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ああキレイ、とばかりもいってられない

一週間ほど前まで、パリはとても寒かった。朝の気温がマイナス5度を下回ると、アパートの暖房も効きが悪くなる。普段のスイス暮らしでマイナス5度くらいは慣れているとはいえ、手袋をしていても指先がジンジンと痛くなる寒さだ。

そんな中、でもせっかくだから、と街をテクテクと歩く。雪だるまみたいに着込み、パンを買いに、犬の散歩に、銀行の用事を片付けるために、あちこち歩く。パリの名物、グレーで統一されたザンク(亜鉛)の屋根にうっすらと雪化粧が施され、この上なく美しい。澄み渡った寒空に映えるその佇まいがあんまり綺麗なので、普通なら絶対外したくない手袋を外し、写真など撮ってしまう。橋を渡りきればもう家だ。温かいお茶にラム酒でも垂らしてかじかんだ手をあっためよう、と歩みも早まる。

数日経ち、寒さも少し緩んだ頃になって、ああ、そういえば、と自分の撮った写真を改めて見る。いかにも冷たそうな空気感が漂っていて、アイフォンってすごいな、などと感心していた私の視線が、ピタリとフリーズする。隅っこの隅っこにひっそりと並ぶ、小さな二つのテントを見つけてしまったからだ。

なんということ! 雑誌編集者時代の癖が抜けず、簡単なスナップ写真であっても、カメラフレームの隅から隅までチェックの目を光らせずにはいられないはずの自分に、あの日、肉眼はおろか、アイフォンのカメラ越しにもこのテントが見えていなかったとは。寒さに「目がかじかんで」しまったのだろうか。ほっぺたまでを覆っていた大きなショールに邪魔されて、視界が狭まっていたのだろうか。

マイナス5度を下る夜、冷たい石の上のテントで眠らなければいけない人がいる。しかしその人の寝床が私の目には入っていなかった。いくらグレーの屋根にうっとりしていたからといって、いくら遠景だからと言って、自分の目はそんなにも節穴だったのか、とショックだった。


コロナを挟み、確実に増えたパリのホームレス

パリにピエダテール(=直訳すれば「足がかり」、普通は「時々滞在する小さな住まい」「街中の小さな別宅」というような意味)を構えて4年ほどになる。30年前にパリを離れて以来、いつかは戻ってこようと願い続けてきたので、それが叶ったことはもちろん嬉しい。しかし、この4年の間に、住まいの界隈のホームレスの数がぐっと増えたことが気にかかっている。

近くのマルシェまで歩くたかだか6〜7分の間に、数人。いつものパン屋さんの前には必ず1人か2人。やはり近所の教会の前にも数人。アパートを見つけた当時は、ほぼゼロだったのに、今や直径1キロの円内に20〜30人くらいという印象。数年前までは、ほぼ中年以上の男性ばかりだったのが、最近は女性や若者もそこに混じるようになった。自分の娘と変わらぬ年恰好の女の子が、ダウンコートのフードを目深にかぶって地面に座っているところに遭遇した時には、本当に胸がつぶれる思いだった。

彼らの姿があまりに日常の風景の一部になってしまったせいだろう。アウトドア用品の店のウインドウに飾られていた寝袋を目にして真っ先に思い浮かべてしまったのは、それにくるまって道端に横たわる彼らのイメージだったほど。こうなると、もはや「なかったことにして過ぎ去る」ことは非常に難しい。

じゃあ何ができるのか。「今の私」にできること、それはいつもポケットに小銭を持っておき、そんな彼らに「どうぞ」と差し出すことくらい。

「今の私」とわざわざ書いたのには理由がある。

というのも、長い間、私にはそんなことすらできなかったから。

「本人のために良くない」「自立の妨げになる」「キリがない」「どうせドラッグに変わるだけだし」・・・・という表向きの、というか自分を納得させるための内向けの理由があったのが一つ。さらにそこに人見知りの性格という邪魔も入った。見知らぬ人に、よかったらこれどうぞ、とナチュラルに声をかける、自然体でそういう行動をとることへの躊躇いや恥じらい、ぎこちなさの感覚が長らくあって、それがなかなか克服できないでいたのだ。

「本人のために良くない」というのも、これまたなかなか難しい問題で、マクロン大統領のような自力本願派(というか自力でブリリアントに活躍できる優秀な人)は、えてして「本人のやる気と勉強や訓練によって社会の生産的な一員になることこそが本当の救済」みたいなことを言うし、それも一理あるとは思う。人間の尊厳とか生きがいといった点でも、おそらく、その方が良いのだろうな、とも思う。実際、私自身も若い時はやはりそういう感覚の持ち主だった。

