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文字がうつす人柄

銀行員時代はほとんど友達を作らなかった私だが、2~3人仲の良い友達がいた。
そのうち一人は実直な仕事ぶりが経営陣に買われ、ある時会社のPRムービーに出ることが決まった。仕事をする様子を撮影したというので、先んじて見せてもらうと、なるほど彼の実直な仕事ぶりがよく描きあげられている。
ただ、最後に彼が自筆で記した自分の名前がどんと画面の中央に映ったとき、彼の文字が(丁寧なのに)下手すぎて、一緒に見ていた友人と大爆笑をした。決して器用といえないが、手を抜かない彼の人柄がよく現れていたのである。

私は人の文字を見るのが好きで、人からもらった手紙の多くは残っている。あとあと振り返る目的もあるのだが、内容だけではなくその人の文字を見たいのもある。
会社でも人のメモをちらっとのぞくことがある(たぶんあまりよくない行動ではある)が、内容はそこそこに私はそのひとの文字を見ていることが多い。

幼年期、私はよく父親からの手紙をもらっていた。以前書いたように結婚式のスピーチもそううまくない父親であり、何より自由かつ個性的な人柄が先立ち母親をいら立たせることもしばしばである。そんな父親ではあるものの自分なりにゆっくりと頭の整理をしながら文章を紡ぐのはさほど苦ではないようで、今読み返してみるとなかなか内容は深い。

そして内容もさることながら、特徴的なのは父親のきわめて独特な文字である。達筆というのかわからないが、細い糸を並べたような絶妙な筆致なのだ。小さなころは判読に困ることもあったが、大人になるとそれほど変な字形にはみえない。表現が難しいのだが、とにかく特徴的でいやに人を引き付ける不思議な字体なのである。

ほか、高校の時の国語の先生に、田中という先生がいた。田中先生は真面目なひとで、教科書のような字を黒板で板書する方だった。
「先生の字、うまいっすねー」なんて話になったとき「字をうまく書くコツは、横の線を引く際に7度ほど傾けることです」とおっしゃっていたのが印象的だった。そもそも正確に7度傾ける技術があれば、そりゃあ字もうまくなるわなといたく納得した記憶がある。

インターネットの時代になり、手書きで書いた文字を目にする機会は減った。読みやすくなったという意味ではよいが、味のある文字をそう見なくなったという意味では面白みがない。

文字というのは人を映す。手紙でもなんでもいいのだが、人があまり気張らずに、何も考えずに書いた文字なんかをみると、なんとなく人柄をうかがい知ることができる。手紙であれば同じ人から何通かもらっていると、文字の形の変化にもおのずと意識がいく。写真のようにその瞬間の自分が映し出されるのが文字であり、内容以上にその文字のかたちは雄弁である。

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