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「博士人材活躍プラン」に関する論考~休職中の頭の体操を添えて~


はじめに

近況報告

繁忙期に入ったり、自己増殖した責任感に押しつぶされたりした結果、言語能力、集中力、思考力が大きく落ちるようになった。
例を挙げると、

  • ビジネス文書として見ると明らかに変な記述が目立つ

    • 誤字脱字に気付けない(いつもだが)

  • 論理性に欠ける(もとから無いが)発言が増える

    • 他人の発言をすぐに理解できない

    • 結果会話が成立しない

  • 単純作業でミスが増える

  • 始業時に動悸と吐き気に苛まれる

    • 勤務中は常時頭痛が続く

  • 統計学・データ分析関連の論文・書籍を読もうとすると動悸がする

等。これらは仕事から離れると一定改善するのだが、業務に差し支えたので、3月から休職をしている。
休職当初は「ゆっくり積読した本でも読むか」と思っていたら、何もできない状態が1週間以上続いた。本を読むことも外に出ることもできず、X(旧Twitter)を見ては苛立ち、Youtube Shortを見ては焦り、何をしても落ち着かない日々が続いた。抗不安薬を服用しながら、X(旧Twitter)をスマホアプリとブックマークから削除したうえで、起きて栄養摂取して眠るだけの生活をした結果、最近は高木貞治『解析概論』を無心で写経することでなんとか心の平穏を保っている。
収入源がない(傷病手当金の申請が遅れている)ので書籍を買う金も惜しいのだが、図書館という施設の存在に感動している。晴れていて、かつ精神が安定している日には図書館に通うようになった。

記事の背景

そんな絶賛故障中の私だが、今週は体調の波が上振れており「X(旧Twitter)に戻ってTL見られるようになったな」と思って少し見るようになった。直後にこんな記事が入ってきて、記事の内容の第一印象や関連コメントで気が滅入るので、やはりX(旧Twitter)はよくない。

同日まとめた「博士人材活躍プラン」で、40年に人口100万人あたりの博士号取得者数を20年度比で約3倍の300人超にし、世界トップ級に引き上げる目標を掲げた。学士号取得者に対する博士号取得者の割合は8%と同3倍にするほか、博士課程学生の就職率は80%と23年比で10ポイント高めるとした。

「求められる博士」へ改善要請 文科省、大学・産業界に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE22BA30S4A320C2000000/

「博士進学者を3倍にして、就職難も解決する」という意思表明がなされている。
労働市場で精神をすり減らし「関心領域が見当たらないが研究者になりたい」とか日和見的な妄想を日常的にしている傍ら、純粋に研究者として世界で活躍している人々はそれだけで尊敬しているので、この記事については直感的な「良くなさ」を感じ、こんなつぶやきを投下してしまう。

このつぶやきの大本はTJO御大でもある

記事の内容

TJO氏のRepostsを見れば、人材の需要・供給構造の観点からの取組目標の非合理性については様々な関連資料をもとに言及されている様子。それらを読んで理解ができるならそれまでだが、とりあえず

  • 「博士課程取得者を増やす」という目標設定と評価指標の妥当性と懸念

  • 上記目標では測れない博士課程、日本国内の学術研究環境の課題

について、根拠も対案もない仮説を述べていく。参照した資料は適宜置いていくつもりだが、対案がないあたりが無責任である。しかも結論あまり明るくない。
ただ、直近友人から勧められた本では、博士取得者が企業で活躍する事例を取り上げた文献もあるので、必ずしも暗くはないと思う。

なお、上記の近況を踏まえたリハビリも兼ねている。結論クソ読みづらい割に直し方がわからないので、まだ脳みそはぶっ壊れているらしい。

文部科学省資料「博士人材活躍プラン」の要件

具体的な問題背景

こういうときにニュース記事だけで批判すると悲しいことが起こるので、頭を冷やして文部科学省が公開した資料を見てみよう。

問題意識は大きく「博士号取得者の伸び悩み・減少」と「進学希望者の減少」、「経済的制約から博士進学を選択しないこと」の3つをまとめている。

  • 欧米、近隣諸国と比較して、博士号取得者が伸び悩んでいる

    • 欧米:イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、

    • 近隣諸国:韓国、中国。

  • それ以前に博士進学者が大きく減っている

    • 社会人博士や留学生は横ばい~微増で、修士から直接進学が大きく減少

  • 修士課程からの進学が滞る理由は経済的・労働市場的理由

    • 生活の見通し、就職への心配

上記のような動向について、比較対象となっている国以外ではどうなっているのかも気になるところだが、今回はあまり深入りしない。参考までに、以下の記事ではOECDのデータに基づいて上記以外の国の博士号取得者についての統計を出しているらしく、それに基づいた記事もある:

