戦15勝…

山田大智

政治関連コンサル/元野中広務秘書 /国会議員秘書歴30年余 /選挙実務実績18戦15勝3敗2不戦/ /政治活動実務支援/政治関連等企業・団体相談受/情報コンサルタント/心相鑑定師/心相鑑定メールください。 E mail: k-yamada.y@quartz.ocn.ne.jp

最近の記事

国会議員の秘書15(地元から東京へ)

 昭和62年の暮れには、大蔵原案内示の時に東京の議員会館に行って東京事務所を手伝いして原案内示の数字が固まると京都に戻って資料の発送をやり、昭和63年の新春を迎えた。正月の賀詞交換会が一通り済むと2月には、『自由新報』号外版を作成し後援会の名簿15万人に発送した。また、四つある政治団体の昭和62年度の収支報告書を今回は、無事失敗なく作成して京都府の選挙管理委員会に提出し終わり、3月末に再度、東京の議員会館に行き、建設省と農林省から各自治体の補助金の内示が出て箇所付の情報を後援

    • 国会議員の秘書14(地元)

       この年の11月に中曽根内閣から竹下内閣が発足した。野中先生が衆議院議員に出るきっかけになったのは、青年団の時から付き合いがあり、いろいろとご縁の深かった竹下登先生が国会に出てくるように野中先生にアプローチされた経緯があった。その竹下先生が、経世会としても念願であった総理に就任されたので大変喜ばれていた。  それとは対象に事務所内では、東京、京都とも秘書同士の不協和音が出ていた。私は、1番下の秘書だったので毎日が息苦しかった。野中事務所は、地元は地域別に担当の秘書がある程度決

      • 国会議員の秘書13(地元・政治資金収支報告書)

         私が野中広務秘書としての位置付けをとるために、1年目に元秘書だった方から教えてもらった「政治資金収支報告書を作成出来るようになると秘書を辞めさせられることはないよ。お金の流れを知ることによって、それが武器になるから。」という話を聞いて進んで「誰も事務所で京都府の選挙管理委員会に提出する政治資金収支報告書をされてないと思いますので私に作成させてください。」と野中先生にお願いして作成した政治資金収支報告書が、毎年、11月末に京都府の公報で公開される。  とうとう初めてその日がき

        • 解散総選挙の可能性

           今回の自民党党紀委員会の処分の結果を見て私は、現時点では、解散総選挙は相当遠退いたように考える。この状況では、岸田総裁の再選の可能性も高まってきているのでは?と思っている。岸田総裁が再選されると衆議院の解散は、来年の5月の連休明け以降になるのではないか。と予測している。訪米や補欠選挙、5月の連休明けの国会の行方などを見ないとならないが、ひょっとすると今回の衆議院の任期を全うするまでいくかもしれない。と思う。その根拠は複数見当たるのであるが、noteに記すのはひかえておこうと

        国会議員の秘書15(地元から東京へ)

          国会議員の秘書12(地元)

           野中広務事務所に入って1年半が経過した。この時期は、事務所が企画して比叡山の根本中堂の側にある研修所で1泊2日で開催する40代までの後援会の青年200名ぐらいを対象にした後援会連合会青年研修会や60代以上の方を対象にした1000人規模のゲートボール大会を2箇所で開催するなどしていた。それもこれもこういうイベントは全てが、後援会の組織固めのための催しだった。これとは別に、各府議会議員や市議会議員も自分たちの後援会で旅行会や観劇会、芋掘り大会などを盛んに開催されていた。これらの

          国会議員の秘書12(地元)

          解散総選挙の可能性

           私なりに、少し考えたことを書かせていただきます。今回の派閥の政治資金規正法違反事件を巡り、派閥パーティー収入の還流分の政治資金収支報告書への不記載が確認された安倍、二階両派の議員82人のうち、約40人を党紀委員会で処分する方向で調整しているようであるが、離党勧告や党員資格停止などを受けた議員のところの選挙区に、総選挙が行われると岸田総理と党執行部は、自民党の候補者を別に立てる可能性が充分ありうるのでは?と思うようになってきた。 小泉郵政選挙の刺客を送り込む再来があるかもしれ

          解散総選挙の可能性

          国会議員の秘書11(地元)

           私は、小学校低学年の頃からよく友だちの家に泊まりに行っていた。また、高校ぐらいになると一年のうちに三分の一ぐらいは、友だちの家で泊まって自宅には、帰っていなかった。このようなことがよかったのか、悪かったのかはわからないが、そのように成長したので秘書をしても後援者の家に上がり込んで食事をさせてもらったり、何時間でも喋っているということを平気でやってしまっていた。人からすれば、厚かましく迷惑なことであるかもしれないが、自分で言うのもおかしいが、この人とならと思うと方とは、本音で

          国会議員の秘書11(地元)

          国会議員の秘書⑩(地元)

           現在の京都府は、道路事情も相当良くなってきている。近畿自動車道、京都縦貫自動車道、京奈和自動車道、第二外環状道路が開通し、また、 新名神高速道路も着工中である。河川も私が秘書になりたての頃より水害は少なくなったし、地下鉄も東西線などが出来て便利になった。京都に帰ると丹後地域に行くのに3時間半ぐらいかかっていたのが、1時間半あれば行ける。以前から比べると想像出来なかったことである。  私が野中事務所に入った頃、京都府の管内図というのを入手してもらい計画されている道路や整備す

