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シリア難民の今

師走のコーヒー一杯から

2017年の春、『難民と生きる』という本を出した。欧州のいわゆる「難民危機(2015年)」からほどない時期、ベルリンをはじめ、いくつかのドイツの町を訪れ、そこで難民として暮らす人々と彼らを助ける人々の素顔に取材した本。人はなぜ手を差し伸べるのか、という問いへの答えを探して彷徨ったたささやかなルポルタージュだった。当時の私の関心の中心は「手を差し伸べる側(つまりドイツの市民たち)」だったが、もちろん命からがら祖国を逃れてきた人たちにもたくさん会って話を聞いた。一緒にお茶を飲んだり、時には夕食の卓を囲んだりしたこともあった。キャンプの隣の公園のブランコに並んで腰掛けたりもした。

今朝、窓の外の雪に目をやりつつ、実はちょっと久しぶりに、そんな彼らのことを思った。彼らの顔や声や仕草をくっきりと思い出した。ついでに「プレ・コロナ時代」のベルリンの青い空や満員の駅、遅くまで賑わうバーやレストラン、ドイツらしくない(と思われた)カオスにしてチャーミングな街の雰囲気のことも。きっかけは朝のコーヒーを飲みながら、いつものようにメールにざっと目を通す中、スイスの新聞「NZZ紙」から毎朝送られてくる「あなたにオススメの記事」リストの中の一つが目に止まったことだった。タイトルやリード部分から察するに、それはベルリンでシリア難民たちの「その後」を追った記事のようだった。

ああ、あれからもう4年余りになるんだ・・・。彼らの難民申請は無事通っただろうか。したい勉強はできているだろうか。就きたい仕事には就けているだろうか。アパートは見つかっただろうか。地元の友達はできただろうか。もしかしたら恋愛なんかもしているだろうか。リンクをクリックして記事の中身に飛ぶ前に、すでに「あの時」の強烈な印象が次々と蘇った。そして「あの時」と「今」との間に流れた時間の量の感覚が、ヘビー級漬物石さながらズシリと身にこたえるような気がした。

「祖国を外から変える」という希望

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・・・というわけで、相変わらずパジャマ姿、マグカップを手にしたまま、記事のリンクに飛んでみた。タイトルは「“希望がないなどとどうして私に言えるでしょう” 国外離散シリア人コミュニティと反アサド政権抵抗運動」。ふむ、面白そうだ、と思って下へ下へと記事をスクロールしても、なかなか終わりが見えない。わ、長い。ドイツ語がサクサクと読めない身には相当しんどいボリュームだけれど、「彼らの今」が気になる私には、これを読まないという選択肢はない。腹をくくり、まずは食べかけの朝食を強制終了、身支度を整えてからきちんと机に向かって記事に臨むことにした。結果、とても興味深いお話だったので、以下、その内容を簡単にご紹介しようと思う。

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ドイツにはおよそ80万人のシリア難民が暮らしており(すごい数だ!)、その中の「少数派ではあるが」という但し書き付でその記事が説くところによれば、とりわけ若い世代を中心に、祖国の圧政を倒し、民主主義に立脚した自由な社会をそこに打ち立てたいという強い思いがここ数年、育ちつつあるのだという。

国を逃れる前からすでに「反政府活動」に関わっていた人。自ら収監経験、拷問経験のある人。父親や夫などが収監され、行方も生死も不明のままだという人。毒ガス爆弾で家族を失った人。そんな彼らの多くはトラウマや無力感、敗北感に長らく苦しみつつも、ドイツでの暮らしの中で少しずつ生きる力を取り戻し、大学で学んだり、ドイツのNGOや役所などで働いたりし始めている。そしてドイツの首都ベルリンは、反アサド政権運動発足から10年を経た今、難民としてここへやって来た彼らを担い手に、その反政権運動の国外中心地となりつつあるのだという。

祖国では叶わなかった「教育の機会」「自由に意見を言う機会」「異なる意見の持ち主同士が議論する機会」を手にいれた彼らは、ドイツにおける市民運動や政治運動のあり方からも多くを学んでいる。ドイツの政治家や市民活動家たちとの繋がりも形成されてきた。そうした経験やつながりを生かした反体制運動の新たなイニシアティブやプラットフォームが、今ベルリンで次々と立ち上がっているそうだ。

そんな団体の一つがFamillies for Freedom。収監中の拷問で亡くなった(と思われる)政治犯の妻五人が2017年に立ち上げたものだ。その存在を知るや否や「すぐに参加することに決めた」というムスタファさん(30歳、女性)は自らもまた、投獄を経験。

「デモに参加した直後のことでした。すでに当局に捕まった友人が取り調べの脅しで、仲間の告発を強制され、私の名を言ったのです。しかしそうして捕まった私もまた、同じように脅され、その場で友人に電話をかけさせらた。体制はそうやって、人間と人間の間の信頼関係を壊していく。また投獄された者の家族には、その安否が知らされない。生きているのか死んでしまったのか、どんな拷問を受けているか、この先どうなるかがわからない。そういう負のスパイラルの中に生き続けることになるのです」。

