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野中広務の秘書になって選挙公示前

 野中広務陣営は、竹下登大蔵大臣を招いて決起大会をしようとして大失敗をした後も、選対のメンバーは、何故かこの年はまとまりがなくギクシャクしたものになっていた。既に選対本部では、支援者からの派遣で手伝ってもらっている方やアルバイトを含めて200人以上が常時フル稼働で動いていた。これは事務所で見える範囲で潜伏して動いている方や後援会各支部で動いている方を入れると800人はゆうに越えるだろう。
 私はというと秘書になってまだ2ヶ月あまりで
先輩秘書からいろいろな仕事を振られて忙しさとその重圧で心身共にパンク状態になっていた。
 公示日に各後援会に掲示板に貼ってもらうポスターの仕分けやビラの配分、備品の調達やアルバイトの運動員のシフトの割り振り、レンタカーの手配などいろいろな作業に加え、荷物運びなどやらないといけないことが山積していて朝早くから夜遅くまで休む暇なく動いていた。完全な睡眠不足状態で秘書と運動員をしていた頃と雲泥の差があったし、責任も重くのしかかってくる。野中広務の秘書になりたいと思って入ったが、このまま果たして自分は、秘書を続けていくことができるのかということが頭にぼんやりと過ぎっていた。先輩秘書や陣営幹部からはどんどん自分に仕事が振られてくる。私の許容量も爆発していた。
それに加えて1ヶ月以上1日の睡眠時間が3時間程度で、いくら若かったとはいえフラフラの状態で、普通なら各市町村の後援会に振り分けるポスターの数など数えるのは大したことのない作業だが、寝不足で頭が回っていない状態なので、単純な計算が出来ず何回も何回もやり直さないと数が合わないという状況でさらに時間がかかるという悪循環になっいた。人間ここまで寝不足になると極限の状態に追い込まれてくるということを味わった。
公示日2日前にして作業を終えて夜中の2時過ぎに事務所の駐車場にむかい、自分の車に乗って自宅の方向へ車を走らせた。一刻も早く横になりたいと思いながらも頭は全くまわらない状態で、カーステで曲をかけても何を鳴らしているかも頭にも全く入ってこない。だいたい選挙事務所になる場所から自宅までは車で40分ぐらいの距離だった。ようやく私の自宅の近くまでなんとか運転して戻ってこられ、200メートルぐらい先に既に自宅が見えているのだが、足に力が入らずアクセルを踏むこともできないし、ハンドルを回すこともできない。自宅がすぐそこに見えているのに身体がいうことがきかない。力を振り絞って道路脇に車を辛うじて停車させてシートを倒してその場で横になり寝てしまった。夜中にぼんやりと「あと少しなのに」と思いながら見えた実家の風景は今も記憶に残っている。まだ、公職選挙法も変わっていない中選挙区時代の駆け出しの秘書だった私の笑い話の一つである。

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