年の功といおうか、あるいは何かのきっかけで人生のある段階で価値観の転換が起こったのか(そのきっかけの一つは自覚のあるものだが、その話はひとまず措いておこう)。「今の私」は、パン一つ、コーヒー一杯の足しになるなら、空腹や乾きの束の間の癒しになるのなら、お金を少しばかり差しあげることにあれこれ理屈なんかいらないだろう、という感覚の人になって久しい。

お金を差し出すだけでなく、道端に座っている人に話しかけている通行人を時折見かける。顔馴染みなのか、どお、具合は? 今晩はシェルターのあて、あるの? など、親しみのこもった会話が漏れ聞こえることも多い。パン屋さんで買ってきたばかりのクロワッサンやサンドイッチを、よかったらこれ食べて、と差し出しているような人もいる。その多くは女性、あるいは若い男性だ(こういうことに関して、中高年の男性は最も薄情、という印象があるが、これは普遍的な傾向だろうか?)。カフェのテラス席を「彼らの指定席」みたいにして、暖かいコーヒーと共に提供し続けている店もある。夜、世話になるシェルターには、大きな荷物を持ち込んではいけないんだそうで、けれどそれなりに増えてしまった所有物を「だったらうちの建物の中庭の隅の屋根のあるところに置いておいたらいいよ」と、暗証番号がなければ入れないはずの建物の中に夜毎、こっそり招じ入れている人もいる(これは、私の住む建物で実際にあった話。階上のご近所さんから「そんなことがあったんですよ」と教えてもらった)。

「人見知り」が災いして、なかなかそういうところまではできない私には、だからお金を少し上げることが、当面の精一杯だ。


夜中に出会った「連帯の形」

数日前の夜、お腹の具合が悪かった犬の用足しに外へ出た。深夜を過ぎた時間だった。人気(ひとけ)のない細い道を歩いていると、前方に二人の女性の姿。年の頃、20代半ばくらい。一人は金髪ポニーテール、もう一人は髪の短いアフリカ系。あら、こんな遅くに仲良し二人のお出かけ、というふうにも見えるけれど、二人はダウンコートの上に、鮮やかなブルーのお揃いのベストを重ねている。ベストの前と後ろには、

la Nuit de la Solidarité 

という文字が印刷されている。

直訳すれば「連帯の夜」。彼女たちの手には紙挟みのようなものも見える。

あとで調べてわかったことだけれど、それは全国的な取り組みの一環としてパリ市が主催するプロジェクトで、1月25日から26日の未明にかけての夜間、ボランティア要員がグループに分かれ、割り振られた地区で野宿している人たちを訪ね歩くというもの。彼らへの「声がけ」を通し、その数やプロフィール(年齢、暮らしの様子、家族、健康状態、サポート情報の行き渡りなど)、そして必要な支援の内容を把握することが目的なのだという。

この試みはこれが7回目だそうで、昨年、把握された道での野宿者の数は3015人。前年比で16%の増加だったとのこと。

それにしてもその若い女性二人の気負いのない姿が実に印象的だった。数日前には道端にしゃがみこんで、自分の買い物袋からサラミの包みを出してホームレスの人にあげている若い男性の姿を見かけたが、彼もまた、全然普通のことじゃん、というような自然体だった。

「夜の連帯」のサイトには、このプロジェクトの趣旨として、「現場に不可欠な市民の動員」というようなことが書かれている。

現場の雰囲気が伝わるこんな動画も↓

「自分が抱いていた偏見に気付かされた」「私たちの活動の結果が政策に生かされるように」「実際に彼らと話してみて、心打たれました」といった参加者の声が、これまた気負いがなくてよいのだ。

その気負いのなさに少しばかり勇気をもらい、先ほどは小銭を差し上げる時に思い切って「こんばんは、寒いですね」と声をかけることができた。
「メルシー、マダム」 
しわくちゃで年齢不明の顔を上げ、彼ははっきりとそんな言葉を口にした。そして続けてこう言った。
「おやすみなさい、お体に気をつけて」
おいおい、気遣うつもりがこっちが気遣われれちゃったじゃないか・・・。しわがれ声の彼の言葉が、じわりと身に染みた。

・・・・・・・・・・・

かじかんだ手で撮った一枚の写真から駆け巡った想いの数々。それにしても、一時帰国中の日本のあちこちで目にした奇妙な公園のベンチ。一人しか座れないように間に仕切りをつけたベンチの、誰かを排除して見えない存在にしようとする、あの寒々しい光景といったら。

同じ行政でも、一方は連帯の夜を企画し、もう一方はベンチ仕切りで追い出し作戦か、と情けなくなることこの上ない。


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