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残酷な本能の先にあるもの

「こいつ、来る学校間違えてるんじゃねーの?」
不意に思い出した、10年前に耳にした小さな子供が娘に発した残酷な言葉。

子供は純粋で残酷。

大人が口にする事を、純粋で真っ白な心に書き込み、周りへ発信する。その言葉は、時に大人をも酷く傷つける。

悪意を持たない純粋な子供を残酷に感じるという事は、人は本質的に残酷なんだなと思う。

言葉は、人の心に直接届く。
使い方次第では、心を突き刺す鋭利な槍になる。

言葉を持つ人間は、それを制御せねばならない。

言葉にするのをためらう者に、言わなきゃわからないと迫る。でも、それを出した瞬間に、より強く反撃されるから使えないのに。戦いになるのがイヤなのに。

普段黙っている者が、突然話し出すのは、もうやらねばやられるという、ギリギリの状態だから。決死の覚悟で放つ言葉を、相手に容赦なく突き刺す。

生きるために。

世の中には、その武器を持たずに生まれた者もいるのに。言葉は人も自分も癒す薬なのだと、身をもって知っていれば、いくらでも出てくるのに。

人の本能は残酷。

手にした武器を使い、相手に勝つ事を考えるのは、本能の成せる技。

嘘偽りではなく心の底から優しいと思える人でも、心の余裕がなくなれば武器を手に取るでしょう。

でも人は、その本能を制御する事で、本能に振り回されるのを止める事で、もっと深い静寂、慈愛の世界を知る事ができる。

それは人にしか出来ない。

その為には、時に本能を解放する事が必要。大きな声で歌うとか思いっきり身体を動かすとか。これも本能を制御するということ。

制御せず、本能のままに自分を解放するのは、やっぱり人として間違いだって、私は思う。

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