見出し画像

魅惑の"針式表示"唯一無二のコンパクトフィルム機 『Nikon 35Ti』

まだカメラに興味を持っていなかった頃。
祖父が「もう使わなくなったから」と、このフィルムカメラをくれた。
フィルムってなんだろう、露出ってなんだろう、この針はどうやってみるんだろう。なにも知らなかった私はただ棚に飾り、実際に操作してみようともしなかった。

数年たち、実家を離れ東京で暮らし始めた私はこのカメラのことなどすっかり忘れていたが、友人がフィルムカメラを使っているのを見て「そういえば実家のアレってまだ動くのかなぁ」と、久しぶりに手にしたのだった。

カメラに深い関心を持つようになったきっかけを考えてみると、このカメラが始まりだったかもしれない…。

Nikon 35Ti

調べてみると発売開始は1993年。
私が生まれるよりも前に発売されたフィルムカメラである。
外装はチタン。派手すぎず鈍く輝く、燻したような色合いがなんとも美しい。ボディはかなりコンパクトにまとまっており、コロンと手の中に収まる絶妙なサイズ感は、操作する喜びを感じさせる。
プログラムオート、絞り優先、長時間露光、マニュアルフォーカス、基本的な撮影方法は網羅してある。専ら私はこのカメラで撮るとき、プログラムオートか絞り優先しか使わないが…。
オートフォーカスの精度、測光精度はすこぶる良い。このカメラでピンボケした写真や露出を外した写真を撮ってしまった経験がないことを考えると、当時としては非常に高精度なカメラだったことがうかがえる。

軍艦部の針式表示。カメラとは思えない「なんじゃこりゃ」な面構えである。

「10年近くもほったらかしにして、メンテナンスもしていないカメラが動くはずない。」と、ダメ元で電池を入れ電源を入れた。
何事もなく、レンズが繰り出され、軍艦部の針が動いたのである。きちんと動作すること自体が、ただただ衝撃的だった。
このカメラが動く所を始めて見た私は、実際に撮影に使える云々よりも、軍艦部の針表示が小気味よく動くその様にわくわくしていたのだ。

私は基本ファインダーを覗いて写真を撮るので、軍艦部の針が動いていても確認する術がない。
確認できる項目も
・絞り値(f2.8〜f22)
・フォーカス位置(最短40cm〜無限遠のMFモード、AFモード)
・露出補正(1/3ステップ、EV-2〜+2)
のみで、MFや露出補正を行う場合は軍艦部のボタンを押しながらダイヤルを回すという非常にまどろっこしい操作を必要とするため、目測で撮るときを除いて常時いじるようなものはあまりないと思う。
というか、目測で撮ることなんてあまりないし、折角優秀な露出制御とAFが搭載されてるので、基本はAFのプログラムモードでパシャパシャ気軽に撮るカメラなのである。

なのに、なのにこの針式表示の凝り様である。
採算や実用性を念頭に置かず、「カッコよさ」「ロマン」を追い求めてデザインされたであろうこのボディには、不朽の美を感じる。
撮影にあまり使わない部分なのに、ここまで拘って設計してしまう、しかもそれを高級コンパクト機と銘打って発表したNikonは本当に素晴らしい。

この辺に、以前書いた「M型ライカの機能的充足」と似たものを感じる。他メーカーとの差別化を図り一点突破型カメラを作るには、なにか強い個性をもたせる必要がある。Nikon 35Ti の場合、チタン外装採用、ニッコールレンズ搭載、そして極めつけが「針式表示」の軍艦部だったのである。
明らかにContax T2を意識して作ったであろうカメラではあるが、当時のカメラ産業は、本当に楽しく製品開発を行っていたんだろうなぁ…と思い思いしてしまう。

FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400
FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400

DATEの書き込みもノスタルジーを誘う一要素だと思うので、私はなるべく入れっぱなしにしている。フィルムの色調はやはり温かく、デジタルでは再現できない絶妙なクオリティーに仕上がってくれる。


祖父がこのカメラを使っていた頃の写真を見返してみる。
色褪せたプリントの中には、幼い私と、幾分若い家族たちが写っている。

祖父の遺してくれたカメラ、という思い入れは相当に強い。
そして祖父も、針式表示の美しさに感じ入りこのカメラを買ったのかな…と想像すると、祖父も私と同じようなカメラファンだったのだなと、しみじみ思うのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?