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私にとっての"貴婦人" 『Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st』

ライカレンズで"貴婦人"というと、『Summilux 50mm f1.4 1st』を思い浮かべる方が大半であろう。
しかし、私の中での"貴婦人"はこのレンズである。
『Elmarit 90mm f2.8 1st』

スラリと伸びた白銀の鏡胴。精悍な印象の赤と黒の刻印。緻密に刻まれたローレット。

プロダクトとしての美しさ、ここに極まれりと言わんばかりの素晴らしい質感である。また、元来の作りの良さは言うまでもないが、丁寧なオーバーホールのお陰で、しっとりした重さで回るヘリコイドや、油染みなくガンメタリックに黒染めされた絞り環の操作感は、現代のライカレンズ以上なのではないかと思えるほどに質感が高い。
特に、絞り環の「コトンッコトンッ」と控えめなクリック感で小気味よく回ってゆく感触には、操作する喜びを感じられる。12枚もの絞り羽が前玉のすぐ後ろで開いたり閉じたりする様は、ついつい魅入ってしまう程魅力的である。

Elmarit 90mm f2.8 を Leica M5 に装着。

フードを付けると上のような、堂々とした出で立ちになる。
ただ、90mm f2.8のスペックを考えると、とてもスリムにまとまっているのではなかろうか。フードは逆さ付けできる仕様であり、使用しない時は結構コンパクトにまとまってくれる。
緻密なローレットが刻まれたヘリコイドと、絞り環のギザの細かさ。どちらかというと暖色寄りの銀色に輝く鏡胴の美しさたるや、筆舌に尽くし難い。コストを考えずに作られたような、手の込んだ製品である事がビシビシ伝わってくる。
根元に貼られたグッタペルカは、デザイン上の良いアクセントになっていると思う。
後代の『Tele Elmarit 90mm f2.8』からはグッタペルカが貼られなくなってしまった。外観の意匠は大凡似通っているが、鏡胴の長さは短く、寸胴に見えるデザインとなった。"ファットエルマリート"のあだ名が付くくらいである。実測値を比べたわけではないが、見比べると後代のエルマリート90mmは確かに"ファット"である。
取り回しの良さは叶わないかも知れないが、姿の格好良さだけで言えば圧倒的に、『Elmarit 90mm f2.8 1st』に軍配が上がるだろう。

レンズは中玉と後玉が張り合わせの3群5枚構成。
非常にシンプルな構成ではあるが、とんでもなく良く写る。
「ライカ中望遠にハズレなし。」とは誰が入った言葉だろうか。現行レンズと全く遜色がないと思える程、端正に美しく写るレンズである。

Leica M10-D / Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st
Leica M10-D / Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st

超高精細なアポズミクロンや、柔らかな開放描写が素敵なズミルックスとは全く趣が異なるのが伝わるだろうか。
確かにオールドレンズな味わいである。しかし、わかりやすくオールドな味わいはあまり感じられない。
むしろすっきりとクセのない写りで、合焦したところの繊細なタッチと、そこからなだらかな曲線を描くようにアウトフォーカスしてゆく穏やかな描写。これこそ、このエルマリート90の特徴ではないかと考える。
前ボケ、後ろボケ共に特筆するような癖はなく、さっぱりとした印象。かつ、ピントの山が結構しっかりと出るため、絞り開放で撮るとf2.8のスペック以上の立体感が得られる。絞ってゆくと当然ながら被写界深度が深まりパンフォーカスとなるが、解像力が上がったりコントラストが上がったりはしないように感じる。絞り開放から素晴らしいパフォーマンスを発揮し、且つ絞ってもさほど描写特性が変化しない安定した使用感である。実質、絞りは被写界深度の調整にすぎない。

コーティングが施された恩恵もあるであろう、発色も非常に素直で綺麗である。若干コントラストが低い気もするが、そこに起因する穏やかな描写は中々得難いものである。透明感のある美しい発色には、使うたびにしみじみと良いなぁと感じる。

Leica M(typ262) / Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st
Leica M(typ262) / Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st
Leica M(typ262) / Leitz Elmarit 90mm f2.8 1st

瑞々しさを伴った写り、とも表現できようか。
現代レンズに多く見られる硬質でドライなタッチとは一線を画する、エルマリート特有の描写特性があるように感じられる。

光の滲み、大きな収差、目立った周辺減光、そういったわかりやすいオールドレンズの要素は、このレンズにはない。
古の手計算による光学設計から、現代につながる光学設計への過渡期にあたるタイミングで設計されたのではなかろうかと推測する。絞り開放でも古さを感じさせない"浮かび上がってくるような"立体的な描写であり、非常に繊細ながら解像しすぎない絶妙な柔らかさが、往年の銘レンズたちを思い起こさせる。

オールドレンズと現行レンズのいいとこ取り。
このレンズからはそんな印象を受ける。

写りの見事さ、鏡胴の作りの良さ共に非の打ち所がなく、私の所有するレンズの中でもとりわけ好きな一本である。


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