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悩んだ末に見えてきた「家族といったん離れる」という選択肢と

  皆さん、こんにちは! 
今回の記事も引き続きねこ沢が担当します🐈

 前回投稿した記事の
「どうしておばあちゃんは○○できないの?」の一歩先で
は読んでいただけたでしょうか? 
いろいろ悩みながら書いたので、そちらも併せてチェックしてもらえると嬉しいです😸

もくじ
後編 発達障がいについて  
 発達障がいって何?  
 どんなふうに接すればいいの?  
 「理解する」ことの難しさ  
 おわりに

発達障がいを持つ家族

  私の家族には発達障がいを抱えた人がいます。 
ですが今回は家族については直接触れず、「発達障がい」の特性を持つ人についてお話しします🙇

発達障がいって何?

  ✍️発達障がいとは、生まれつきの脳機能の発達の偏りによる障がいです。 
必ずしも発達障がいがあるからといって生活上の困難が生じるわけではなく、その人の得意や不得意が置かれた環境に合っていなかった場合に生きづらさにつながります。

 最近ドラマ化した『僕の妻は発達障害』のCMでも紹介されていますが、その障がいの現れ方は 人によってさまざまで、例えば以下の特性が挙げられますが、別の形で現れる人もいます。
・集中が続かない
・一つのことに集中しすぎる
・計算が苦手
・人間関係を築くのが不得意
周囲にはその特性が見えにくく、怠けているだけと捉えられて、周囲からの理解不足から二次的な生きづらさにつながることも多々あります。

  発達障がいを持つ人は、例えば学校生活では、さまざまな要因(光や音などの感覚的刺激やネガティブなニュース等)で不安になって、周囲からは少し不思議と思われるような言動をすることがあります。
というのも、とりわけまだ幼い頃は
 ・合う薬が見つかっていない
※薬を服用する場合とそうでない場合があります
 ・自分の特性とうまく付き合う方法を周囲だけでなく本人自身も掴めていない 
・特性に関する説明が周囲に浸透していない 
などの理由で特性に対処することが難しい場合があるためです。

  周囲の環境に適応できない自分をひどく責め、自傷行動をする人もいます。 
もちろん場合によりますが、成長するにつれて、自分の特性や周囲との付き合い方・説明の仕方が分かってきて、パニックになる回数は減っていくようです。

どんなふうに接すればいいの?  

 障がいを持つ人が幼い頃は、その周囲の子供も発達途中ですから、なかなか相手の持つ特性や上手な付き合い方がわからず、困惑したり不満を抱いたりする時があると思います。
私自身は子供の時、そうしたストレスを周囲の大人に気づいてもらえずに1人で抱えていました。
幼い頃の私は、発達障がいを抱えた家族の特性や自分が苦手なことを理解しておらず、むやみにイライラしたり、合理的配慮ができない自分に対して自己嫌悪に陥ったりしていました。
これは難しい問題ですが、どの子供たちも健やかに過ごせるよう、子供に代わって大人が制度上や教育機関、家庭などにおいてさまざまな工夫をすることが重要だと現在は考えています。

  特性を持つ人にどんなふうに接すればいいかはその人によって違いますし、皆さん自身によっても取りやすい対応策が変わってくると思うので一概にこんなふうに接すればいいとはいえません。 
しかし、大人も子供も、分からないものやうまく付き合えないものに対してネガティブな気持ちを抱く前に、少し距離や時間をおいてみるとかアプローチを変えてみるとか、また自分に余裕のある時に分からないものについて理解しようとしてみることが大切だと思います。

  例えば、私自身は音や光が苦手で、発達障がいを抱える家族が大きい音を出している時には、具合が悪くなってしまうことがあります。 
ですが、その人はほかの家族を笑わせ、喜ばせるために音を立てていると分かっているため、私は別の部屋に移動して静かな環境で過ごすようにしています。
 私と特性を持つ家族の仲がよくても、一方が我慢することでは解決できない部分もあります。 
そのためそういう場合には、お互いが心地良く過ごせるように距離をおいてみるなど工夫しています。
今の私が、もしも家族にも自分にも苛立っていた子供の頃の私に会えるなら、大切な家族でも時間をおかないと分かり合えないことや、相手に必要な配慮をするには余裕と相互理解が必要であることなどを伝えたいです。

