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酒好きの言い訳

頭の中がどうなってるのかわからない。
でもお酒の力は偉大で、今の自分の孤独とか惨めさとか、全部ふわっとさせてくれる。
色々忘れたいことはあったけど、今は酒のせいで分からない。
結局のところ、私にとってそれは薬みたいなものだ。
見たくない現実を忘れさせてくれる特効薬みたいなもので、辛ければ辛いほど、効き目が強い。

私が忘れたいことは、本当は自分自身の不甲斐なさとか自尊心のなさなのだと思う。けれど、それに気づいている自分に気づきたくなくて、私はいつもどこかに飲む理由を求めていた。

酒を飲むのは、仕事がうまく行かないせい、元彼のせい、家庭環境が悪いせい、人間関係のせい、世の中のせい。いつもそれは他の誰かのせい。

そして、その誰かは、私の場合は大抵父親だった。

あるとき、私と同じ症状の男がいて、彼も自分の境遇がどれほど不幸か私に語った。特に父子関係についての不幸話を打ち明けられた日以来、気づけば私は彼のセフレになっていた。
酒の力を借り、全てを忘れて一夜を明かし、酔いが覚めると、いつも後悔した。
でも、しばらく私は同じことを繰り返した。

また、違う男は、父と死別していた。
私は彼の家に何度も泊まった。
彼と飲むと十中八九泊まった。

元彼の父は、浮気症で他の人との子供を作っているような男だった。
もちろん彼の家にも泊まった。
一緒に飲むと、意味もわからず酔っ払って泣くことさえあった。

私の父は彼らの父ではない。
分かっているけれど、どの場合もあり得そうで、父が仕出かしたことで彼らが不幸になっているような錯覚に陥った。
私は、お酒を飲むと頭がおかしくなって、どういう訳か家に帰りたくなくなった。いや、訳は分かっている。家には、父がいるからだ。

全部父のせいにして、私はずるい人間だと思う。でも、どの場合も酔った私はいつも、他にどんな嫌な事があっても帰るよりはマシだと思っていた。
父は、私のことが心配なんじゃない、ただ私を管理下に置くことが出来ないのが気にくわないだけなのだと。

私は父の愛情が欲しかったのだ。支配的な欲望ではなく、自由で柔軟な包み込むような温かい愛情が。

…と思ってさえいれば、私はいくらでも酒を飲めた。本当に目を背けたいことほど、簡単に気づかぬフリのできるものはない。こんなときばかりは、人は天才になれるものだと思う。私は質の悪い責任転嫁の天才、大悪党である。

否、私が悪党であると思うことにより酒を飲むのであれば、むしろ父親の方が飲む理由ではなかろうか。責任者は誰だろうか。

頭が回らなくなってきた。こんな時こそ更に酒を飲もう。難しいことは全て忘れよう。

酒は偉大だ。全てがふわふわと宙に浮き、誰のどんなせいで飲んでいるのかなんて、最後にはどうでも良くなる。泣いたり笑ったり感情の赴くままに何でもやって、仕舞いにはパタリと倒れるかイビキをかく。

そうしてまたどうにか生きのびられる。

いつか飲む理由を探さない日が来ることを信じている。

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