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【育児】私たちが生きられるのは昔の赤ちゃんが強靭すぎたからである

中学生の頃だったか、国語の教科書に「おとなになれなかった弟たちに…」という作品があった。
戦時中に主人公の弟のために配給された甘いミルクを主人公が食べてしまい、その後弟が栄養失調で死に主人公が悔悟の念にさいなまれるという話である。

この作品では弟一人が死ぬのにも関わらず、タイトルが「弟たち」になっている。それを踏まえると、飢えと苦しみの中で「食べたい」というエゴが表出したばかりに、自分の弟(または妹も)を死に追いやるということが決して特別な事象では無かったということを示唆してくれている。

ふと娘を見ていると、おぎゃあおぎゃあと泣くとすぐさまミルクなり母乳が準備され、数分もすればんぐんぐとよく飲んでいる。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、これが100年前であれば当たり前ではない。
泣いてもあげるミルクはなく母乳も思うように出ないなんてこともあったのだろう。泣かせるだけ泣かせて結局疲れて眠ってしまうなんてこともあったのかもしれない。

本当にいい時代になったな…と思いながらふと感じたのだが、逆にそうした厳しい(ともすると劣悪な)環境で生きてきた昔の赤ちゃんってめちゃくちゃ強いのではないか。
もしかしたら現代の赤ちゃんも本質的には強靱であって単にそうした厳しい環境に触れさせていないだけの話かもしれないが、しかしそれにしても戦時中を生き延びた赤ちゃんの生命力は極めて強いと思う。

「僕たちの祖先に、子供の時死んでしまった人はいないんです」という言葉が村上龍の『愛と幻想のファシズム』にもあった。
同じように、そうした強靱な赤ちゃんの連続で今の自分にまでつながっている以上、私たちは間違いなく強靱な血を持っているといえる。
子供の命が絡む話ではあるので残酷な話ではあるが、私たちは競争で生き抜いた強者として今の発展を享受しているのである。世の中で若くして生存競争に敗れた人は、私たちの祖先には一人としていないのだ。

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