   近年では、研究の進歩や制度の充実によって、発達障がいだけでなくさまざまな障がいに対する理解や新しい取り組みが広まってきています。
また、学校や仕事先でも、視覚・聴覚障がい者や精神疾患を持つ人などへの合理的配慮、フレックスタイム制やリモートワークなどの多様な働き方が推進されています。 
もっとたくさんの選択肢をつくっていって、特性を持っていても持っていなくてもそれぞれが自分に合った環境と生活スタイルを選べるようになればいいなと感じます🌱

理解することの難しさ

 先ほどマジョリティとマイノリティ間の不平等な社会構成について触れましたが、それはそうした社会で暮らす私たちの意識の中にも刷り込まれています。 
マイノリティ属性を持つ人を傷つける人々の中には、差別したいと思っている人はそんなに多くありません。
実際には、差別はよくない・自分がするはずないと思っている人がたくさんいます。
しかし差別や格差は現在の社会構造に根深く存在しているため、マジョリティ属性を持って「普通に」生きていると自動的に視野が狭くなります。 

 そのため「自分はさまざまな人に優しくしたい、差別したくない」と思って気をつけていても、細かな言動・視点(マイクロアグレッション)にそういったネガティブな要素が現れてしまいます。 
※マイクロアグレッションの例:初対面のミックスの人に対して、他の人が「ハーフなの?」「◯◯ 語話せる?」などと聞くこと。 
聞いた側は、悪意はなくただ関心を持っただけかもしれません。
しかし以下の理由から、マイノリティとマジョリティ間で「素朴な疑問・言葉」の持つ意味が異なってきます。

①ミックスの人は自分のルーツ・家族に関する質問を何度も問われ続けること 
②他の人が外見から判断して質問することで、ミックスの人は、プライベートなことを自分の好きなタイミングで明かす機会を失うこと 
③その質問の根底には「私はミックスじゃない=ミックスの人は私と同じ属性を持つ人々の集団 に属していない」という認識があり、その上であまりよく知らない属性について知りたいという動機から質問している。それはそうした質問を向けられた相手に対して「私とあなたは違う」というメッ セージを暗に発していて、相手に疎外感を抱かせる

  気をつけていても相手を傷つけてしまうからといって、自分の言動に注意を向けることが無駄なんてことはありません。 
社会構造によって自分とは異なる人々が見えにくくされていて、偏りがちな視野を広げることはとても難しいのですが、よく目を凝らすと私たちの身の回りにはたくさんの「身近な福祉」が存在しています。
心や時間に少し余裕のある時に、立ち止まって考えてみてください。 
もしかしたら、皆さん自身や周囲の人の生きづらさの解消につながるかもしれません。 

 私もこんなこと言ってますが、何度も何度も周りの人を傷つけたり逆に傷つけられたりして心底苦しみながら学んできました。
それでも、まだまだ視野が狭いなと日々反省しています...💦
これからもゼロカラでのインターンを通じてたくさんのことを吸収して、皆さんと一緒に福祉について考えたいなと思っています。

おわりに  

 ここまで私とその家族との個人的な経験から、社会全体の動きにまで繋げてお話ししてきました🐈
皆さんの中には、私の説明不足で少し話が突飛に感じた方もいらっしゃるかもしれません。 
しかし、一見私たちの個人的な経験のように思える、辛いことや困難なことは全て私たちの暮らす社会や政治と深く、深く関わっています。 
私たちの個人的な経験から少しずつ認識を変えていって、自分の理解の及ばないことにも可能な限り思いを巡らせていければと思います。 
誰もが人生のさまざまな時期にほかの人に頼り、理解や合理的配慮、工夫などのケアを必要とするのですから、誰も生きづらさを抱えることなく共に生きていくためにケアに満ちた社会をつくっていけたらないいなと感じます。

  今後私たちが更新するnoteでは、ケアの現場で働いている方々へのインタビューやおすすめの 映画・本の紹介投稿など行っていく予定です! 
次回の投稿では、ヒヨラーがお勧めの映像作品を紹介してくれます🐤
私たちの記事を読んで「身近な福祉」についてもっと知りたいと思った方はそちらの記事もぜひチェックしてみてくださいね〜🙌

参考サイト
厚生労働省  みんなのメンタルヘルス
最終閲覧日2022/07/13

ドラマ「僕の妻は発達障害」公式サイト
最終閲覧日2022/07/13

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