ムスタファさんの父親もまた、投獄後に消息を絶った一人であり、ムスタファさんをはじめとする残された家族が生きたのが、まさにそうしたスパイラルだったのだという。そして、似たような経験を分かち合う、そのことについて語り合い、具体的な歩みを進めていけるFamillies for Freedomの活動に参加することによって、一時は自死も考えたムタファさん自身、随分と救われたのだという。

痛みや悲しみの荷物をたくさん背負い込んだ人に個人的なレベルでこうした「生き続ける力を与えてくれる場」であるだけでなく、これらの団体や活動は、「祖国を良くしたい」というはっきりとした目標を持つ政治活動の場、人権活動の場でもある。目標を果たすためのいわば「武器」となりうる勉強や議論や経験を、避難した先の国、自由が保障されたその国で積む中で、一旦はゼロ(あるいはマイナス)となった「希望」が、彼らの間でまた新たに生まれ始めているというのだ。

もちろんことはさほどシンプルではない。「反政府活動家の間でも相当な意見や立場の違いがある。受けた体験の差は、視点や目指す方向の差にもなる。個々の傷は深く、不信は大きい」(カルトゥートリーさん、29歳、女性)からだ。けれど、「ある日、再び、故郷に戻り、故郷の再建に尽くし、そこで正義や自由や芸術を享受したい」(ムフタファさん)。そんな希望に向かって、今はそのための学びや経験を積む準備期間・・・そうした位置付けに基づいた前向きな機運が若いシリア難民たちの間で高まっているのだ、とこの記事は締めくくる。

「まばゆい若さ」をおばさんは応援したい

記事中、もう一つ印象深かったことは、高齢の難民たちの諦念やシニシズムについて。あるいは長年の苦難の間に崩壊した家族、別れた夫婦たちを覆う「もはや希望に変換すべくもない傷」について。若い人には時間がある。希望を抱くのに必要な生命力もある。高齢者には時間も生命力も圧倒的に足りない、という厳然たる事実。それはこの記事の中では小さな挿入に過ぎなかったが、にもかかわらずひどく胸を打つものがあった。そうだった、ベルリン取材中、私は単身で逃れて来た若者に何人も出会った。そしてその彼らは口を揃えて言ったのだったーー「親が言うんです、自分たちはもういい、ここに残る。だがお前は若い。だから行け。逃げろ。新しい人生を築け、と」。

そうして親の希望や夢、そして可能な場合はお金、もしかしたら親や親族一同のなけなしの全財産をも託された若者たち(のうちの運が良かった者たち)が着の身着のままで逃れた先で、今、学び、体験し、議論しながら、ある者はそこでの同化や順応に努め、またある者は「さらにその先」としての「帰還」というオプションを描き始めている。もちろんドイツ語という難しい言葉をしっかり身につけた上でのこと。数年という時間がもたらしたその「変化」、若い人たちの順応や学習の力に改めて目を見張る。

その一方、こうも思う。なるほど、難民や移民という「人の移動」は辿り着いたら、はい、それでおしまい、となるようなものではない。時計の針はまさにそこから新たな刻みを始めるのだ。その刻まれる時間の流れのある段階で、辿り着いた先の土地に喜んで、あるいは仕方なく、あるいは悲喜こもごもの思いと共に骨を埋める道を選ぶ人がいる一方、最後まで故郷へ戻ることを夢見続ける人、そして法的に、政治状況的に許されればそれを実行することを選ぶ人もいる。

帰れる故郷などそもそもない(この先もずっとなさそう)という人たちの、それにしてもなんと多いこと。2019年末の時点で、紛争や迫害により故郷を追われた人の数は7,950万人。全人類の1パーセント、地球上の97人に1人に値する数だという(2020年6月UNHCR発表)。冒頭の本を私が書いた時点で6,500万人だったことを思うと、やはりこの数年という時間は、いやんなるほどのヘビー級だ。

2016年、トラックが人々の輪にいきなり突っ込むという衝撃的なテロ事件の後、それでも市民が集い、ろうそくを灯し、ベルリンの人たちの連帯を可視化したあのクリスマスマーケット、今年はコロナで軒並みキャンセルなのだろうか(ちなみに私が住む町、チューリッヒはキャンセルです)。寒い中、手袋したままふうふういって飲むグリューワインの湯気とスパイスの香りに、そんなわけで今年は出会えないのが残念だけれど、また自由に移動ができる日が来たら、ベルリンにはぜひとも行かなくては、と今朝の新聞記事を読んで改めて思った。あれほど延期続きで、あれほど「絶対不可能」と言われ続けた新しい空港もついに完成したというし(!)。



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