なお、上記の記事と文部科学省が出しているデータは、OECDのデータとは異なる点は留意が必要である。この記事の主旨からも外れるので「へぇ」くらいで見てほしい。

問題に対する解決策・取り組み

取り組み内容は大きく4つ。文部科学省の資料から抜粋・要約すると:

  • 産業界等と連携し、博士人材の幅広いキャリアパス開拓を推進

    • 産業界での活躍推進、マッチング支援

    • 公的機関での活躍促進

    • 社会の様々な分野での活躍促進

  • 教育の質保証や国際化の推進などにより大学院教育を充実

    • 大学院改革の推進

    • 博士に必要な資質の明確化、大学院教育の情報公表

    • 大学と企業の連携促進

  • 博士課程学生が安心して研究に打ち込める環境を実現

    • 大学院教育研究の国際化の推進、学生等の海外経験拡大

    • 学生等に対する支援

    • 分野ごとの課題に応じた取組

  • 初等中等教育から高等教育段階まで、博士課程進学へのモチベーションを高める取組を切れ目なく実施

    • 博士人材の魅力の体外的な発信

    • 早期からの取組

目標・指標

大きな目標は「2040年における人口100万人あたりの博士号取得者数を世界トップレベルに引き上げる」ことで、そのための定量的なアウトカムは

  • 学士号取得者に対する博士号取得者の割合を2040年までに8%へ段階的に引上げる

  • 博士後期課程学生の就職率を2040年までに80%に引き上げる(2023年は70%)

    • 文部科学省内では特に採用者の10%を博士後期課程から採用する

産業界への要請

文部科学省から産業界へは7点の依頼をしている

  1. 博士人材の採用拡大・処遇改善

  2. 博士人材の採用プロセスにおける海外留学経験の評価促進

  3. 博士後期課程学生を対象としたインターンシップの推進

  4. 博士人材の雇用に伴う法人税等の税額控除の活用促進

  5. 奨学金の企業等による代理返還制度の活用促進

  6. 従業員の博士号取得支援

  7. 企業で活躍する博士人材のロールモデルの選定と情報提供

目標設定と評価指標の妥当性と懸念

「博士という肩書」から「企業が欲しがる人材か」はわからない

これはまたTwitterの引用になるが、冒頭の記載にもある「博士取得者の労働者としての価値と需要・供給」について、つまり「企業でも博士課程の教育成果が発揮できるどうか」は、「博士取得者である」という肩書からはわからないという点も懸念だと思う。

この点は「博士人材活躍プラン」でも産業界へ要請しているので、1点目の「研究の質」よりもクリティカルだと思う。要は産業界がどのように博士人材を「使う」べきかについての明確なガイドラインは、文部科学省からは提出されていない。
結局博士取得者が増えたところで、受け入れ先で活躍できないのであれば、日本の経済・社会的な発展への貢献の道の1つが絶たれることになる。これについては「博士人材活躍プラン」の中にある産業界との連携について、具体的に、でも慎重に考慮される必要があると思う。

「博士取得者数」から「研究の質」はわからない

一応、文部科学省は「研究力強化」も日本の課題として認識し、様々な指標と国際比較を通じた現状把握をしている。

文部科学省『我が国の研究力強化に向けたエビデンス把握について』https://www.mext.go.jp/content/20211015-mxt_chousei02-000018311_1.pdf

上記資料では、論文数や基礎研究力(突出した成果が生み出せているかどうか)、研究費、研究活動に割く時間などについての整理が行われていて、それらすべてが明るくない展望を示唆している。
冒頭の「博士人材活躍プラン」には「研究の質とそれを担保する環境」の課題は「解決すべき課題」に据えていない。これに加えて、私は「博士課程取得者数」からは、これらの課題が解決されたかを評価できるかどうかを評価することはできないと思っている。例えば博士の人間が増えることで「基礎研究力」が高まるかといえば、そうとも限らないだろう。
「まずは博士課程に進むという選択にインセンティブがある状態を作り人数を増やすことを優先しよう、質に対する対策は母体数が増えてからだ」という戦略自体は、考えようによっては合理的でありうる。この懸念をもとに今回の提出を批判することがもっともらしいかというと、より緊急度の高い問題を優先しようとしていると理解すれば、別段「間違って」はいないとも思う。
話を戻して、博士取得者自体が増えることで得られる成果として、単純な論文数は増加することが予想される。ただ、その論文・研究が学術的に大きな価値をもたらす内容かはわからない。「質の低い研究論文が大量に生まれる」という懸念は、「博士人材活躍プラン」と連動する形で対処することが必要だと思う。

