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ウクライナ戦争とソルジェニーツィンーー近所で遭遇した臨場感の一角

パリのアパートの近所には本屋さんがものすごく多い。パンテオンやソルボンヌが近いせいもあるのだろう、人文学の各分野専門書店からイスラム教の専門店、カルトや漫画やミステリ特化の古本屋まで、驚くほど幅広いラインナップ。これだけ数があって、一体どうやって経営が成り立っているのだろうと、散歩するたびに心配になるくらいだ。

そんな中の一軒。かれこれ一年くらい前、例によってぶらぶら散歩している途中、その店のショーウインドーに目が止まった。一目で、あ、あの話だ、と見当がつく本が、そこにひっそりと飾られていたからだ。私が知っているのは日本語訳バージョンだけれど、そこに立てかけてあるのはフランス語版。なんだか懐かしくなって、思わず店のドアを開けて中に入ってみると・・・・。

ウナギの寝床とはまさにこのこと。外からは思いもよらない奥行きの店内には、キリル文字とアルファベットの背表紙がごちゃ混ぜになり、それはそれはカオスな状態で書架にぎっしり並んでいるだけでなく、その辺の台や机の上にも無造作に積み重なっている。そんな本の山に埋もれるようにして、そこに人がいることにしばらく気づかなかったくらいにあたりの風景に完全にシンクロし、その白いあご髭の老人は微動だにせず、窓際の椅子に腰掛けているのだった。

トルストイかと見紛うその老人がてっきり店の主人だと思い込んだ私は、あのお、すみません、そこの後ろの窓のところに飾ってある本なんですけど、と問いかけた。

老人は口も開かず、店の奥の方を顎で示す。その示された薄暗い方向に目をこらすと、ちょっと気難しそうなおじさんがのそっとそこに立っていた。その彼にお願いしてとってもらったのが、この本↓↓↓


フランス語版「おおきなかぶ」

みなさんにも、あ、あれだ、とすぐにお分かりになるでしょう。懐かしのロシア民話、「おおきなかぶ」。日本語版では白いカブの絵だったけれど、こちらの絵は赤カブ(タイトルは「大きな大きなカブ」)。絵の感じもかなり違うにもかかわらず、あ、あれだ、とすぐにピンとくるのが不思議だ。

かなり埃まみれな上、なんだか日に焼けてやや黄ばんでいる。できればもう少し綺麗なのが欲しかったので、これはもうこの一冊だけですか? と尋ねると、おお、ちょうど昨日、在庫の最後の一冊が売れちゃったばっかりでしてね、と、なんだかロシア民話のホラ吹きみたいなことを言う。その後、しばし、なぜか政治談義(日本の民主主義は最近、どうなってるのかね、というようなことを聞かれたので)をし、その店を後にしたのは、そうだった、ウクライナの戦争が始まる半年ほど前のことだった。

店の看板にはLes Editeurs Réunis(版元の寄り合い、といった意味)と出ているが、なんとそこは鉄のカーテンをすり抜け、一外交官が運び屋となってソルジェニーツィンから手渡された「収容所群島」の原稿を秘密裏に編集、1973年、世界に先駆け、それをロシア語で出版した版元でもあった。それにちなんでソルジェニーツィン文化センターという別名もついている。創業は1925年。元々はロシア革命で亡命した作家たちの作品出版を手がける版元で、YMCAの財政支援を受けていたらしい。現在は、出版だけでなく、ロシア人作家の著作やロシア関連書物の販売や文化イベントの企画なども行っているが、言論、出版の自由を国の外から支える当初のミッションは今も綿々と受け継がれているようだ。

ビフォー&アフター「ウクライナ侵攻」

2022年2月24日。あの日のロシアのウクライナ侵攻以来、ウクライナの人々の置かれた厳しく悲惨な状況に胸を痛めてきたけれど、同じように心を痛め、恥辱の気持ちでいっぱいの国内外のロシア人のことも、私は気の毒でならない。なので数日前にこの店の前を通りかかった時、トルストイ風爺さんとホラ吹きおじさんのことがとても気にかかったのだ。彼らもまた、そんなロシア人(あるいは亡命ロシア人の子孫)に違いないからである。

