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陳腐ながらメディアの未来を考えてみる

朝日新聞出版が5月末に「週刊朝日」を休刊した。
かつての発表文を引用してみよう。

週刊朝日は、2023年5月末をもって休刊します。……週刊朝日の2022年12月の平均発行部数は74,125部。弊社の業績は堅調ですが、週刊誌市場の販売部数・広告費が縮小するなか、今後はウェブのニュースサイトAERA dot.や書籍部門に、より一層注力していく判断をしました。……

7万部も売れているのに休刊、というのは大きな時代の変化だなと思う。雑誌のいろんな統計を見ても、7万部というのは決して小さくない数字だ。

読む人が減ってしまえば広告料収入が落ちる。定額購読者から得られる収入も落ちる。新聞も雑誌もそうだが、基本的にはメディアというのは多くの人に読まれないと価値がない。人気がモノを言うビジネスである。

そうでもなければ、別の事業を通じて赤字覚悟で捨て金として金を突っ込むしかない。もしくはパトロンのようなお金をくれる存在を仲間につけるというのも一手である。

今後先細っていくマスメディアではあるが、一体全体どうなっていくのであろうか。議論されつくした話ではあるものの、個人的にマスメディアの将来を考えてみようと思う。

まず、そのうちマスメディアにひとびとは触れなくなる。より厳密に言えば、新聞や雑誌など「強制に閲覧させるメディア」に人々が触れなくなる(というかもうあんまり触れていない)。

その次に来るのが、たぶん人がメディアになっていくというフェーズだ。一人一人の人間が情報を発信することの価値が上がる。マスメディアとは言わないが、人が中規模・小規模なメディアそのものとして情報の媒介者となる。

この結果何が起きるかというと、特定の人から発信される情報が持つ宗教性が高まって中立性を失う。現在でもたまにあるが、人が情報を伝えることになるのでその人への信頼が高まりすぎて信仰と化す。「この人が言っていることであれば」と情報をうのみにする連中が溢れ、結果として情報を発信する側は思想で飯を食いだす。
言い方は悪いが「教祖」みたいな扱いになってしまうと大体間違った言説を連発し始めるのが不思議なことに世の常だ。間違ったことや倫理的に問題があることでも、なぜかわからないが平然と主張するようになる。

この状況下では、情報を得る側である私たち一人一人が賢くならないといけない。
おそらく、世の中の情報が中央集権的に広がるものではなく分散型になっていく中にあっては、一人一人が情報の真贋を見極め、そして賢くなれないとまともな社会として未来はない。愚かであれば「じゃあ優秀な人が勝手に決めるほうが、私たちは何も考えず楽でいいよね」という世界になりかねない。

逆に言えば、わたしたちはこれまでマスメディアに価値判断を依存していた面もあったのだろう。だからこそ脱マスメディアの時代にあって求められるのは自ら情報を集め、分析し、評価することで、間違いは間違いであることを見極められるリテラシーなのだと思う。言ってしまえば、個人がメディアと化す時代に必要なのは、我々が「脱宗教化」へと向かう努力である。

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