『測りすぎ』から見る「妥当性と懸念」

実際のところ、上記で述べたような問題は、すでに欧米では批判されているし、翻訳もされている。その中の1冊がMuller(2018=2019)著『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか』という著作で、1章を割いて大学における教育・研究の質とは無関係な指標の最適化に迷走する大学に警鐘を鳴らす:

「地位財」としての教育成果と人材価値

アメリカの、それも学部進学に関する事例ではあるが、今回の文部科学省の設計した目標・指標に近いことは前例がある。

(大学はすべてのアメリカ人にとっての経済的、公民的、個人的必要性だ、というメッセージと)同じメッセージを訴える数多くの非営利組織のひとつが、ルミナ財団だ。(中略)目標は2025年までにアメリカ国民の60%に大学の学位か証書、その他の「高品質な中等教育後の資格」を持たせること。

『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか』p70
括弧内は筆者加筆

その後の論の展開としては①学部卒が増えることで「地位財」としての教育成果の価値が下がる。②大卒者は「大卒」であるという地位的価値だけで競争することになり、大学で学んだことを企業で活かせない。③大学進学者の多くが補修を必要とする
……ということで、これは日本の大学学部での課題としても一応政府は認識しているレベルで同じような結末がある。学部卒のレベルではないだろうとは思われるものの、単純な博士号取得者の実数の増加は、類似の結果をもたらす可能性があると個人的には考える。つまり、「博士人材を増やす」という目標を形式的にでも達成する(これを支援するために政府から経済的な援助もあるだろう)ために、博士を修めるにふさわしい研究の質を担保できていない状態でも学位を与えるような状況は想定できる「嫌なシナリオ」なので、対策は講じなければならないと思う。
別に「博士は崇高な肩書だ」とか「学術の品位を損なうな」という主張をしたいわけではなく、博士課程の修了要件は、教育課程を経て然るべき評価を下すべきで、人数目標と経済環境整備に対する支援では、こうした定性的な成果は測れないのではないかということ。

「研究の質」を「論文数」で評価することの末路

併せて「研究の質」に関しても、イギリスの研究評価制度が先に述べたような「低品質な論文の大量報告」をもたらしたことが記載されている。

インセンティブ制度が成果物の数とスピードに対して報酬を与えるものになると、結果として本当に重要な研究が減少することになりかねない。これこそまさに、イギリスの研究評価制度で起きたことだ。たいして面白くもなく、誰も読まない論文が大量に発表されたのだ。

『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか』p81

さいごに:博士取得者の展望は別に暗くない

結局「人数だけ増やしても中身と実績が伴わなかったら本末転倒だよ」という心配を表明したのだが、中身と実績の伴う博士号取得者のその後についても、興味深い書籍が出版されている。

途中まで目を通したが、企業に勤めるパターンもあれば事業を起こすパターン、産業と学術をつなぐ人材として活躍するパターン等色々ある。専門領域を活かす人も入れば、専門領域で培った副次的な能力を活かす人もいる。
そういう意味では博士号を取得しているかどうかではなく、やはり「その選択をして何を得たのか、何を成し遂げたのか」が、キャリアを切り開くのだろうと思う。
冒頭にも述べた通り、私は研究者に「憧れ」を抱いている。「自分なら博士課程の取得までの苦しみに耐えられる」とも勝手に思っている(多分相当にしんどい)。自分に対してはとことん甘い。
ただ、博士持ちのこれまでの努力・研鑽に敬意をもっているし、心置きなく研究・教育に没頭できていてほしいとも思っている。国がこういうプランを立てている事自体は前向きに捉えているし、志の高い研究者が多く経済・社会的な発展に貢献する機会が増えれば良いと思っている。


一応休職をしている身ではあるが、ある程度文章が書ける程度には回復してきたという実感がある。30にもなって学部2年生のレポートみたいな品質だが、これでもマシだ。
ただ、まだ難しい本は読めないし、仕事にしていた統計学やデータ分析は、やろうとすると体調が悪くなる状態が続いているので、復帰に関してはまだ難しいのかなと思っている……。気長に自分と向き合おうと思うし、なるようになるとも思いたい。


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