肩身の狭い思いをしていないだろうか。今、彼らの心を占めているのは悲しみだろうか、怒りだろうか、絶望だろうか。


店の入り口に張り出された「声明」

果たして、店には明かりがついており、通常通り営業しているようだったが、店内はしんと静まり返っている。そして入り口には一枚の紙切れが張り出されていた。

それは「ロシアによるウクライナ侵攻について」と題された声明文だった。感じ入るところ大だったので、以下、訳出を試みてみる。

ソビエト連邦時代、国内の様々な勢力同士の間に将来的にもたらされうる紛争を予想し、1981年、ソルジェニーツィンは次のように記した。

「私の心情の中には、ロシアとウクライナの紛争のための場所はありません。どうか神よ、それだけはご勘弁ください、だが万が一、そんな極端なことが起きてしまうのだとしたら、これだけは言えます、どんな状況だろうと、私自身、ロシアとウクライナの紛争には決して加わりませんし、息子たちにも加わらせません、狂った頭が我々にそれを強いる努力をどれほど重ねようとも、です」(トロントで開催されたロシア・ウクライナ関係の国際会議への招待に対しての返答の手紙。1981年4月)

もちろん、こうした強い口調のみがウクライナに関するソルジェニーツィンの主張の全てではないけれど、それは一方で間違いなく彼の礎であり、永劫にして侵すことのできない内声である。もっとも深い信念であり、ロシア人、そしてキリスト教徒としての良心の表明ーー彼の言葉を借りるなら、その「心情」そのものである。

ロシア連邦の指導者によるウクライナへの攻撃は、人間の本性にもとる犯罪であり、狂気である。それは恐ろしい苦しみと多くの犠牲者をすでに生み出し、今後も生み続けるだろう。我々はウクライナの人々の勇気に敬意を表し、ウクライナの市民と国家への心からの連帯を表明するものである。彼らの苦悩が一刻も早く終わりを迎え、明日の欧州の柱の一つとしてのウクライナ、自由で民主的で豊かなウクライナ国家の発展に取って代わられることを希求する。

同じく欧州の大国であるロシアにとっても、隣人国家へのこの不当な攻撃は悲劇である。現行政府が国全体を巻き添えにして閉じこもっている袋小路の突破口を見つけるのは、現在のところ非常に難しい。だが、この悲劇的な出来事が全体主義という蜃気楼の最後の身悶えであらんことを、という希望を我々は捨てずにいたい。ロシアがその悪霊をふるい落とし、多国間の協調に舞い戻り、隣人国家との平和な関係の中で新しい国の建設に着手できる日が来らんことを、という希望を。

2022年2月28日
アレクサンドル・ソルジェニーツィン文化センター、一同

燃料費の高騰や、懸念される冬季の暖房燃料不足、核シェルターの話題、そして身近で目にするウクライナからの逃亡者たちの姿まで、陸続きということもあって、欧州に住む人間にとり、この戦争の臨場感は、遠い日本で暮らしている人たちよりずっと強いと思う。近所のロシア書専門店で目にしたこんな張り紙もまた、そんな臨場感の一角を作っている。

ちなみに「収容所群島」が出版された時、(ソ連共産党と非常に近かった)フランス共産党と機関紙ユマニテは「これはデタラメだ」という一大キャンペーンを張り、ソルジェニーツィンを「ナチスのシンパだ」と糾弾したという。おぞましいモンスターのイメージを作り出すために「ナチスのシンパ」という表現が欧州では度々使われるが、その直近の例は、そういえばプーチンによる「ウクライナ解放の口実」という文脈であったこともついでに思い出した。歴史の皮肉、イデオロギーの熱烈な奴隷となる人間の滑稽にうならずにはいられない。


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