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「愛するということ」その先に続く幸せの定義

エーリッヒフロムの「愛するということ」。
本の一節にこんなことが書いてあったことが頭から離れなかった。

「人を愛するためには、自分の人格全体を発達させるように全力で努力しなければいけない」
「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない」

「愛するということ」エーリッヒ・フロム 著


つまり、彼によると「愛するということ」は意思に基づくものらしい。
でも、その意思は意識から生まれるものだから、、いかようにもコントロールが難しい。

愛することの最上級はどのようなことなのか。

・想いが溢れて手紙を書いた日
・胸が苦しくて眠れなくなった日
・相手の匂いを街で嗅いでは思い出してしまった日

恋人に対して送った日々を懐かしく感じながら、思い出して振り返ってみると不思議なことに、『いつも自分が幸せだった』と結論付く。

感情のジェットコースターに揺られて完璧に酔いしれている私にふとした人の優しさが沁みたことがその結論に至った背景だ。

・カフェの定員さんがおまけをしてくれた
・仕事で後輩からお礼を伝えられた
・家族と温かいご飯を囲めた

感傷的な気持ちから離れられずに視野が狭くなっている時、ある意味そんな優しさに敏感になる。
誰かを「愛する」中で、対象がシフトするときに相手を探すことへの期待を重く持ちすぎると自分の心がしんどくなるから、五感を大切にしようと気づいた。

日々自分が生きる中で感じる五感

・美味しいものを食べるときの味覚
・好きな匂いを嗅いだ嗅覚
・好きな音楽や大好きな声を聴くための聴覚

そうすると自分の人生の幸せさに気づく。誰かに決められた幸せの定義に基づくものではなくて、自分自身が自分の人生で感じた感覚をもとに『幸せ』という感覚になる。

その中で時には思い出してしまうかもしれない。

あの時の香りや一緒に食べたあの味を。でもそれでも良いんだ。
その思い出が自分を強くしてくれたから。
今『幸せ』と感じるきっかけをくれたから。