          国会議員の秘書⑩(地元)

          国会議員の秘書⑨(地元)

           後援会旅行のイベントが終わり、梅雨が明ける頃には、京都では祇園祭りがクライマックスを迎える。この時期の地元の事務所のイベントとしては、野中系列と言われる28人いる京都府議会議員や京都市議会議員の先生方を夜、京都の街中から少し離れた料亭に招待して、日頃からお世話になっている労いと結束を兼ねて年2回、夏と冬に懇親会を開催する。街中から少し離れている料亭にするというのは、招待している議員の先生方に対する野中先生の気配りでもあった。 その料亭の大広間に入るとお膳がひとりづつ用意され

          国会議員の秘書⑨(地元)

          国会議員の秘書⑧(後援会旅行)

           昭和62年の統一地方選挙も終わり、5月のゴールデンウィークは、統一地方選挙の事務所内の残務整理などで休みなく平常通りの勤務であった。表向き事務所は、閉めているもののそれぞれの秘書は、自分の担当の仕事をした。また、この時期は各地域でお祭りや行事もあり、それに顔出しとかを分担してやっていた。世間では連休だったが、事務所は、全くそういうものは関係がなかった。  この時期を過ぎると事務所は、後援会の方との交流と地盤固めと拡大をするために、後援会旅行の計画が持ち上がる。後援会旅行は、

          国会議員の秘書⑧(後援会旅行)

          国会議員の秘書⑦

           昭和62年の統一地方選挙は、京都府議会議員と政令指定都市の京都市議会議員選挙の前半戦が終わると次に後半戦に入った。後半戦は期間が短いうえに、市町村会議員選挙では、ほとんどの自治体が選挙になる。自民党の公認を取って出馬されている候補者は限られていて大半が保守系無所属の候補者だった。その中でも野中系と言われる候補者は、京都府全体で300人近くおられた。その候補者全員に、陣中見舞いと祈必勝ビラを秘書が手分けして持っていくのである。選挙期間前に一通り候補者の自宅をまわり、選挙期間が

          国会議員の秘書⑦

          国会議員の秘書⑥(新年度)

           昭和62年の4月に入って、この年は統一地方選挙があった。第2週の日曜日が京都府議会議員と京都市議会議員の投票日でこの選挙期間中は、野中先生に随行してまわった。野中先生の系列の候補者だけで30人以上が立候補していた。各選挙区で自民党同士、また、野中系列同士の候補者が競い合っていた。各候補者に応援に入るだけでも自分の選挙の時と同じぐらいの日程の動きだった。  前年の衆参同日選挙後に、野中事務所を退職した一昨年参議院議員を引退をされた前国家公安委員長の二之湯智さんが、京都市議会議

          国会議員の秘書⑥(新年度)

          国会議員の秘書⑤

           年明けからの国会議員の活動は、先に書いたように一般的には、1月4日の各種団体の新年賀詞交換会から始まる。中央では総理はじめ閣僚が伊勢神宮を参拝して総理年頭記者会見をし、8日前後が自民党本部の仕事はじめで総裁、幹事長が新年の挨拶をして一年の政治が始動する。そして1月20日あたりから通常国会が始まり、2月はじめぐらいから衆議院で予算委員会開会される。2月末には、衆議院で予算が通過をし参議院に送られ、参議院でも予算委員会が開会されるという流れになるが、衆議院で予算が通過し、少なく

          国会議員の秘書⑤

          国会議員の秘書④(地元)

           京都の事務所では、暮れの大蔵原案予算が閣議決定された資料の発送が終わると各市町村の消防団の夜警に差し入れをするための挨拶まわりを秘書が手分けして行った。また、昼間は、各後援会の幹部宅や系列議員、選挙区の自治体の幹部や選挙の応援に来てもらった方などに、この年は総選挙があったので、例年より年末の挨拶に伺うところの数が多かった。また、事務所の年末の掃除を一通り終えて大晦日の夜明けから先輩秘書の運転をして京都府の三重県と奈良県の県境の南山城村の後援会の幹部宅に朝一番で伺い、椎茸の原

          国会議員の秘書④(地元)

          国会議員の秘書③

          12月末の国家予算の大蔵原案内示が発表されると自民党内の政策調査会という政策決定機関があり、その下に調査会や部会という政策を議論し自民党として意思決定する組織と、また、別に議員立法などをするために思いを同じにした議員たちが加盟して設立する議員連盟などがあり、これらの会議で各省庁の予算を増額するとか、新規予算を認めるとかを議論し大蔵省と各省庁が、議員を巻き込んで予算の分捕り合戦が当時は、繰り広げられていた。それも政治のパワーゲームの象徴であったと思う。  そして、来年度予算が閣

          国会議員の秘書③

          国会議員の秘書(初めての東京)②

           東京に出て来て、初めて挨拶に行ったのが、憧れていた田中角栄先生の秘書をされている方の事務所。私にとっては遠い世界が目の前にあった。第二秘書に連れられて第一議員会館、第二議員会館、参議院議員会館などをまわった。現在、官房長官をされている林芳正先生の御尊父の林義郎先生の事務所や羽田孜先生の事務所で先代からの金庫番をされている秘書の方や小沢一郎先生の筆頭秘書の方など旧木曜クラブや経世会の幹部の事務所に挨拶に行った。  挨拶に行く各事務所の秘書の方は、私から見るととても年配で雲の上

          国会議員の秘書(初めての東京)②