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宙ごはん

町田そのこさんの宙ごはんを読んだ。


宙ごはんは保育園時代の宙が「ママ」とではなく「お母さん」と暮らし始めるところから始まる。ここでいう「ママ」と「お母さん」は育ての母親と産みの母親という意味で別の人物。お母さん、花野は宙の思い描く母親像とは程遠く料理もできない。料理ができない花野の代わりにふたりに料理をつくってくれたのが佐伯恭弘、やっちゃんだ。やっちゃんのつくる料理に魅了され宙も料理に興味を持つようになる。

おいしいものがたくさんでてくる話なのかな~くらいに思いながら読みだしたがそれ以上に壮大なストーリーが詰まっていて驚いた。町田そのこさんの本は何冊か読んだことがある。どれも繊細であたたかく柔らかな文章表現が素敵だと思った。他の本も読みたい。


個人的には花野の成長に一番感動した。

宙は花野のことを自分自身が愛されて守られる方に夢中になっている子供のままの人、母親になれない人だと表現した。花野も自覚はしており、母親と呼ばれるには覚悟がないという理由で宙にはカノさんと呼ばせている。

花野はいろんなことを知らない。愛され方を知らないから愛し方も知らない。愛されたいと思っているので愛したいまで思い至れない。自分が与えてもらえなかったから宙の望みや宙との接し方がわからない。

花野の知らないは家庭環境に起因している。作中では呪いとも表現され、長い時間をかけて刷り込まれた。刷り込まれた呪いはすぐには昇華できない。尊重できる誰かと一緒に過ごして、誰かに愛されて、愛して、そういう時間を重ねていくしかない。そんな花野が自分の心を解放していく過程がこの一冊で描かれていた。


宙は宙でそんな花野と「母親」としてではなく「家族」として向き合い、家族の在り方を模索していく。家族を思い、関係を築くとはどういうことなのか。

おそらくそこに正解はない。環境が変わったり、いろんな経験をし成長することで人は変わる。それに伴い関係性も変わっていく。そのときにお互いに心地良いと感じる距離感で過ごせるような関係が良いなと思う。

母と娘、両方の成長や変化を感じることのできる本だった。


読み終わった後、なんとなくもう一度本を開くと恭弘の「宙と花野を生かすための料理をつくる」という誓いが書かれていて泣けた。初見では何もわからずに読み進めていたが、恭弘は本当にこの誓い通りのことをふたりにしてくれた。料理だけでなくまっすぐな生き方や大きな優しさもふたりを強く支えてくれた。思いがこもった料理はひとを生かしてくれる、そのことを宙に証明してくれた。


宙が料理を好きになったシーンを読んで、何かをはじめたり好きになるきっかけってこういう些細なことで十分だと思い出す。宙にとって美味しいはかわいいや好きと同じくらいの重さがあった。人それぞれ重みを感じるところは違う。

大人になればなるほど、なぜこれをはじめたのか、将来のプランは、向いている根拠は、今更なぜそれをするのか、など説明を求めれる機会が増える。そうするとなんとなく責められているような気持ちになったりする。嬉しかったから、かっこよかったから、綺麗だったから、でなんとなく好きになったりはじめてもいいはずなのに。なんとなくはじめてみてやっていくうちにもっとこの道を極めたい!と思ってもいいし、こっちよりあっちのほうが向いてそうだとか楽しそうだとかで道を変えてもいいし、誰かにわざわざ納得してもらう必要はない。好きだから詳しくないといけない訳でもない。好きは好きでいい。

人生何歳からでもやり直せる!というわりに何かをはじめることに対して世間ってわりと厳しいよなと感じる。やたらと理由や根拠を深堀しては自分の中の常識で意見してくる人に今まで何度も出会った。そしてそれが理由で他人に自分の好きなものや興味があるものの話をすることが苦手になった。単純にどんな人なのかを知りたくて質問してくる人には申し訳ないけれど、もし批判されても許せるくらいの人だと認識するまではあまり自分の好きなものや興味があるものの話はしない。


好きが多いことは機嫌よく生きることにつながると思う。心のときめきは多いほうがいい。些細な理由でも、周りに認められなくてもいいから自分が魅力的だと感じたら積極的に取り入れて触れていく人生にしたい。些細な好奇心ではじめたことがもしかしたら今後の人生で自分の支えになるかもしれない。自分の些細な好奇心を押し殺さない生き方をしていきたい。

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