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児童発達支援についてー思い出

私は娘を通じて、児童発達支援に関する様々な機関を利用させていただきました。病院での作業療法、市の児童発達支援センター、放課後デイ、特別支援学級、スイミングスクールなど。

これらの施設でお世話になった方々は皆、一筋縄では行かない子供達に、たくさん愛情を注いでおられました。

今回は、その思い出を書いてみようと思います。


作業療法で印象的だったのは「関節の可動範囲が広過ぎます」と言われたこと。

背筋や腕の筋肉を鍛えましょう、このまま成長すると、次第に身体が固まってしまいます…。

衝撃を受けましたが、私たちがやるべき事が一つ明確になりました。親として何が出来るのか、その一つを教えて頂けたことは、希望を頂けたことでもありました。

私も一度、療法を立ち合わせていただきました。その時のとても楽しそうに、色々な課題に取り組む娘の姿が瞼に焼き付いています。

ちょうどその日は、学生さんが研修で来られていました。帰り際、私は思わず「将来、このお仕事に就かれるのでしたら、それはとても素晴らしいこと」「本人はもとより、親にも希望を与えてくれるお仕事です」「頑張ってください」と、お伝えしました。


発達支援センターの先生方には、大変お世話になりました。センターでの日々の体験もですが、特に記憶に残っているのは、ある最寄りの保育園で行われた運動会の見学時に呟かれた一言「あぁ、あの子、あそこに居るだけで参加させてもらっていませんね」「私も過去、保育園に勤めていましたが、対応に限界を感じ、もっと関わりの持てる今の職場に来ました」

このような意識を持たれた先生に巡り会えたことは、本当に幸せでした。センターに在籍していた頃の娘の笑顔は、とても輝いていました。


放課後デイや支援学級での活動時間は、日々の成長を確認させていただけるとともに、私達保護者が子供から手を離す事ができる貴重な時間でもありました。

毎日の活動内容のやり取りで「今日はこんな事をやりました」「こんな成長を感じる事が出来ました」など、親の手元を離れた場所でどの様に過ごしているのか、親ではない人達と仲良くやっているのか、指示に従って行動できるようになっているのかなど、私たちが気にするところを、いつも笑顔で教えてくれました。

親として最も気掛かりなのは、将来親の手を離れて暮らしていけるのか、親亡き後も適切な支援をいただき生活を維持し、無事に天寿をまっとう出来るだろうか、だと思います。

学校や放課後デイでの時間は、社会の中で過ごす時間であり、親としては大きな不安と、それに負けない成長を期待して、送り出していました。

そして、学校行事には顔出し程度にしか参加出来なかったにも関わらず、卒業アルバムにはたくさんのせていただきました。

放課後デイでの活動は、毎月ラミネートにしていただいていました。当時は、一目見ただけでした。でも、家族旅行など殆ど行けなかった娘を写した写真は少なく、今ではかけがえのない貴重な記録となっています。


ちょっと、文量が多くなってしまいました。
日を改めて、私は介護者や保護者として、児童発達支援に対して何を求めていたのだろう、というところを書いてみようと思います。

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