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料理は、利他であるということ

誕生日から少し時間が経った。

32歳の抱負は「言語化」と誕生日の5日前くらいから心に決めていて
さて誕生日を迎えて何を言語化したかというとまだあんまり何もできていないので、慣らし運転での久々の投稿。

今日は近所の喫茶へ、マスターへかぼちゃをおすそ分けしに行った。
小一時間後に予定があったのであまり時間の余裕がなかったのだけれど
誕生日前日にマスターが「次きたらささやかにお祝いしますよ、あんまり遅いと時効だけどね笑」と言ってくれたのはお互いに覚えていて
「デザートがいい?」「ごはんがいい?」と問いかけてくれるマスターにほだされ、時間はないけれどお言葉に甘えることになった。
(結果、後ろの予定は無くなったのは偶然なのか、引き寄せなのか)

なんなら「ヴィーガンで作るよ。ペペロンチーノかアラビアータくらいしかできないけど」と、優しいお気遣いまでしてくださる始末。
もう、それだけでごちそうさまです。

店内ににんにくの香りが漂う店内は、ちょっとした違和感と高揚感で満たされ
白い器に盛られたそれが運ばれてきた時、それはそれは特別幸せな気持ちに包まれた。

つくる人が、たべる人のことを思って作ること
たべる人が、つくる人のことを思って食べること
利他的行動を、遠慮せずにありがたくいただけることは、巡り巡って利他の循環を生み出すんだろう。

まかないだというそれは、これまでで一番美味しい幸せのペペロンチーノだった。

そして食後にはプリン(これはヴィーガンではないけど、それも食べれる?と確認してくれ、私もその気持ちをありがたくいただいた)まで出してくれ、そんなつもりもなかった今日の夜はキラキラした記憶として残ることになった。

この気持ちを、わたしも大切にしていこう。

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