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自分の物語を生きる

悩み事の答えは、当人の中にある。
周りの者が、自分の知識や体験を伝え、解決してあげようとしても上手くいきません。

手助け出来るだけ。

それは、人は本人にだけ意味のある物語で生きているからだと思う。

何の因果もなく非合理で、客観的事実に基づいていなくても、私には意味のある物語。

あの出来事は、このために起こったのだ。
あの時の予感は、きっとこの事だったのだ。
私の人生は、不幸の連続だった。
私の人生は、とても幸運だ、とか。

そんな心の中を、感情と事実に分け、事実をフラットに見て、自分の考えに疑問を持ち、問いを立てられると、自分の中の物語を自覚できる。

そして、当然相手にもそれがあり、相手にのみ分かる物語で動いている。私からすれば何の意味もない出来事も、相手にとってはとても大きな意味を持つストーリー。

なので、相手の物語に沿った事でなければ、相手は受け入れられないし、まして他人がそこに書き込むことはできない。

ただ、他人の物語を聞いていると、そういうこともあるのかもしれないな、と思える時がある。

誰が言ったか? 誰から言われたか?
は、それを自分に取り入れる際の判断材料になりますが、それも実は自分の物語に沿っているかどうかで判断している。自分の言葉に置き換えて、自分の物語の一部にすることで、それを受け入れる。

でも、不思議なもので、あいつの言うことは絶対に聞くまいと腹を立てても、すなわち感情や心は拒否しても、もっと深いレベルでは受け入れている真理ならば、きっとそれを理解して、自分の物語に書き込む日が訪れます。

それは、人としてとても深い部分で共有している心理が反応して、物語に影響を与え始めたからなのかもしれない。

自己実現とは、このとても深い、言ってみれば魂レベルの自己と、物語としての自我が統合されていくこと。ずっと大切かつ無意識に書き続けてきた物語を一旦消し去り、新たな物語を創造していく過程。

人生で、大きな挫折や喪失がなければ、こんなことはしなくても良いと思う。

でも、きっと、誰にでもその時はやってきます。
そうせざるを得ない、その時が、突然、嵐のように。

私は、そんな人の物語を聞いてみたい。
それは、映画を見るように、私には感想を述べることしかできないけれど…。

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