雨の日には冷えたスプーンを

※お立ち寄り時間…5分

–ビールのおつまみは枝豆でなければならないのか– 

この間、下半期の占いを見ていた時、ふと感じたことがある。

〇〇座の女性×◎◎座の男性→相性100%!!!!!!!

はて、なぜ「女性」と「男性」だけの組み合わせなのだろうかと。

人間の性を構成する要素は、身体の性別、心の性別、性的指向、性別表現がある訳で、そもそも二分されるものではない。性は、グラデーションであり、どちらか一方に属するわけではないのだ。

聖書を見ても、アダムとイヴは同時に作られた訳ではない。1人じゃ可哀想だからと、神様がアダムの肋骨から、イヴを作る。

トイレも身近にある商品も、最近はユニセックスも登場しつつあるが、身につけるものは、無意識的に二分されているように感じる。

先日、職場の管理職が

「LGBTじゃなくて、なにかもう一つあったような…。」

とぼやいていた。

「LGBTQ」はまだまだ浸透していないにせよ、問題として認識されていなかったことに、理解を示す偉い大人が増えているのは喜ばしい。

はるか昔は、犯罪と呼ばれていた時代だってあったのだから。

当たり前だと思われていることが、いつか当たり前じゃなくなる時がくる。

女性が働けなかった時
同性愛者が犯罪者として扱われていた時
奴隷制度がまかり通っていた時

今では、まだまだ不十分かもしれないが、働き方改革が進み、女性が働きやすい環境になった。

同性婚は、認められていないものの、パートナーシップ制度を設ける自治体が増えてきた。

肌の色が異なるだけで、食事やバスでさえ分けられていたのに、今では、オリンピックや政界などで活躍する人が当たり前に存在する。

人は、一人で生まれて、一人で死んでいく。

「善い人生だった。」

と生涯を終えるために、人と触れ合い、傷つけ、助け合い、自分の器を大きくしていくはずだ。

それなのに、私たちの世界は、多くは2択に絞られがちだ。

男と女
悪と善
右と左
裏と表
白と黒

どちらでもない選択

それこそが人生を豊かにするきっかけになるような気がするのに。

近年、「女性管理職」の数を増やそうと騒がしい。きっとジェンダー指数なんかが絡んでいるのだろう。

確かに、多様性という観点から社会の意思決定の過程において、女性を起用すると言うのは望ましいことだ。


ただ、何故「やりたい人」ではダメなのか?


第三の選択、があってもいいように思うのだ。 

折角、働きやすくなった環境で、望まない立ち位置に立たされれば、本末転倒である。

自由で首を絞める必要はないだろう。


そう、ビールのおつまみは、枝豆だけではない

唐揚げ
チーズ
柿の種
サラミ
生ハム

数えればきりがない。

もう少し先の未来で、第三の選択も当たり前になっていたとしたら、自由に、

怒ったり
泣いたり
笑ったり
愛し合ったり

できる人が、2倍に増えているのではないかと、常々思っている。

そんな日常が当たり前になればいい。

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