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逮捕された(Chapter1-Section6)

 路上生活で冬は越せない。段ボール箱でどれだけ寒さを防げるかもわからない。どうやって仕入れたか分からないが、年季の入ったホームレスは、毛襟コートに身をまとい軍手や靴下を重ね防寒装備をしていた。それでも、あかぎれてむくんだ指を見ると、路上生活の厳しさが伝わった。

 夜勤あけに宮下公園の公衆トイレで洗面を済まし、初乗り運賃で山の手線を寝処にした。それが一番、寒さを凌げる方法だった。
 渋谷から池袋、東京、品川の外回りルートをグルグル回る。1周だいたい1時間。3時間寝れたら3周。
 肩を揺らされ駅員に起こされると「すいません」と、ふらつきながらホームに出た。毎回、「ここどこの駅?」と確認すると田端だった。ここで起こされる事が多かったので、完全な環状線ではないと思う。
 
 キセル乗車(不正乗車)じゃなかろうか、駅員に咎められ罰金を払わされないか、いつもビクついていた。あの頃の罪滅ぼしって訳ではないが、JR株は保有している。
(…と言っても、利食いしたので100株しかない。画像は9月25日時点)

 1991年から地価の下落が始まり、あとづけでそれを「バブル崩壊」と呼ぶ。景気がおかしくなったのは1993年で、多くの企業が新規採用を見合わせた。企業の倒産、銀行や証券会社の不祥事なども起こった。
 好景気が続くと楽観視した人も大勢いたが、1991年当時、仕事の件数は既に減少傾向にあったので、2年ほどのタイムラグがあったのだろう。
 日払い週払いを組み合わせてバイトを続けた。1年半かかったのは、計画通りにお金が溜まらなかったからだ。

 12月に入ると遺書も完成した。それを読んだ人は、精一杯まっとうに生きようとした事が伝わったと思う。
 ボクの場合、まっとうな仕事に就いてそれを証明しようとした。だから、どんなに実入りがよくても風俗業に身を置かなかった。パチンコ、ゲームセンターも風営法の1つだから働かないし、居酒屋や水商売といった仕事もしたことはない。
 語弊のある言い方をしたが、風俗業で働く人を非難するつもりはない。単にボクの価値観では、まっとうな人間がする仕事じゃない。と思っているだけ。
 職業選択の自由があるから、何の仕事だっていい。ただ、風俗業では人から尊敬されない。尊厳と引き換えに、割高な収入を得ているにしか過ぎない。性風俗業へのコロナ給付金の不支給を「職業差別」と訴えた人がいたが、裁判所は道徳意識に反するとして退けた。それが社会の認識である。
 
 渋谷という場所は多種多様な人がいた。見知らぬオジさんに3万で売春しないかと声をかけられた事もあった。無論、断る。
 とある女性に「ウリセンしない?」と声をかけられた事もあった。「ウリセンって何ですか?」と初めて耳にした単語に思わず反応した。
 見た目は普通のBAR。社会的地位のある上客がきて、気に入ったウェイター(ボーイ)をお持ち帰りすると言う。「あなたなら稼げるわよ」と誘われたが、もちろん断った。
 世の中には、いろんな性的倒錯者がいるのだと思った。
 
 渋谷のミスドで夜勤したこともあった。想像以上の客の多さに驚いた。しかも、ワンフロアを一人で対応させられ、徒競走のような忙しさに3日で根をあげてしまった。
 「フロアを手伝って欲しい」と店長に交渉すると「領分が違う」と断わられ、「せめてもう一人、フロアに配置して欲しい」と頼むと「文句あるならクビだ!」と3日分の給料も払って貰えず辞めさせられた。正直、3日もタダ働きさせられたのには堪えた。
 その店長が悪いだけだが、ダスキンの株は買わないことにしている。
 今の時代、1日でも働いたら給料を払うことは当たり前の権利として認められているが、1991年は「払わない」という事もまかり通っていた。

 ある時、ポスティングの仕事を見つけた。時給も良かった。良かったと言っても当時の時給550円に、100円ほど上乗せた程度。
 チラシを集合住宅に投函するだけで、随分と割のいい仕事だと喜んだ。ところが、それ以外に「立て看」の取付業務もあった。
 木枠に印刷された布地を貼り付けた看板を「立て看」と言う。最近は見かけなくなったが、昔は「新築見学会」といった不動産関連の「立て看」がそこら中の電柱にくくりつけられていた。
 
 行く先々でポスト投函しながら「立て看」をつける。効率的で無駄がないやり方だなと感心すらしていた。
 ある日、立て看をくくりつけていると、パトカーから警察官が出て来て「現行犯逮捕」と捕まってしまった。
 「え?これ違法なんですか?」と唖然とした。「知らないでやってる人、多いんだよね」と同情してくれたが、手続きからは逃れられず。パトカーに同乗し、警察署で事情聴取を受けた。手錠をかけられなかったのが救いだった。
 電柱は電力会社の所有物。それと道路交通法の規制で「立て看」は原則違法で、許可をとっていたら別。と警察官に教えて貰った。
 大した罪にはならなかったが、思わぬ人生の黒歴史となってしまった。
 
 職場の人が身元引受人として迎えに来てくれたが、笑いながら「滅多に捕まることないから、説明するの忘れてたわ」と。不運だっただけと諭されたが、勘弁してください…とその仕事は辞退した。
 なるほど。100円も時給が高ったのはリスクが伴っていたからだ。たかが100円で、自分の経歴に傷をつけるなんてバカバカしい話。


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