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うつくしが丘の不幸の家

宙ごはんに引き続き町田そのこさんの本を読了。
不幸の家というタイトルとは裏腹に心温まる優しい内容だった。


今回の本はうつくしが丘に建つ一軒の家が舞台。歴代の住人たちがその家で暮らし始めてから引っ越していくまでのストーリーが章ごとに描かれている。第一章が一番最新の住人で二章、三章と進むほどに時間が遡っていく。

海を見下ろす小高い丘に広がる住宅地、うつくしが丘。交通の便は悪いものの、学校、学習塾、公園などが充実しており子育て面では恵まれている。高齢者支援施設も多く、山や海にもすぐ触れられる人気の住宅街。そこにある三階建ての家が不幸の家であり舞台の家だ。

歴代の住人が目まぐるしく変わっていった不幸の家。不幸の家から住人たちは何故出ていったのか。縁起が悪いとされている枇杷の木が何故この家の裏庭にあるのか。その内容が本を読み進めるとわかるようになっている。


章ごとに別の住人の話に切り替わっているが、その中でもすべての章に変わらず登場するのが隣人の荒木信子だ。荒木は品のある温かい人柄からどの住人とも良好な関係を築いていた。読み進めると荒木自身のエピソードも知ることができ、後々思い出すとより第一章での荒木の言葉に深みを感じる。

ちなみに枇杷の木が縁起が悪いとされている理由については第一章でこの荒木がさらっと説明している。枇杷の木は病人や死人を増やすと言われ縁起が悪いとされているようだった。しかし、荒木の説明によると枇杷はたくさんの効能がある優秀な木。この薬効を求めて病人が訪ねて来るが枇杷が育つには時間がかかりその間に亡くなってしまう人も出てくる、ただそれだけだった。荒木に言わせてみれば不幸の家も枇杷と同じで「強い言葉ばかり独り歩きした」とのことだ。


以下作中で印象的だったものをいくつかあげてみる。

そんなにきれいじゃなくても大事にされるひとって、いるでしょう?わたしはね、多分匂いだと思う。大事にされるひとはきっと、咲いたばかりの薔薇みたいなとてもいい匂いがするの。でもわたしはね、トイレの芳香剤みたいなものなんだ。それじゃだめなんだよね

「うつくしが丘の不幸の家」より

これは第三章のさなぎの家での主人公のセリフだ。自分と大事にされるひとは何かが決定的に違うという話をしていた。自虐的ではありながらもなんとなくわかるな~と思った。

大事にされるひとってそもそも自分が大事にされないかもしれないと思っている感じがしない。これが自己肯定感というものだと思うが、なんとなく雰囲気から自信の有無って染み出たりする気がする。自信がないと相対的にしか上にたてない人間に寄られやすい。他人を下げることでしか上にたつことができない人間と一緒になるとそりゃ大事にはされないよな~と思う。そんなことをする人間も自信がないことを隠しているだけの人間なので自信がある人には寄っていかない。でも自信って誰かに大事にされてきたからこそ身についているところもあるし、恋人であれ友人であれ素敵な人との縁があれば一気に自信がついたりするのかもしれないが一人でそのループから抜け出すのはなかなか難しい。この自信や自己肯定感が匂いという表現であらわされているのかな~と感じた。


わたしね、夢ってとても乱暴な言葉だと思うの

「うつくしが丘の不幸の家」より

これは第四章での荒木の言葉。夢は我儘をきれいな言い方に変えただけ、他人を苦しめる乱暴さがある夢を振りかざしてはいけない。そういう話だった。たしかにそういうところもあるな~と思いながらも、この思考にも荒木の人の良さがでていると感じる。本当に乱暴な人は自分の夢が他人を苦しめたことにも気がつかない。

他人を苦しめるというのは人は手助けさえすればどうにかできそうな夢を語られると手を貸すしかなくなってしまうというところからきている。そこで手助けしてくれる人ももちろん優しい人なのだが、優しい人であればあるほど他人の夢を否定することができずに苦しませてしまうかもしれないということだ。本当に手助けして簡単に叶えられる夢ならば両者すぐに幸せになれるが、手助けのつもりが思いのほか大変だったり時間がかかったり犠牲を払うことになったりすることもある。

荒木の説明は理解できると感じる一方で夢を追いかけること自体は悪いことではないと思う。もちろん必要以上に他人を巻き込んだり搾取したりすることは良くないが、完全に一人で成し遂げられるようなものって実際ほとんどない。結局誰かと関わりながら生きていくことになるこの世界で自分の希望を掴みにいくことが我儘とされるのであれば、みんな楽しくない人生になってしまう。夢ばかりも良くないが、夢や希望もなく生き続ける人生はしんどい。夢を振りかざしてしまった自分が許せない気持ちもわかるが、手助けした人は幸せになってほしくて手助けしたことも覚えておいてほしい。せっかく苦労して叶えたのに苦しまれると余計に浮かばれない。後悔ではなく感謝に変えて進んでいくタイミングがどこかであればいいと思う。


不幸の家と呼ばれたこの家。しかし本当に不幸の家なのかは住んでいた人たちにしかわからない。一部分しか見ていないのに勝手に判断したり不安になったり噂をしたり。そんなことは家だけに限らずよくあることだ。だからこそ常に噂や他人の意見で簡単に判断しないように気をつけておきたい。改めてそう思わせてくれた作品だった。

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