喜怒哀楽の感情をぶつけ合い共感し、人と人は深くなっていくのかな。
世の中にどれくらい「親友」と呼べる友達を持っている人が存在するんだろう。
親友ってなんだろう?
親友(しんゆう)とは、とても仲がいい友人を差す。同音をもじった派生語に、心から理解し合える友人の事を心友、信じあえる友人の事を信友などが使われることがある。また、悪友も同じような意味で使われることもある。
とても仲がいい友人なんて、親友って存在にはちょっと薄っぺらい表現な気がする。
心から理解し合える友人のことは心友か。う〜ん。。一般的には「親友」という言葉を使うよね「心の友」って言葉を使うのは、ちょっと痛い意識高い系かジャイアンこと剛田武さんのイメージ。
普通に考えて腹の中まで分かり合えるなんてちょっと無理がある気がする。
私にはお付き合いが長い友達が多い。基本的にいつも付き合っている友達は、保育園〜中学時代の友達がほとんどだ。
その中で人に紹介するとき「親友の○○ちゃんです」という言葉を使うけど本当に親友なのか?と考えたらちょっと違う。
ううん。全然違う。親友ではない幼馴染なだけ。
だって、「親友いないもん」と思う。
人は喜怒哀楽の感情をぶつけ合えばぶつけ合うほど密度の濃い関係になれるのかもしれない
そして、共有する時間の長さで構築されていく絆は揺るぎないものになるんだろうな。
そんな人いない。自分のことは自分が一番よくわかっている。人に自分を曝けだせない性格だ。
弱みを見せることができない。ちょっと恥ずかしい。きっと出してしまえば気が楽になるんだろうし、実はたいしたことではないんだろう。
かといって、人前で泣くことも恥ずかしい思いをすることも気にならない。
ただ、心の弱さを見せることが恥ずかしいんだと思う。友達だけでなく家族にすら見せれない。
例えば、このブログだって誰にも言ってない。だって読まれるの恥ずかしいもん。
多分だけど、私は私を受け入れることができてない気がする。弱い自分を受け入れてあげてない。自信もないし、迷うこと、不安なことばかりだ。
「もっと自分に自信を持った方がいいよ」って言われたことがある
自己肯定感が低く、自分を信じてあげることができない。
かわいそうだなんてもちろん思わない。ただただ愚かだなって思う。「バッカじゃねーの私」的な。
素直に自分の中の弱さや悩みや感情を見せてくれる友達をとても素直な女性だと思う。羨ましくてそんな女性になってみたい。
「可愛げのない勝気な女」これが人からみた私のイメージなんだろう。実際、「気が強い」ってよく言われる。
痛々しくてみていられない(笑)
本当は「助けて」って言いたかったりする。でも、障害を抱えている妹や、身体の悪い母を思うと言えない。言ってはいけないと思う。
喜怒哀楽の感情をぶつけ合える友達がいる人が羨ましい。感情を共感できる友達を見つけることができるなんて奇跡だ。
人に弱みを見せないって言っても誰か気がついている人がいるかもしれない。きっと「頑張ってる」って言ってほしくて、誰かに認めてもらいたいのかもしれない。でも、親友があーだこーだいう前に私は私を認めてあげなきゃ。
あー。今日のブログは、自分に酔ったような薄気味悪いブログになっているかもしれない(笑)
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